第24話 甘い砂糖菓子、王子の口へと運ぶ。
ドレスからデイドレスへと着替えて、私は王子の寝室へと戻った。王子は静かに眠っていて、安堵の息を吐く。枕元に置かれた椅子に座ろうとして、シャイエに声を掛けられた。
「ジュディット様、お食事はいかがでしょうか」
シャイエがワゴンに乗せられた料理を差し示す。食欲はなくても、王子のように倒れては周囲に迷惑をかけてしまう。お礼を述べて、焼いた卵や肉が挟まれた小さなパンを摘まみ、温かいスープを飲むと体が熱を帯びていく。
「本日の王子のご予定をお伺いしたいのですが」
シャイエに問いかけると、ふわりと優しい笑顔が返ってきた。
「今日は予定は入っておりませんから、お二人だけでお過ごしいただけます。明日は中央神殿へ向かう予定ですね。女神への祭祀と、ジュディット様の神力量の測定を行うと聞いております」
「この時期に王子が女神への祭祀ですか?」
豊穣を祝う秋と年末年始、王族は中央神殿で女神へ祈りを捧げる祭祀を行う。それ以外の祭祀を行うのは神力を持つ神官のみと思っていた。王子は魔力属性のはずなのに。
「公には知られていませんが、我が国の王族男子はその力の属性や力量に関係なく、二月に一度、中央神殿で祭祀を行うことになっております。他の皆様は三日前に済ませていらっしゃいます」
王族男子のみなら、王女が参加していなかった理由もわかる。
「明日の予定は承知致しました。もしよろしければ王子の公務のご予定を共有したいのです。書面には出来ないと思いますので、口頭で構いません」
書類でのやり取りは外部への漏洩にもつながりやすい。王女の公務予定の伝達は基本的に口頭で行われ、その都度頭に叩き込んでいた。
私の言葉を聞いてシャイエの笑顔がさらに優しくなり、背後でティエリーが噴き出すように笑う声が聞えた。
「し、失礼しました。美しい婚約者に護衛される王子がうらやましいと考えてしまいました」
きっとそうではないだろう。ティエリーの謝罪の声は、笑いに震えている。
「正直に言って下さって結構です」
「……王子が無理をしてでも格好を付けたがるのがわかります。ジュディット様の方が数倍凛々しいです」
ついには壁を叩いて笑うティエリーの頭に、無表情のジュリオが拳を落とした。
「失礼致しました。こいつが本気で笑い出すと拳でなければ止まりませんので」
「ううっ、ジュリオが酷い……」
うずくまって頭を抱え痛みに耐えるティエリーと、涼しい顔をしたジュリオ。いつものことですと笑うシャイエ。どうやら、表向き上品に見える側近たちの実態は騎士仲間と変わらないのかもしれない。
シャイエから王子の公務予定を聞きながら、私は逃亡する機会を考えていた。
◆
王子が目覚めたのは夕方近く。私はその間に側近たちと魔鳥について情報を交わしていた。王子は騎士ブノワやエクトルには話さなかった〝華嵐の剣〟について、側近には話していたらしい。
やはり王子は毎夜、王城へと戻って側近たちと話し職務をこなしていた。話を聞けば聞く程、最低限しか眠っていなかったのだろうと推測できる。これでは空腹でなくても倒れるのは時間の問題だった。
「王子、お目覚めですか?」
私が声を掛けると、ほわほわと笑う王子が掛け布で顔を半分隠してしまう。王子の眉は困ったようにひそめられていても、その顔色は良くてほっとする。
「王子、倒れたことを恥じることはありません。王子の多大なるご尽力を頂き、私は本日、人生で一番の願いを叶えることができました。心より感謝を申し上げます」
王女から義姉と呼ばれ、美しい婚礼姿も見る事ができたのも、すべては王子のお陰。今日の思い出があれば、この先何があっても生きていけると思う。
『……ジュディット様、それでは追撃にしかなっておりませんよ。きっと言葉よりも行動の方が喜ばれます』
そっと横から囁いたのはシャイエ。私は何か言葉を選び間違えたのだろうか。行動と言われても、どうすればいいのかわからない。
『我々を気にすることなく、どうぞ普段どおりお心のままに。我々は何が起きても見ないふりを致します。さあ、どうぞ』
からかうように囁くのはティエリー。同意するようにジュリオが頷く。何が起きるというのだろうかと首を傾げる。
「聞こえてるよ……」
王子が掛け布を被ってベッドに沈んでいく。慌てて枕元に駆け寄って、王子の手を握る。
「何かお気に触ったのなら謝罪致します。私は心から感謝しております」
「……ジュディットが喜んでくれたなら、嬉しいよ……」
掛け布の隙間から王子の金髪がちらりと見えていて、すねた金色の子犬に見えて微笑ましい。
「ジュディット様、夕食までは時間がございますので王子にお菓子を差し上げて頂けますか。我々は一旦、外に出ております」
微笑むシャイエが枕元の小テーブルに置いていったのは、王子が港町で買っていたお菓子の包み。そういえば、旅の途中で食べると言っていたのに袋を開けてもいなかった。
小袋を一つ取り出すと、中身は白、ピンク、緑、黄色、紫と優しい色合いの小さな砂糖菓子。確か炒った豆が包まれていると聞いた。
「王子、お菓子はいかがでしょうか」
三人の側近が出て行くと、王子がそっと掛け布から顔を出した。今朝の王女の婚姻式での颯爽とした王子の顔とは程遠く、まさにしょんぼりとした子犬。
半身を起こしてベッドに座った王子に紙袋を手渡そうとしたのに、王子は受け取ろうとしない。
「……あーん」
激しい既視感にめまいがした。拳を握りしめた瞬間、王子が恩人だと思い出す。これはいけない。ここで多少は恩を返しておかなければと思い止まった私を褒めて欲しい。
豆菓子を一つずつ、王子の口へと運ぶ。ぽりぽりと小気味いい音が聞こえ、手にした袋からは甘い匂いが立ち上る。
「いかがですか?」
「とっても美味しいよ」
「これなら馬車の中でも食べることができそうですね」
「そうなんだけど……男が外でお菓子を食べるのは、どう思う?」
「拝見したことはありませんが、男性が甘い物をお食べになっても良いのではないでしょうか」
私の周囲の男性で、甘いお菓子を食べる者は誰もいなかった。……よくよく考えてみれば、それは表面上のことで、私が見ていない所で食べていた可能性もある。
「……普通、王族や貴族の男が甘いお菓子を食べることはない。材料の一つである砂糖は女性のものであり、庶民のものであるからね。……僕がお菓子を食べるのは、理由があるんだ」
「僕の場合、魔力を使い過ぎると酷い頭痛がする。薬は効かなくて魔力が回復すれば収まるけど、それまではじっと平気な顔をして耐える必要がある」
「まさか……ずっと頭痛を我慢していらっしゃったのですか?」
頭痛は些細なものでも、耐えがたいというのに。
「頭痛を我慢するのは子供の頃から慣れているよ。誰も気が付かない程度には誤魔化せる。側近も護衛騎士も誰も気づいてないと思う」
笑う王子が私が摘まんだ豆菓子を口に入れる。これまで、何度限界まで魔力を使わせてしまったのか、考えるだけで血の気が引いていく。王子が頭痛に苦しんでいるなんて全く気が付かなかった。
「不思議だけど、甘いお菓子を食べると頭痛が消える。極力、魔力を使い過ぎないようにはしているけど、不可抗力はあるし無意識に魔力を使い過ぎることもある。そんな時に食べるんだ。……ありがとう。頭痛が治まった」
何も言えなくなった私の手から、王子がそっと袋を取り上げて豆菓子を摘まむ。
「ジュディットも食べてみる? 美味しいよ」
口に入れられた豆菓子から甘い味が広がる。ほっとするような優しさに心が解けていく。
「噛むと香ばしい豆の味がするよ」
言われるままにかみ砕くと、炒った大豆の風味が砂糖の甘さを和らげる。これはいくらでも食べてしまいそうな、癖になる味。
「……そういえばさ、店員が勧めてくれたお菓子があったよね」
「そうでしたね」
胡散臭い菓子だったと思い出しながら大きな紙袋の中を探ると、茶色の
王子の目の前で包みを解くと、強烈なお酒の匂いと甘い香りが部屋に充満する。
「こ、これは……」
中身は強い酒をたっぷりと染み込ませた四角いケーキ。乾燥果実とナッツがちらほらと見えて美味しそうではある。……『一緒に食べた恋人たちは、必ず結ばれる』というのは、酔って前後不覚になってしまうということではないだろうか。
「一緒に食べようか?」
きらきらと目を輝かせる王子が、どんなに可愛い子犬のようでもこれだけは承諾できない。酔って記憶が無くなる経験は二度とあってはならない。
「こちらは、また今度に致しましょう」
きっちりと包み直したケーキを、私は袋の奥底へと戻した。
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