第3話 残酷な王子、婚約者に証言させる。

 我が国一番の港町は、アリシアの父、バルニエ公爵家の領地の一つでもある。元はとある子爵家の領地だったものの、醜聞や不祥事が続いて没落し、公爵が買い取った。


 王子の隠れ家から遠くない場所、三階建ての白い屋敷が森のような木々に埋もれるように立っていて、あらゆる所に花々が咲き乱れている。元は子爵家の屋敷は、今では公爵家の別邸の一つとして主にアリシアが使用していると王子から説明を受けた。


 先触れがあったのか、王子に誘導されて馬車から降りると待たされることなく応接室へと案内され、部屋にはすでにアリシアが待っていた。


「ようこそいらっしゃいました」

 美しく巻かれた銀髪に水色の瞳。楚々とした美しい笑顔は、どこか憂いを帯びている。淡い水色のデイドレス姿は、まるでお伽話に出てくる精霊の姫のよう。


 王女を警護する中で、王子の婚約者として何度か顔を合わせたことはある。今にも消えてしまいそうな儚さの原因が私だったのかもしれないと考えただけで背筋が震える。


「ルシアン様、ジュディット様、御婚約おめでとうございます」

 アリシアの言葉に、心が抉られたような気がした。婚約者が他の女を連れてきたというのに動じる気配もなく、逆に安堵の笑みを浮かべている。その気高さが眩しい。


 耐えられずに視線を下げた時、アリシアの左手の薬指に輝く金の指輪が目に入った。〝竜血石〟と呼ばれる最上級の血赤珊瑚の指輪。……それが〝王子妃の指輪〟だと思っていた。


 〝竜血石〟には『真実の愛を捧げる』という意味があり、王女は昔、婚約者にタイピンを贈ったことがある。そんな宝石が偽装婚約に使われていたなんて、誰も信じないだろう。


 勧められるまま王子とソファに並び、テーブルを挟んでアリシアが座る。侍女が花茶を置いた後、アリシアは人払いを行った。


 部屋に三人だけが残った後、王子が口を開いた。

「アリシア、ジュディットに説明してくれないかな。僕は最初からジュディットと結婚するつもりだったって」

「はい。ルシアン様は昔からジュディット様との御結婚をお望みになっておられました」

 無邪気で残酷な王子の言葉と、それに答えるアリシアの笑顔に愕然とする。


「……偽装婚約だったのですか?」

 そういえば二人の婚約式を見た覚えがない。王子の十六歳の誕生月に婚約が発表されただけだった。


「……はい」

 一瞬の空白に、アリシアの真意を感じた。

「バルニエ公爵もご存知なのですか?」

「いいえ。ルシアン様とロザリーヌ様、そして私だけの秘密でした」

「それは……」

 唐突に王女の名が出てきて戸惑うと同時に、王女が私の知らない秘密を持っていたことが寂しい。


「公爵の方は心配しなくてもいいよ」

 王子の言葉を聞いて、アリシアが視線を伏せる。

「アリシア様、貴女は納得しているのですか?」

 若い貴族女性の四年間を偽装婚約で消費することが、どれだけ酷いことなのか王子はきっと理解していない。公爵家の令嬢とはいえ、婚約を解消された時点で傷物と扱われても仕方がない。これから新たに婚約者を探そうとしても他の公爵家の子息には婚約者がおり、年齢がつり合う者を選ぶとすると確実に格下貴族への降嫁になる。


「はい。ルシアン様が貴女をお選びになったのですから、私は従うだけです」

 伏せていた視線を上げて笑顔で言葉を重ねていても、きっと心の中では傷ついているだろう。不本意とはいえ王子の婚約者になってしまった私が、これ以上何も聞いてはいけないような気がした。


 身勝手な話だけれど、泣き叫ばれた方が良かったかもしれない。静かな微笑みを浮かべるアリシア嬢は、はかなげで美しい。がさつな私との違いを嫌と言う程突き付けられる。


「これで信じてくれたかな?」

「……はい」

 これ以上アリシアを傷つけたくはないから、そう答えただけ。王子の軽い口調に改めて殺意が湧く。


 王子も私も出された花茶に手をつけることもなく、再び馬車に乗り込んだ。


      ◆


 馬車は来た道とは違う道を走っている。街道の石畳を走る音が土の上を走る音に変わり、薄暗い森の中を進む。通常なら同行するべき側近も護衛騎士もいない状況は、いくら人目を忍んでの道程といっても、不用心過ぎて緊張する。今更ながらに何の武器も携帯していないことを後悔していた。


「これから、どちらに向かわれるのですか」

「僕がひいきにしてる鍛冶屋だよ。頼んでた品が出来たって昨日連絡を受けたんだ」

 やるせない気持ちを抱えていても、鍛冶屋で作る物と聞くと心が動くのは仕方がない。剣や戦斧、馬の蹄鉄、武器や馬具だけでなく農具を見るのも好きだ。


 王子に誘導されて馬車から降りたのは、赤いレンガで出来た小さな家の前だった。小屋といっても間違いではなさそう。店の看板も何もなく、周囲に他の家もない。


 従僕ではなく、王子が自ら扉を開けた。

「ロラン、来たよー!」

 明るい子供のような挨拶に驚きながらも、王子に促されて扉の中へと入る。壁一面に剣や戦斧、盾、槍が掛けられていて、棚には短剣が並ぶ。王都で通う武具店よりも豊富な品々に心がときめく。


「おう、待ってたぜ!」

 店の奥から姿を見せたのは、茶色の短髪に茶色の瞳の男。私と同年代だろうか。袖のない生成色のシャツから、騎士にも劣らない立派な筋肉質の腕。茶色のズボンの上には、使い込まれた革で出来た腰までのエプロンが巻かれている。


 その挨拶は不敬と注意する前に、王子が口を開く。

「頼んでた短剣、見せてよ」

「もちろんだ。今回は俺の短剣の中でも最高傑作だぞ!」

 豪快に笑う男はカウンターの奥の扉を開け、木の箱を取り出して開いた。


 平たい箱の中、私が愛用している短剣と似たものが五本並んでいる。異なるのはその柄の意匠デザイン。薔薇、百合、すみれ、月華、女神の涙が彫られ、その刃の鋭さと優美な花の彫刻の差異が怪しく美しい。


「鞘は?」

「ここにある」

 王子の問いに答えて、もう一つの箱が開けられた。鞘にも美しい花々の装飾が施され、炎の色の宝石が一つずつ埋め込まれている。


 思わず感嘆の息が漏れた。怪しくも美しい短剣は、武器の域を超えて芸術品に近い。もしも個人的に頼むことができるのなら、私も一式そろえてみたい。


「これはジュディットの為に作ってもらったから、好きなだけ触っていいよ」

 自分の耳が壊れたかと思って王子の顔を見ると、悪戯に成功した子供のような顔で笑っていた。不敬なのに可愛いと感じて、胸がどきりとしてしまう。


「よろしいのですか?」

 この素晴らしい短剣に触れてみたいという欲求を止められない。触れるだけだからと自らに言い聞かせて、その一本を手にする。


「素敵……」

 持った途端、手に馴染んだ。愛用の短剣とほぼ同じ重さと長さ。複雑な花の彫刻が滑り止めの役目を果たし、これなら革を巻く必要もない。


「おー、喜んでもらえたようで嬉しいな。ぜひとも、鞘も試してくれ」

 ロランの勧めに従って鞘を手にする。金属で出来た鞘は軽く、力を込めて握りしめても丈夫でびくともしない。短剣を収めるとぴたりと留まる。柄を持っても鞘は落ちない。鞘を持って短剣を引くと、留めは非常に軽い手ごたえだけで難なく抜ける。


「鞘を持って逆さにしてみな」

 短剣を鞘に再び納め、言われたとおりに鞘を持って柄を下にする。留めの軽さに反して剣身が落ちることもない。これだけの技術を持つ職人は、王都にも中々いない。


 後日改めて注文しようと決めて、短剣を箱へと戻す。

「ジュディット、他に欲しい物はない? 長剣でも槍でも何でもいいよ」

 不要と即答するべきなのに、言葉にできなかった。壁一面に飾られた武器の輝きが私の心を掴んで離さない。


「……見るだけでお許し下さい」

 欲しいと言ってはいけない。不本意とはいえ事実上、王子の婚約者になった途端に高価な物をねだる女と思われるのは嫌だし、何よりも私は王子を殺そうと思っている。殺した相手に贈られた物なんて、どんなに素晴らしい物でも持っていられる訳がない。


「おう、いくらでも好きなだけ見てくれ。もちろん触ってもいい」

 明るいロランに勧められるまま、様々な長剣を手にしてみる。斬る為の軽い剣や叩き潰す為の重量のある剣。剣だけで百種類を超えていると聞いて心が躍る。


 それなりに重さのある剣を片手で抜くと、ロランが感心したように手を叩いた。

「そいつを抜けるとは思わなかった。よし、とっておきのを出すから待っててくれ」

 ロランは店の奥へと走っていき、しばらくして何かが暴れているような音が響く。


「店の奥で何が起きているのでしょうか」

「たぶん寝室の奥に隠してる秘蔵の品を出そうとしてるんじゃないかな」

 そう言って王子が上機嫌で笑う。


 暴れるような音が止み、最後に大きな何かが落ちる音がした。このふわふわとした服ではなく、騎士服なら店の奥へと入って確認しているだろう。


 戻って来たロランは大きな木の箱を抱えていた。濃い飴色の木箱の四隅は金具で補強され、鍵が掛かっている。ロランは革紐で首に掛けていた鍵で箱を開く。


「これは俺の師匠が打った剣だ。最高傑作だと言っていた」

 中に入っていたのは、ワイン色の鞘の細身の長剣。手に取るとずっしりと重く、片手で抜けるとは思えない。


「申し訳ありません。こちらは片手では抜けません」

「そうか。じゃあ、両手を使ってもいいから、抜けるかどうか試してみてくれないか」

「僕が鞘を押さえていよう」


 跪いた王子が鞘を持って支え、私に剣の柄を向ける。その姿は、貴婦人に愛と忠誠を誓う騎士。この剣を抜いてしまってもいいのかとためらいながらも、王子をいつまでも跪かせることはできない。


 両手で剣の柄を握り、剣を引き抜く。かちりと何かが外れたような金属音が響き、白く光輝く剣身が現れた。

「これは一体……」

 光と共に、剣の重さが消えた。片手どころか指二本でも持つことができるだろう。剣を右手に持ち直し、剣身を確かめても刃は普通のものと変わらない。


「抜けた? ……マジか……信じられん……誰も抜くことが出来なかったんだ……師匠でさえ、完成後は一度も抜けなかったんだぜ……」

 そう驚かれても反応に困る。剣を手渡そうとしても、ロランも王子も頑なに受け取ろうとしない。


 王子から鞘を受け取り剣を収めると、片手で持つことが出来た。不思議で素晴らしい剣と感じても、私の物ではないので箱に戻す。


「この剣が最高傑作ということはわかります。これ程までに美しい剣身を、私は未だかつて見たことはありません」

 幼い頃から、千本以上の剣を見て触れてきた。実際の良し悪しは使ってみなければわからないものの、見た限りでは最上級の美しさだと思う。


「俺もそう思う。俺が目指すのはこの剣だと改めて確認することができた。ありがとう。他の剣も是非見てくれ」

 真剣な眼差しのロランの勧めを断れないまま、私は次の剣を手に取った。

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