第30話 襲撃者の捕縛、森の中にて。
王子は深夜に目覚め、私に眠るように求めた。厳しい一日になるかもしれないと説得され、私も短い睡眠を取り、朝を迎えた。
日の出と共に起き、村長夫妻と男爵、護衛騎士たちと朝食をとる。王子は何事もなかったかのように振る舞い、私にもその行為を求める。
昨夜の毒は効かなかったと犯人に思わせたい。さらに強力な毒を仕掛けてくるのか、それとも違う方法で自分を狙うのか知りたいという意図を聞いて、頭が痛い。今度は毒が入った物は食べないと王子に誓わせたものの、平静を装いながらも王子が口にする物が気になってしまう。
村長の朝食は平民と同じらしい。硬いパンの薄切りに、チーズと塩漬け肉、加熱された卵や玉ねぎが挟まれている。刻まれた野菜のスープは、旨味が深い。
大皿に盛られた料理と同じ鍋から目の前で注がれるスープ。これなら毒を盛られる機会は限定的と密かに胸をなでおろす。
何事もなく無事に朝食が終わり、私たちはチーズの加工場へと向かった。
◆
早朝にも関わらず、大勢の村人たちが働いていた。全員が頭には布を巻いて髪を隠し、揃いの作業着は白く清潔感がある。昨日は片付けられていた大鍋が並び、熱気を感じる。
絞られた乳が巨大な鍋に入れられて、温めながら秘伝の液体が加えられる。混ぜ続けていると固形物と透明な液体とに分離して、固形物は丸い木の桶や布袋に詰められてチーズの元になり、液体は家畜の餌に混ぜる。
木の桶や布袋からは水が滴ってチーズの水切りが行われ、一日が経つとしっかりと固まる。桶から取り出された平たく丸いチーズは塩水に漬けられた後、保管棚で半年から一年熟成させる。布袋に入れられたチーズは、そのまますぐに出荷される。
作りたてのチーズは爽やかで、口の中で溶けていく。熟成をするかしないかで、味や香りが全く異なると知り、同じ原料なのにと不思議に思う。
大勢の人々の作業は続き、持ち込まれた乳がすべて加工できたのは昼近く。終わった後は、鍋が洗われて作業場所の掃除が行われていた。
この毎日の清掃がチーズの腐敗や痛みを防ぎ、安全で美味しいチーズという評判へと繋がっていると村長は胸を張る。忙しく動き回る人々の邪魔をしないようにと、私たちは加工場を離れた。
◆
村長や村人たちに見送られ、私たちは男爵家の屋敷へ寄り、王城から出張していた侍女や従僕たちと合流して帰路に着いた。
侍女と従僕が乗る馬車二台と、私たちが乗る馬車が街道を進む。馬車の横、エクトルとブノワが馬に乗って並走していても王子に毒が盛られた情報は共有されておらず、その表情に緊張感は薄い。
苛立たしさが限界に達しようとしていた時、王子が鞄から紙袋を取り出した。
「ジュディットも食べる?」
ほわほわとした笑みをたたえる金色の子犬がそこにいた。手渡された袋の中身は何かと思えば、炒り豆の砂糖菓子。何故、今なのかと考えて、王子の魔力が枯渇しているのかもしれないと気が付く。異様に早い毒からの回復も、魔法を使ったのではないだろうか。
「あーん」
王子が呑気な笑顔で口を開ける。そうとわかれば迷う暇はない。揺れる馬車の中、一粒ずつ砂糖菓子を王子の口に運ぶ。幸せそうな笑顔で菓子を咀嚼されると、緊張感が削がれていく。
脱力感の中、ふと窓の外を見ると、馬に乗るエクトルと目が合った。笑顔で親指を立て、片目を瞑られても困る。この餌付けには理由があるのに、秘密を洩らせない葛藤が心の中で渦巻く。
秘密は秘密。護らなければと葛藤を振り切って、私は王子の口へ砂糖菓子を運び続けた。
◆
日が傾き始めると、馬車は街道を離れて森へと向かう。
「夜になりますが、森を通るのですか?」
「ああ、今日は野営だよ」
王子の口からさらりと返ってきた言葉にめまいがした。王族が野営をするというのなら、最低でも天幕がいる。ざっと見ても馬車には積まれていないし、この人数では組み立ては不可能。
やがて地面がむき出しになった広場で馬車は止まった。どうやら旅の者たちが野営に使う場所のようで、中央には焚き火の為の石が積まれている。従僕たちは火をおこし、侍女たちが鍋でスープを作り始める。エクトルとブノワは周囲に危険がないか確認に出た。
「‥‥…皆、慣れているのですね」
動きに無駄が無さ過ぎる。幼少の頃、野外での過ごし方について父に習ったことはあった。地面の整え方や、虫の避け方、多くの注意点を皆がしっかりと守っている。
足手まといになりたくなくても、何を手伝えばいいのかわからない。
「ジュディットは少しでも休んでいて欲しい」
王子の真剣な表情を見て察した。この野営は夜の襲撃を誘う為。
「はい。それでは仮眠を取らせて頂きます」
魔鳥が襲ってきた場合は、王子と私しかまともな戦力はない。馬車の中、私は静かに目を閉じた。
◆
襲撃は人々が一番寝静まる頃、真夜中を過ぎて発生した。ちりちりとした不快感に目が覚めた。空気が攻撃してくるような痛みが肌を刺す。これ程強く感じたことはなかったけれど、殺気だと思う。
「……ジュディット」
「はい」
隣に座っていた王子は眠っていなかったのかもしれない。咎める暇はなく、馬車の周囲に渦巻く殺気を感じ取る。
ボタンを一つかみ砕いた王子の手の中で、赤い魔力光が一瞬輝く。
「……三十六……七名かな」
「人ですか?」
「人だね。……一人だけ魔術師がいる。魔術師の相手は僕がするから、ジュディットはここにいて」
「それは困ります。私一人だけ隠れることは耐えられません」
短い問答を繰り返し、王子が折れた。〝華嵐の剣〟を静かに呼び出して襲撃に備える。
「僕の魔法で罠を掛けてある。全員、生きて捕らえる計画……」
王子の言葉の途中、馬車の周囲で赤い光が煌めき怒号が上がった。
「掛かった!」
馬車を飛び出していく王子を追いかけるようにして、外にでる。他の馬車から出てきたエクトルやブノワ、従僕だけでなく侍女も短剣を持って襲撃者と戦っている。その動きは間諜特有のもの。
襲撃者たちは黒い覆面を被り、黒い服を着て剣を携えている。その剣技は荒々しく、人を斬ることにためらいがないとわかる。人数が圧倒的に不利なので、生きたまま捕らえることはかなり難しい。
「王子を狙え!」
叫びの元になったのは、魔術師の印である黒いローブにフードを目深にかぶった男。
男に向かって、王子と私が走り出すと襲撃者たちが襲ってきた。振り下ろされる剣を受け流し、致命傷にならない程度に斬りつける。殺すことより行動不能にすることの方が遥かに難しい。
それでも王子と二人でなんとか切り抜けて、呪文を詠唱していた魔術師の元へたどり着く。
「遅い!」
多くの魔術師が戦いに不向きである理由がここにある。王子のように魔法陣を咄嗟に用意する力があるのが稀で、大抵の魔術師が魔法を使用するには、長い呪文詠唱や魔法陣を地面に描く作業が必要。
王子は振り下ろされた木の杖を剣で斬り、空いた手で魔術師の腹を殴った。魔術師は拳の勢いを受けて、腹を抑えながら地面に倒れ込む。
あっという間の攻撃に感心する。剣と拳と。どちらかの攻撃にこだわる者が多い中、併用するのは父の教え。
魔術師は王子によって後ろ手に縛られ、口に布を詰めて地面に転がされた。フードが外れ、三十代後半の男の顔が月明りに晒される。
「……エルベ男爵……」
善良と思われた顔は憎しみに歪み、燃えるような目で王子を睨みつけていた。王子の酒に毒を入れたのも男爵だったのか。
王子の手が赤い魔力光で煌めき、男爵を縛る縄が光を帯びて王子が安堵の息を吐く。
「……やっと証人を保護することができた」
「保護なのですか?」
「ああ。これまでの証人は、必ず殺されていたんだ。結界魔法を掛けたから、もう外部攻撃は受けないよ。王城へ連行しよう」
男爵を除く三十六名の襲撃者たちは縄で繋がれ地面に座らされていて、悪態をつく者が多い。こちらの人数を考えれば、全員を生きたまま捕獲した皆の手腕は奇跡に近い。
「さて。どうやって運ぶかな」
皆の緊張が緩んだ時、それは起きた。地面に転がったままの男爵が口に詰めた布を噛みちぎり、狂ったように叫び声をあげて暴れ出し、地面へ頭を打ち付ける。襲撃者たちも体を折り曲げ、空を見上げて叫びだす。
何が起きているのかと驚いた時、男爵の頭が破裂した。襲撃者の頭も次々と破裂して、血塗れの地面には首のない死体と、どうすることもできずに立ち尽くす私たちが残された。
「しまった……外部からじゃなくて、内部に魔法が掛けられていたのか」
しゃがみ込んで男爵の首なし死体を調べていた王子がうめき声をあげた。
「内部に魔法ですか?」
「喉の中に魔術刻印の一部が残ってる。おそらく捕まった際に証言しないよう口封じする為の魔法だ」
王子は地面を一度殴りつけた後、死者に対する祈りを捧げて立ち上がった。私も皆も、やるせない気持ちを抱えながら同じ祈りを捧げる。
「……何故ですか? ……あれほど、この国が好きだと、国民の暮らしを良くしていきたいと仰っていたのに……」
王子と語らっていた男爵の熱い姿は、嘘だったのだろうか。
「……エルベ男爵は、今の王族ではなく、新しい秩序で国を良くしていけると信じていたんだと思うよ。……僕の言葉も、力も足りなかった……」
拳を握りしめ、唇を噛み締める王子の横顔を見ているのがつらくて、私はそっと視線をそらした。
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