第25話 過去からの伝言、女神の神殿にて。

 王城の門前近くに中央神殿は建設されている。白い石で出来た豪華な神殿は見る者を圧倒し、続いて同じ石で造られた王城を見ると、神殿は美しく輝く王城の一部であると認識する。


 これは王城を外敵から護る為でもあると昔の書物には書かれている。敵が王城へと向かってきた時、王城への攻撃は女神の神殿への反逆と同等の意味を持つと思わせることで、戦意を削ぎ勝機を狙う。


 ただしそれは女神に対する信仰が厚い場合のみに有効で、女神の像を壊すような敵には無意味。


 朝日の中、白い神殿と王城は光をまとったように明け行く空に輝いている。女神の力が満ちているような光景は美しく神々しい。


「ジュディット、階段に気を付けて」

 大人びた爽やかな表情にどきりと胸が高鳴る。青紺色の王子の衣装はいつもに比べて簡素なもので、私が着用している薔薇色のドレスも装飾がほとんどなく、肌の露出が少ない。


 王子に気遣われながら、神殿の入り口に向かって白い石で造られた階段を登る。先導は護衛騎士、背後には側近のティエリーと護衛騎士が従っていて、他の二人は王子の依頼に応じて職務を行っている。


 神殿内部に入った途端、私の体が一瞬白い光に包まれた。狼狽する私に王子は微笑む。

「大丈夫。ジュディットの神力が共鳴しただけだ」

「共鳴、ですか?」

「そう。ある程度の神力量を超えた者が神殿に入ると、神殿に満ちている神力と反応して増幅する。その現象を共鳴と呼ぶ。発生した光は、共鳴で増幅した神力があふれて漂う神力と衝突して起きる。僕も初めて見る現象だ」


 これまで王女の護衛として、何度となく神殿には訪れている。こんなことは一度もなかったから、〝華嵐の剣ストーム・ブレイド〟によってもたらされた神力の強大さに内心怯む。


 神殿内部の天井は高く、幾何学模様に色ガラスがはめ込まれた採光窓からは、美しい光が内部を彩る。早朝の静かな空気の中、王女が祈りを捧げていた場所を通り過ぎ、さらに奥へと進む。


「ようこそいらっしゃいました」

 詰襟の長い上着にズボンという真っ白な神官服を着た神官長が、青々とした葉が付いた枝を王子に手渡す。老齢な神官長の神は灰色。水色の瞳は優しい輝きを浮かべている。


「彼女は僕の婚約者、ジュディット・レオミュールだ。共に祭祀を行っても良いだろうか」

「それはそれは、おめでとうございます。心よりお喜び申し上げます。どうぞご一緒に祈りを捧げて下さい」

 相好を崩した神官長が王子に向かって頭を下げた。喜ばれてほっとすると同時に、既成事実化する前に逃げなければと心が焦る。


 護衛騎士と側近を残し、神官長と共に廊下を進む。壁には女神の創世神話の絵物語が額装されて飾られている。


 ――創世の女神は空を作り大地を作り、最初に一本の木を植えた。その種を世界中に撒くと、緑が生まれ、水が生まれ、動物たちが生まれ、最後に人間が生まれた。すべてを生み出した種たちは、その殻を閉じて再び眠りについた。――これは、全国民が知っている創世神話。


 女神は背丈を超える長い黒髪に、黒い瞳の女性の姿で描かれている。他国でも同様の話が伝わっていて、長い金髪や白髪であったり瞳の色も赤や青と様々で、髪の長さだけが共通している。女神像は石や金属で造られることが多く、基本的に彩色はされない。


 美しい花々の彫刻が施された扉が開くと、真っ白な部屋に白木で出来た祭壇が設置されている。天井から下がる幾重にも重なる白い布が、美しいひだを描きながら、祭壇上部にある何かを包み隠す。神官長が祭壇へ礼をして部屋から下がり、王子と私の二人だけが残された。


「あの布で隠された場所に、この国を生み出した〝女神の種〟が祀られているんだ。各国の王族が護る中央神殿には必ず安置されている」

「〝女神の種〟は実在しているのですか?」

 女神を信仰していても、創世神話は遥か昔のお伽話のように感じていた。


「実在するよ。我が国の〝女神の種〟は卵の形をした水晶なんだ。両手ぐらいの大きさで、透明な殻の中に、青い液体が封じ込められている。見る事ができるのは、年末の儀式の時だけだ」

 見てみたいとは思っても、年末まで王子の隣にはいられない。迷いを感じる私の心が醜くて嫌になる。


 今はまだ、私が指輪を嵌めてしまったことに好意的な人々しか出会っていない。これからは、反対する人々に会う事もあるだろう。……アリシアにも会う事もあるかもしれない。それが一番怖い。


 アリシアがいるべき立場に成り代わり、アリシアが受け取るべき恩恵や好意を受ける私の姿を見せつけることになるのは恐ろしいとしか思えない。アリシアには一切瑕疵はないというのに。


「ジュディット?」

「……失礼しました。〝女神の種〟について考えていました。実在するとは存じておりませんでしたので」

 それは嘘。ちりりと心が痛む。


「これは王族と神官長だけの秘密だから、知らなくて当然だよ。僕には見えないけど精霊達が護っているらしい。とても不思議で美しいから、楽しみにしていて」

 ほわほわと微笑む王子の笑顔が可愛らしくて、さらに私の心が痛んだ。


      ◆


 王子が行う祭祀は青々とした葉がついた小枝を祭壇に捧げ、女神に感謝の言葉を捧げるという簡単なものだった。それでも厳かな空気が流れ、背筋が伸びるような緊張感がある。


 〝女神の種〟が祀られた部屋を出て、神官長と神官たちと共に神力量の測定部屋へと向かう。生まれた直後に測ったとは聞いていても、どうやって測定したのかは覚えていない。元々の私の神力は微量に過ぎず、父母や兄たちも魔力か神力を持ってはいても微量だった。


 白く小さな部屋の中、人が五人は入れるくらい大きな金の鳥かごが置かれている。神官に促され、私一人がその鳥かごに入った。

「目を閉じて、心を平穏になさって下さい」

 茶褐色の長い髪を一つに結んだ神官の声は、穏やかで耳に心地いい。


「静かに息を吐いて、限界まで吐ききってからゆっくりと息を吸って下さい」

 声に従い息を吐ききった時、周囲の空気が熱くなった。清浄な空気は消え、どろりとした熱気が体に絡みつく。


 目を閉じていなければならない。息を吸い呼吸を整えても、空気は熱く淀むだけ。耐え切れない不快さに薄く目を開くと、足元には赤黒い泥が渦巻いていた。


 慌てて周囲を見回すと、神殿の部屋ではなくどこかの村。血のように赤い空には無数の黒い魔鳥が飛び交い、地面には牛馬だけでなく人の遺骸が無数に転がり、その血肉を魔鳥が喜びの声を上げながら喰らっていた。


 ただひたすら恐ろしい。見たこともない数の魔鳥を、たった一人で倒すことは無謀。それでも退治しなければと思っても、泥が絡みついた体は動かなくなっていた。〝華嵐の剣〟を呼ぶ為に声を出そうとしても重い空気が絡みついて、息をすることも苦しい。


 突如として、視界の端で水色の光が煌めいた。魔鳥を斬るのは金髪碧眼の男。その手には黒い剣を携えている。


 地面が揺れ、渦巻く泥が集まって巨大な魔鳥の姿になった。魔鳥が鳴くと風が震えて圧になり、黒い羽根が無数の刃に変化して男を襲う。


『目覚めよ! 〝烈風の剣ゲイル・ブレイド〟!』

 男の声と同時に、剣が水色に光輝き風が渦巻く。無数の刃は風によって散らされ、羽根に戻って空に舞う。


 巨大な魔鳥と男の戦いは、一昼夜続いた。どちらも疲れ果てているのが目に見える。満身創痍になった男が自らの血で足を滑らせても、何もできない自分が口惜しくて仕方ない。


 力が欲しい。悔しさで歯を噛み締めた時、私の体が白く輝いて、それまでは全く無視されていたのに魔鳥と男が私を見た。


 巨大な魔鳥は突如認識した私に向かって、鋭いくちばしを振り下ろす。動かない体で逃げられない絶望と死ぬ覚悟をした時、男は私を背に庇い、魔鳥の喉を剣で突き上げた。


 恐ろしい断末魔の声を上げながら魔鳥が地面でのたうち回る。その爪はあらゆる物を切り裂き、岩すら削り、硬い羽根が地面をえぐる。徐々に動きが鈍くなり、巨大な姿は縮んで大人一人分程度になった。


 その間、男は水色の光で私を包み護り抜いた。魔鳥が完全に息絶えたことを確認し、男は剣を引き抜く。


『この魔物は魔力だけでは、完全に倒すことはできない。魔力を持つ者が中央にある心臓を突き、同時に神力を持つ者が首を落とさなければならない』

 そう言った男は、魔鳥の死体を魔法で石に替えた。

 

『封印は五百年しか持たない。遠い未来の誰かに託すことしかできないのが心苦しいが、どうか伝えて欲しい』

 動かない体では、頷くことも了承することもままならない。微笑んだ男が私に感謝を述べた所で、世界が一変した。


      ◆


「ジュディット!」

 目の前に飛び込んできたのは、王子の青い瞳。あの男の瞳と同じ色。


「え?」

 王子に半身を抱きかかえられている状況が理解できない。見回すと金色の鳥かごの中。赤い空も泥にまみれた大地も綺麗さっぱり消えている。


「王子? 私は一体……」

「測定中に急に倒れたんだ。……良かった……部屋に戻ってゆっくり休もう」

 王子は安堵の息を吐き、さっと私を抱き上げて歩き出す。抵抗することよりも、王子にどう切り出せばいいのか考えることで頭が一杯。何をどういえば良いのか。


 神官によって扉が開かれると、そこには側近のティエリーが待っていた。一瞬目を見開いたティエリーの顔を見て、羞恥を感じた私の頭は冷静さを取り戻す。


「お待ち下さい。私は王子宛ての伝言を受け取りました」

「誰から?」


「おそらくは〝烈風の剣〟の最初の持ち主です」

 その場にいた全員が息を飲んだ。

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