第28話 酒の席での議論、男爵の屋敷にて。

 早朝、侍女によってドレスを着せられた後は、王子の近くに置かれた椅子に座って控える。服装が違うだけで王女の護衛騎士だった頃に似た、慣れた緊張感は心地いい。


 王子の騎士として仕えることができたなら、どんなに良かったことだろうか。繰り返し心に浮かぶ願いが叶うことはなく。今は婚約者という仮面を着けて微笑むのみ。


 正規の婚約式がまだ先と聞いて、結婚式までの時間が伸びたことに安堵していた。婚約式から結婚式まで半年以上開けるのがこの国での慣習で、バルニエ公爵を説得することを考えるとそれなりに時間がいる。


 王子の側近も護衛騎士たちも、誰も私が婚約者になったことで嫌な顔をしない。それどころか、王子と私とのやり取りを微笑ましく見守っているふしがある。既成事実化しないようにと距離を保っているつもりなのに。


 王子の元には様々な情報がもたらされる。魔鳥のことだけでなく、王家が管轄する領地のことや外国の動向、国内で起きた大きな事件。書面では残せない秘密もあって、口頭での報告になる情報もある。それらをすべて正確に記憶していて、時には全く違う場所で発生した事象に関連があると指摘することもある。


 視察や慰問、あとは王妃になる為の勉強ばかりだった王女とは全く違う忙しさに、思考と記憶が追い付かなくて口惜しい。


      ◆


 忙しい中でも、王子は剣術の訓練を欠かさない。空いた時間に中庭の一角で騎士と剣を交わす。その姿は真摯で凛々しく、見ているだけでは我慢できなくなった頃、王子が私を誘った。


 人前で〝華嵐の剣〟を呼びだすことはためらわれるので、護衛騎士に細身の剣を借りる。持った途端に、これもロランの作品だと気が付いて笑ってしまう。王子の周囲にいる人間は、ロランの武器を持つ者が多いのか。


「ジュディット、着替えなくてもいいのか?」

「はい。慣れております」

 幼い頃から父に訓練されてきた。王女と共に過ごした十年は男装していたけれど、ドレスを着ていても戦える感覚を完全に呼び戻しておきたい。


「レオミュール侯の稽古は視察から戻ってきてからだ。今は辺境で動いてもらっている」

 何の為にとは聞かなくても察することができた。バルニエ公と仲が悪い辺境伯との関係改善の噂があり、密かに同盟を結んでいるのではないかという疑いがあると、昨日の報告で聞いた。その報告を聞く前に、私の父を密偵として送り込んでいるのだから王子には先見の明がある。


 軽く剣を打ち合わせ、徐々に速度を上げていく。不意打ちに剣の軌道を変えても、王子の剣が瞬時に対応してくることが楽しい。王子が対抗してきても、私も父に鍛えられた剣技で返す。


 不意に湧き上がった私の笑みを見て、王子も笑う。剣を交わすということは命を掛けるということ。気の緩みが重大な事故に繋がることもある。真面目に注意しなければならない場面だとわかっていても、このぎりぎりの緊張と心震える命のやり取りが楽しくて仕方ない。


 ドレスの内側を膝で蹴りながら裾を捌くと脚の動きを邪魔しない。幼少に身に着けた所作は、体が覚えていた。美しいドレスが視界の端でゆらめくと心が躍る。


流れる汗が心地よく、王子も私も汗だくになっても気にせず戦う。魔鳥との戦いの中で、泥にまみれた酷い姿になったこともあるのでもう慣れた。


 短い鍛錬の時間は、時報の鐘の音で終わった。剣を下げると王子がそっと私の頬に手を当てて、浄化の魔法を掛けてくれる。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 ほわりと一瞬だけ本来の王子の笑みが零れて、すぐに王子の微笑みに変わった。その変化が可愛くて、私は思わず微笑みで返した。


      ◆


 数日後、王城の転移門を使用してケイツ村を領地とする貴族の屋敷へと転移した。貴族の当主は王都の屋敷にいる季節でも、王子を迎える為に戻っていた。


 三百年前に建てられた石造りの屋敷は歴史を感じさせる意匠でありつつも、良い手入れをされているのか古ぼけた感じはしない。庭の木々や花々は明るい色で咲き乱れ、邸内の色彩も軽やかで居心地がいい。


「ルシアン様を我が屋敷にお迎えできましたこと、恐悦至極に存じます!」

 顔を合わせてから恰幅の良いエルベ男爵は大仰な挨拶を重ね続けていて、隣に佇む夫人の困ったような笑顔が印象的。三十代後半というところだろうか。人の良い夫婦であることが、感じ取られて微笑ましい。


 王子の側近は誰も同行していない。事前に送り込まれていた王子の従僕と侍女が数名滞在していて、準備が整えられていた。


 王子と私が持っていたトランクを従僕と侍女に預けた後、王子は男爵に切り出した。

「お願いしていた件は、どうなっているだろうか」

「はい。準備しております」

 王子の言葉を聞いて、男爵の表情が引き締まる。お茶をと勧める夫人の誘いを丁重に断って、王子と男爵、私の三人は質素な馬車に乗り込んだ。


      ◆


 質素な馬車は比較的整った街道を走り、道とはいえない道を通り、やがて人気のない場所へとたどり着いた。捨てられた村の家々の屋根は破れ落ち、蔓草が赤いレンガを覆っている。

 

 あまりにも寂しい光景に心が痛む。ひび割れた畑には枯れた作物が残っているだけで、草すら生えていない。家畜が飼われていた場所を囲む柵は朽ち果てている。


「突然作物が枯れ、家畜が死に始めたと報告を受け、村人たちを他の村へと移しました」

「きっと大変な苦労だっただろう。貴方は良い仕事をされた」

 王子の褒め言葉を聞いて、男爵は苦い笑みを浮かべる。


「古くから住む人々を強制的に移住させることが良い仕事だったかは、わかりません。ただ、一人も死者を出さなかったことだけが私の救いになっております」

 男爵の言外に、その苦労が感じられる。何代も住み続けている人々を動かすには、抵抗されることもあったのだろう。


「あれから、ケイツ村の村長は何か言ってきたか?」

「未だに土地を買いたいと申しております。理由はわかりませんが、女神が祀られていた小神殿に執着しております」


 ここでも祀られていた女神像が壊され、被害が始まったらしい。村の奥、一際大きな家の裏に小さな女神の神殿が建っていた。人が五人入ればいっぱいになってしまうくらいの神殿は、主に祈りの為に設置されている。


「……王子、見えますか」

「ああ。見える」

 白い石で出来た神殿の屋根に、黒く禍々しい魔鳥が数羽いる。赤い目をぎらつかせ、時折威嚇するように大きな翼を広げている。手を繋いでいなくても、指輪を嵌めた王子にも見えるようになったらしく、良かったような残念なような複雑な気分。


 私たちの緊張を見て、男爵が不安の声をあげた。

「何が見えるのですか?」

「……ジュディット、男爵の肩に手を乗せてみてくれないか」

 王子の要請に応じて肩に手を乗せると、男爵の表情が一変した。


「あれは……カラスではないようですな……目が……赤? ……まさか!」

 男爵にも私たちが見ている魔鳥が見えるようになったらしい。やはり〝華嵐の剣〟が持つ特別な力が理由なのではないだろうか。


「姿の見えない魔鳥だ。神殿の周囲には何がある?」

「何もありません」

「そうか。調査は後日にしよう」

 王子が男爵の肩から私の手を取り、踵を返して馬車に向かい、私と男爵は慌てた。


「王子、魔鳥を退治しないのですか?」

「魔鳥退治はケイツ村を視察してからにしよう。幸いとは言えないが、今はここに村人はいない」

 王子には何か考えがある。そう気が付いた私と男爵は、無言で頷くしかなかった。


      ◆


 男爵の屋敷に戻り、王子と私は歓待を受けた。領地で取れるという産物がふんだんに使われた料理が振る舞われ、特産の酒が出される。


 王子と男爵は大いに飲み食いし、領地についての話題を交わす。私は夫人と花茶を飲みながら、男二人が盛り上がる様子を楽しむ。


 王子も男爵も、この国が好きで堪らないというのが伝わってくる。もっと領民の暮らしを良くしたいと夢を熱く語る姿は凛々しく頼もしい。その方法を具体的に語り始めると、さらに白熱した議論になっていく。


 いくつもの案を出し、それが実現可能なものなのか語り合う。酒が入っているからか、王子も男爵も身分を忘れて意見をぶつける。


 二人が泥酔手前になった頃、議論は終了と夫人が二人から酒を取り上げて、楽しい笑いに包まれた宴が終わった。


       ◆


 手伝うという従僕の申し出を断り、ふらつく王子を支えて割り当てられた部屋へと入った。まだ婚約者なのだから寝室は別だろうと思っていたのに、王子は危険があると言って私を同室にしてしまった。


 何が危険だというのだろうか。危険というなら、酔った王子の方が危険なのではないだろうか。


 勧められるままに浴室を使い夜着に着替えて部屋に戻ると、王子は窓に寄り掛かって夜空を眺めていた。その憂いに満ちた表情が、先程の気楽な笑顔との差を感じて私の胸がどきりとする。


「王子、お待たせしました。……何を見ていらっしゃるのですか?」

「もうすぐ白の月が満ちる。一体、どんな魔物が現れるのか気にはなるが、まだ準備が整ってはいないのが悔しいな」

 王子の酔いは完全に醒めているらしい。ふと伸ばされた王子の手が、私の頬を撫でた。王子の青い瞳が優しい弧を描き、その瞳の輝きに私の胸がときめく。


「ジュディット、先に眠っていていいよ」

 ふわりと優しく微笑んだ王子は、私の髪を魔法で乾かしてから浴室へと向かった。

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