第26話 聖なる指輪、王子の指に輝く。

 神官長の勧めで私たちは神殿の応接室へと場所を移した。王子は私をソファに降ろし、支えるようにして隣に座る。王子に負担を掛けてはいけないと思っても、体の芯が麻痺しているようで自分の力で真っすぐに座ることもできないのが口惜しい。


「……封印は五百年……犯人は魔物の封印を解いたのではなく、三十年前に期限が切れたということか」

 私の話を聞いて、王子が口を開く。


「僕と同じ色の瞳なら王族か高位貴族の可能性が高い。五百三十年前なら、第二代国王フレデリクの治世だ。残念ながら当時の絵姿は一切残っていないな。我が国はまだ動乱の最中にあった」

 王子たちによる王冠を巡る戦いが起き、内戦状態だったらしい。


「封印を解いたのではないのなら、関係のある魔術師を探さなくてもよくなりますね」

 ティエリーの言葉に王子は首を横に振る。


「供物を捧げるだけで魔物を制御できるとは思えない。強い力を持つ魔術師が関わっていると僕は考える」

 強い力を持つと聞いて港町の魔術師ユベールの顔が思い浮かび、思わず服の隠しポケットに入れたペンダントにそっと手をやる。そうは言っても同年代。三十年前なら生まれる前のことで関係性が見当たらない。それに王子が命の恩人と言っていたのだから関わっていることはないだろう。


「この魔物が魔力だけでは倒せないというのは納得できる。魔物が使役すると思われる魔鳥は神力で完全消滅させることができた」

 いくつもの村を襲っていた魔鳥を、王子と一緒に退治したことを思い出す。たった数日前のことなのに、昔のことのように感じてしまうのは何故なのか。王子の剣技は私を遥かに上回っており、手を繋いで戦うことに、違和感もわずらわしさも感じない。


「……それでは、次の満月に決行ですか?」

 ティエリーの問いに、王子は再び首を横に振る。

「あと十日では準備が間に合わない。……正直に言うと、僕の体調を万全に整えたい。次の次、四十日後にしたいと思う」

 それは違うと思った。王子が気に掛けているのは私の体調。この麻痺が取れなければ、足を引っ張るだけと思うと口惜しい。


「ジュディット、何か聞きたいことはある?」

 王子の指がそっと唇に触れて、自分が強く唇を噛み締めていたことに気が付く。


「……何を決行するのですか?」

「魔物は満月の夜に、とある場所に現れることはわかっている。これまでは誰も姿を見る事はできずに、禍々しい魔力を感じることしかできなかったんだ。魔物の正体を探り、力のある者を呼び寄せて倒す計画を準備している」


「それでは、私が同行いたします」

「……僕はジュディットが同行しなくても良いようにしたい」

「何故ですか? 私がいなければ、魔鳥の姿は見えません」


「……手を繋いで戦う状況では、お互いの剣技が活かしきれない。何故ジュディットが魔鳥を見ることができるのか理由を解明して、他の人間も敵が見えるようにしなければ負担が重すぎる」

 私が足手まといだと厳しいことを言いながらも、王子は私を最前線に出さないようにしたいという意図がわかる。……その気遣いが、くすぐったい。


「ジュディット様が指輪をお作りになるというのはいかがでしょうか」

 唐突に口を開いたのは、茶褐色の長い髪を一つに結んだ神官。

「ドニ、それで魔鳥が見えるようになるのか?」

 王子の言葉で、神官の名前を知った。この神官が唯一私が指輪に選ばれたと当てたドニか。顔をよく見れば、何度か神殿の儀式で見かけたことがある程度。


「それは試してみなければわかりません。これまで同行した神官は、私を含めて誰も魔鳥の姿を見る事ができませんでしたから、ジュディット様は特異な神力をお持ちなのだと想像はできます。指輪でなくてもジュディット様の御力が込められれば良いのではないかと。先程お倒れになる前に測定結果が一瞬出ましたが、歴代の神官長を超える神力量をお持ちですので、聖具を作ることができるのではないでしょうか」

 聖具とは神力を込めた物品のことらしい。初めて聞いたけれど、魔力を込めて作られる魔具があるのだから、その逆があるのは当然か。


「ジュディット、試してみてもらえるだろうか」

「はい。もちろんです」

 私の力が役に立てるのなら、それは望外の喜び。何故か目を輝かせる王子に向かって私は頷いた。


      ◆


 昼近くになると、麻痺していた体の芯が徐々に力を取り戻した。隣に座る王子には、絶対に身代わりにならないようにと言い続けたので自然治癒なのだと思う。


 私が回復したのを見計らい、神官長と神官ドニ、側近のティエリーを交えて昼食会が始まった。皆の慣れた雰囲気を見ていると、度々こういった会食が行われているのだろう。野菜がたっぷりと入ったスープと肉や揚げた魚が挟まれた数種類のパンが籠に盛られてテーブルに並び、それぞれが好みの物を取る。


「この部屋は神力によって、常に防音結界が張られていますから何を話しても外部に漏れることはありませんから安心して下さい」

 ティエリーの説明で安堵した私は、パン一つだけで手を止めた王子の口に、揚げた魚が挟まれたパンを突っ込む。


「もう少しお食べ下さい。またお倒れになられると困ります」

 パンをもそもそと咀嚼する王子の耳は赤い。餌付けしているようで恥ずかしいと思っても、王子が倒れた光景を二度と見たくない。ドニとティエリーの噛み殺した笑い声は、聞こえないふりをする。


「これで王子の苦手な野菜も減りますね」

 笑う神官長によると、揚げた魚と一緒に挟まれた葉野菜が王子の苦手なものらしい。同じ物を食べても私は気にならなかった。


「苦手だったのですか?」

 港町の料理店でも、この葉野菜は使われていた。あの時は普通に食べていたように記憶している。

「……王族が苦手な食べ物があるなんて、外では言えないからね」

 王族の嗜好は、国民に影響を与えることはある。好きだと言えば売れ、嫌いと言えば売れなくなる。そう言われれば、王女は何かが嫌いと言ったことは一度も無かった。


「昔、王族の一人がカボチャが嫌いだと言ったら、全く売れなくなって栽培を辞める農家もあったらしい。一時期、カボチャの生産量が極端に減って高級品になったと聞いている。慌てて王妃がカボチャが好物と噂を流して生産量と価格を元に戻したそうだ」

 ここで食べる時には葉野菜を抜いて食べているのに、私の前でそれはできなかったらしい。


「苦手なら苦手と正直におっしゃって下さい。子供のように嫌いな野菜を残されても、私は全く気にしません」

「……大丈夫。もう食べられるよ……」

 耳を赤くしたままの王子は、自ら揚げた魚のパンを手に取った。


      ◆


 昼食が片付けられた後、側近のシャイエが箱を持って応接室へ入ってきた。

「指輪をお届けに参りました」

 木箱の中にはさらに美しく彫刻された白い箱が入っていて、エメラルドがはめ込まれた金の指輪が現れた。


「ジュディット、これに神力を込めてもらえるかな」

 王子の手から渡された指輪は、男性の為の簡素な意匠デザイン。全体的に装飾文様が彫られ、宝石は埋め込まれているので段差は少ない。これなら、王子が左手で剣を振るっても邪魔にはなりにくいだろう。


 神官長に教わったように両手で指輪を包み込み、目を閉じて息を整えると、手の中の指輪からは心地よい清浄な気を感じる。宝石からなのだろうか。


 自らの体から発する白い光が指輪に集まっていく光景を想像する。最初は全く浮かばなくても、何度も繰り返すうちに想像できるようになった。


 体が熱くなり、白い光と熱が指輪へと流れ込む。しばらくして流入が止まった。

「……どうでしょうか……」

 恐る恐る手を開くと、指輪は光り輝いている。覗き込んだ王子と神官長が、驚きに目を開いた。


「これは……素晴らしい! 清らかな力に満ち溢れております」

「まさか、初めてでこれ程の神力を込められるとは思いませんでした」

 神官長が絶賛の声を上げ、ドニも指輪を見て驚きの声を上げた。


「……ジュディット、その指輪を僕に嵌めてもらえるかな?」

「はい」

 王子が差し出す左手の指に指輪を嵌めると、一瞬赤い光が煌めいた。


「これで、お揃いだね。ジュディット」

 耳を赤くして、ほわほわと笑う王子の言葉で気が付いた。指輪の装飾文様は、私が嵌めている〝王子妃の指輪〟と同じ。全体の形は違っていても宝石の形は似ている。……エメラルドは私の瞳の色に近い。


「……お待ちください。違う指輪にしましょう」

 これはきっと結婚式で女性が男性に嵌める指輪。そのことを思い出した私の頭から音を立てて血の気が引いていく。慌てて王子の指輪を抜こうとしても抜けない。焦る私を王子が何故か抱きしめる。


「お、お、お、王子?」

 人が見ていますからお辞め下さいという言葉は、王子の衝撃的な言葉でかき消された。


「固定結界張っちゃった。僕が命を落とさないと抜けないよ」

 ほわほわと笑う王子の腕を、私は力いっぱいつねり上げるしかなかった。 

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