第29話 無謀な王子、毒杯をあおる。
翌日、護衛騎士のエクトルとブノワが男爵の屋敷へとやってきた。その姿を見て、王子が首を捻る。
「あれ? 護衛は要らないって言っておいたんだけどな」
「そう言わないで下さいよー。今回はシャイエさんが心配するから、早駆けが得意な俺たちが立候補したんですよ」
灰茶色の髪に茶色の瞳をしたエクトルが苦笑する。二人は馬車を使わず馬を走らせてきたらしい。そういえば最初に会った時も、馬に乗っていた。
「そうですよ。普段は平気な顔してるのに、今回だけは隠さないんで周囲も動揺してますよ」
茶色の髪と瞳のブノワも言葉を重ねる。
「何が心配なのかな?」
「さっぱりわかりませんが、俺たちに仕事させてください」
明るく笑う護衛騎士二人が加わって、男爵の屋敷はさらに賑やかになった。
◆
男爵の屋敷を馬車で出発して、私たちは山の中腹にあるケイツ村へと向かった。整えられた街道から続く石畳は良く整備されていて、緩やかに蛇行しながら山を登り村の中まで続いている。建ち並ぶ家もこれまでの村では見たこともないしっかりとした石造りで珍しく感じた。
岩と緑が混じる草原には、多くの家畜が放たれて草を食んでいる。食肉と乳製品がこのケイツ村の特産品。特にチーズで有名な村ではあっても、王子も私も訪れるのは初めてだった。
明るい笑い声をあげながら小さな子供たちが草原を走り回る光景は、久しぶりに見る微笑ましい光景。馬車に気が付いた子供たちが手を振り、王子と私も手を振り返す。
「小さな子供だけで大丈夫なのでしょうか」
十五人程の子供たちの周囲には、見守る大人は一人もいない。私の疑問に男爵が口を開く。
「年長の子供が、小さな子供の世話を見ることになっているようです」
ある程度育つと子供は働き手になり、年長になった子供は小さな子供の世話をするという循環がここにはある。貴族とは違う平民の暮らしは興味深い。
到着した村長の家は、男爵の屋敷には劣っても、貴族の別邸と言われても遜色ない屋敷だった。真新しい灰色の石と赤い屋根が眩しい。
「ここ数年、この村は景気が良いのです。国内外から乳製品を求めて商人たちがやってくるので、値段が急激に上がっております」
男爵の説明は私に向けられたもの。王子はすでに税収で知っていた。
馬車が到着すると村長夫妻が走って出迎えにやってきた。五十代前半だろうか。穏やかな笑顔で挨拶が行われる。
王子と私は、村のあちこちを案内された。王子の視察は事前に何の打ち合わせもないらしく、畑仕事や家畜の世話をする村人たちの驚きと歓待は王女の時とは全く違う素朴なもので微笑ましい。
王子の隣にいると世界が違って見えることが嬉しくもあり、怖くもある。王女と見ていた綺麗な世界より、飾らない世界の厳しさと豊かさが刺激的で心に残る。これが本当の世界なのかと驚くことばかり。
視察の間、男爵と護衛騎士たちは離れた場所にいる。それは王子が希望する距離で、村人を委縮させない為だと説明を受けた。
小川のほとりで茶色のふわふわとした塊を女性たちが洗っていた。重労働と見てわかる作業なのに、明るい話し声や笑い声が上がっている。同性の楽しい様子が気になって、私は村長に尋ねた。
「あれは何を洗っているのですか?」
「家畜の毛です。長くなった毛を刈り取って、洗ってから糸にして出荷しております」
毛糸も村の特産の一つ。織物が盛んな町や村に売られていく。近くで見るかと問われて、場の雰囲気を壊したくないと辞退した。
特産のチーズの加工と保管場所は、村長の家の一部にあった。石造りの広い加工所は毎日洗浄されて清潔さを保っており、暗い保管部屋の棚には所狭しとチーズの塊が並んでいる。
「朝、乳を搾ってすぐに加工を始めますので、昼には作業が終わっております」
加工作業の視察は明日の早朝。早めの夕食に誘われて、王子と私は村長の家へと向かった。
◆
村長の家での夕食は、村人たちが祭りの時に食べる料理が振る舞われた。家畜一頭が丸ごと焼かれた物がテーブルの中央に乗り、村長が慣れた手つきで切り分ける。村の老人たちも呼ばれていて、分け隔てなく話が弾む。
老人の中には中央神殿の元神官や、王城勤務の元医術師、兵士だった者もいて、王城での思い出話が語られた。王子と男爵と村長、そして護衛騎士たちも大いに飲み食いして清々しい。
深夜まで続くと思われた夕食会は、意外にも早めに切り上げられた。最後に大きな木のカップに注がれたお酒を皆で飲み干して、賑やかで楽しい一時は終わりを告げた。
◆
村長の家の客室は、貴族が滞在できるように整えられていた。美しい彫刻が施された重厚な家具が並び、壁には高価な布が貼られ、複雑な花模様のタペストリーが掛けられている。飾られた花は素朴な野草でも、花瓶は外国製の陶器。見ただけで、高価とわかる物ばかり。
護衛騎士のエクトルとブノワが就寝の挨拶をして部屋から出て行った直後、王子が体を折って口を手で塞いだ。
「王子? どうされましたっ?」
「……吐きそう」
「こ、こちらへ!」
慌てて手を引いて手洗いに案内し、盛大に吐く王子の背中をさする。
「すぐに医術師を呼びます」
先程の夕食にいた王城勤務の元医術師を呼び戻そうとすると、王子に手を掴まれた。
「待って、ジュディット。もう大丈夫だから」
「大丈夫には見えません。何があったのですか?」
王子の顔色は青く、その微笑みは力がない。
「さっき最後に受け取った酒に毒が盛られてた」
王子の言葉を聞いて、ざーっと音を立てながら血の気が滝のように引いていく。
「解毒薬が効かない魔法薬だと思う。これでも王族の端くれだから、耐性つけてるけど苦しいよね。ちょっとだけ、ごめん」
苦笑する王子が私に寄り掛かって来た。どんなに恥ずかしいと思っても、体調の悪い人間を突き飛ばして拒否はできない。
王子の腕が私の背に回ると、胸の鼓動が跳ね上がる。
「全部飲む前に気が付かなかったのですか?」
「……気が付いたけど、吐き出すことはできなかった。お酒を出してくれた村長が殺されて終わりにされそうだから」
毒を盛られたとなれば、即断即決で護衛騎士が処分して終わりだろう。
「村長の背後関係を調べなければなりませんね」
「……この村には不穏な噂があってね。魔鳥を使役する人物と村長が裏で結託してるらしい。僕が魔鳥退治の方法を見つけたという話を流しておいたから、僕が狙われるのはわかってた。……でも、毒を入れたのは別人だった。……僕が予想していた人だったよ。結託してるのは村長じゃない」
誰が毒を盛ったのかと考えても、皆とても気のいい人々だった。該当する人物が思い浮かばない。
「そこまでわかっていながら、どうして警戒なさらなかったのですか」
「なかなか証拠が掴めないから、囮になりに来たって言ったら怒るかな?」
「もちろん怒ります。馬鹿だと申し上げます。……そういう裏があるなら、教えておいて下さい」
だから第二王子と視察を替わったのか。聞いていれば注意したのに。シャイエが心配していたのは、このことを察知していたからではないのか。
「誰にも言ってない。最後まで秘密にするつもりだったんだ」
王子の体がふらついた。相当苦しいのか、額には脂汗が滲んでいる。
「横になって休みましょう」
「嫌だ」
「何故ですか?」
「ジュディットが温かいから」
不謹慎にも心臓がどきりとした。高鳴る鼓動が何を意味しているのか、理解してはいけないと思う。
「横になったら手を握りますから」
「添い寝がいいな」
甘えるような声を出していても、顔色は悪い。
「……調子に乗らないで下さい」
そうは言っても、強く拒否はできない自分に戸惑う。
「……ごめん。もう一回吐く」
王子はもう何も吐く物がなく胃液まで吐いていた。酷く苦しむ様子を見ていると、仮死とはいえ毒を盛ることに迷いが出てくる。
「……ありがとう。毒は全部吐いたみたいだ」
ふらつく王子を支え、ベッドへと横たえて服を緩める。力なく横たわる体、だらりと垂れた腕。目の周りを赤くしながらの熱い吐息。王子が何度も私の身代わりになったことを思い出して心が痛い。
水はないのかと見回せば、ガラスの水差しが置かれていた。グラスに中身を注いで毒見をしようとすると半身を起こした王子が声を発した。
「待って。僕が先だ」
「何故です? また毒が入っていたら困ります」
「上着の
そう言われれば仕方ない。グラスを手渡して、上着に手を伸ばした時、グラスに入った水を王子が一口含んで飲み込んだ。
「王子!」
「ジュディットは毒の耐性ないだろ? 僕なら即死級じゃなければ耐えられる可能性が高い」
「ますます駄目じゃないですか」
毒見の薬があるというのは嘘だったらしい。
「これは大丈夫。普通の浄化水だよ」
グラスの水を飲み干し、王子はベッドに沈み込む。
浴室で布を濡らして、王子の枕元に椅子を置いて座る。額に滲む汗を拭いていると、心配で心細くなってきた。王女には専属の毒見係がいたし、検査係の侍女も付いていた。囮になるためとはいえ、無防備すぎる。
そう考えた時、私も王子に毒を盛ろうしていたことを再度思い出す。無防備だから狙いやすい。犯人も同じように考えたということか。
「……やっぱり寒いな。手を握って欲しいな」
私は王子の手を握った。先程まで熱い息を吐いていたのに、今は顔を青くして全身を震わせている姿を見ているのが辛い。
私も治癒魔法が使えればいいのに。苦しむ王子を救いたい。いくら願ってみても、王子の顔色は変わらない。
「……しばらく眠ってもいいかな」
「はい。私が護衛致しますので、ご安心ください」
私の言葉を聞いて、王子は困ったような顔をする。
「僕が護りたいのに……ごめん」
「これまで私は十分に護って頂いております。ですから、今回は私にお任せ下さい」
……いつか裏切ることになるとしても、今は王子を護りたい。胸の痛みを抱えつつ、私は王子の目を手で隠す。
「おやすみ、ジュディット」
「はい。良い眠りを」
すぐに王子は眠りに落ちて、私はそっと静かに溜息を吐いた。
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