第37話 王子への餌付け、目撃される。

 そっと二人で宿屋から抜け出してみると、石畳で覆われた街道の両側に店が立ち並ぶ。街道を通り抜ける荷馬車や馬の姿が多く、客が少なくても賑やかと感じる。

 夕方の空を背景に、道沿いに並ぶ柱の上から下げられた魔法灯が次々と明るくなる光景が幻想的で、まるで童話か夢の世界に入り込んだような気持ちになる。ましてや私の手は王子に握られていて、隣を歩く王子のほわほわとした笑顔がますます現実世界とはかけ離れていた。頬が少々熱いのは、きっと気のせい。


 菓子店の看板が下がる店の扉を開くと、ふわりと香ばしい焼き菓子と甘い匂いに包まれた。店内には数名の客がおり、高価な透明ガラスで作られたケースの中に並べられた菓子を選んでいる。

 〝魔女の森〟という名に沿っているのか、壁や装飾は暗い色合いで怪しい雰囲気を醸し出している。そうはいっても隅々まで美しく清掃されて王都の店にも劣らない内装を見ると、辺境伯の庇護下にいるという話が真実味を帯びてきた。客の中には、貴族の従者と思われる者もいる。

 ケースの中に並ぶのは、王都や港町の菓子とは違う色彩。王都の菓子は淡く優しい白に近い上品な色合いで、港町の菓子は優しい色でもくっきりとしていた。目の前に並ぶ菓子は赤や黒、紫に橙、緑や青という強烈な色。

 籠に盛られたクッキーは猫やコウモリの形。焼き菓子には蜘蛛の巣模様が描かれていて目を楽しませる。


 赤い口紅と黒い服が印象的な店員の女性たちが、客の注文を受けて紙袋や紙箱に優しく菓子を詰めていく光景が興味深い。港町での豪快な袋詰めとは全く違う。

「何か食べてみたいものはある?」

 きらきらと目を輝かせる金色の子犬のような王子が可愛らしくて、頬が緩む。王子に食べさせやすい物をと考えながらケースを二人で覗き込む。

「そうですね……あの焼き菓子はいかがでしょうか」

 目を引いたのは、猫の肉球型の焼き目がつけられた一口大の焼き菓子。クッキーとは異なっていて、中に何かが入っているのか山状に盛り上がっている。店員の説明では、ナッツのクリームやジャムが入っているらしい。

「とっても美味しそうだね。じゃあ、それと……リンゴ飴はどうかな?」

 王子が指さす先、小さなリンゴが真っ赤な飴をまとってキラキラと輝いている。初めて見る菓子の味が想像できない。

「収穫祭の時期に王都の屋台でも売ってるよ。あっちは普通の大きさのリンゴだから、一個食べるのも大変だ」

 秋の頃、王都にある広場では国中から集まってくる商人たちが屋台を並べて市を開く。王女も数回視察に訪れたことがあり、何を売っているかまでは把握できなくても、その雑多な賑わいだけは知っていた。


「リンゴ飴はすぐに食べないと溶けてしまうんだ。夕食もあるから、これはジュディットと僕で一つずつでいいかな」

 そう言って笑う王子は、日持ちのしない菓子と焼き締められていたり砂糖で包まれて日持ちする菓子を次々と注文していく。私が少しでも興味を示すと沢山買おうとするので、数を制限するのが精一杯。

 あっという間に大きな紙袋が二つ満杯になってしまった。王子が代金を慣れた様子で支払い、紙袋を二つとも片腕に抱えてしまう。

「あ、あの……私も」

 運ぶと申し出る前に、王子に再び手を掴まれた。

「僕の両手が塞がっちゃったから、扉を開けて欲しいな」

 ほわほわと微笑まれると、先程から熱を感じている頬がさらに温度を上げていく。扉を開いて店の前に出た途端、見覚えのある三人が柱の陰へと身を隠したことを視界の端で捉える。


「……何をしていらっしゃるのですか?」

 私の問い掛けに、ガヴィとティエリーとジュリオが目を泳がせながら柱から姿を現した。三人のすぐ近くには大きな窓があり、覗くと店内が見渡せる。まさか王子と私が買い物をしている所を見ていたのだろうか。……護衛騎士として、窓の外へ気を配ることができなかった失態を感じて頭が痛い。

「申し訳ありません。初めて訪れる店で、少々浮足立っておりました」

「ジュディット様、謝罪の必要はありません。お二人の護衛任務は我々にお任せください」

 いつになく真剣な表情でティエリーが答えた直後、噴き出すように笑い出し、ジュリオが苦笑しながらティエリーの口を塞ぐ。やはり気が抜けた姿を見られたのかと気まずい思いをする私の横で、王子はますます笑顔になっている。

「先に皆で夕食にしようか」

 上機嫌でしっぽを振る金色の子犬のような王子の言葉に、私は頷くしかなかった。


      ◆


 〝魔女の森〟には二件の酒場があり、それぞれが得意とする料理を持っていて、酒よりも料理で固定客を呼んでいるとガヴィが解説してくれた。

「肉料理なら、こちらの店。魚料理なら、あちらの店ですね。どちらも美味い料理を出してくれます」

 レンガで作られた店構えはどっしりとしていて、窓から覗く店内は薄暗く魔法灯が下げられている。ここは酔っての乱闘などの心配はないのかもしれないと思いつく。


 宿に近い方がいいだろうと目の前の店を選び、五人で店の扉をくぐる。

 扉の中は薄暗い灯り。磨き込まれて艶のある木の床と壁のレンガの色が似ている為か土の中の穴倉あなぐらにも見える。あちこちに黒猫やカラスを模した置物が飾られていて、見る場所によっては目に嵌め込まれたガラスが光を反射する。

 どこかしら物語に出てくる魔物の巣のような不気味な雰囲気を醸し出す酒場の店員もすべて女性。薄暗くても酒場でよくある猥雑な空気はなく、歓談する男性客たちも明るく健全な話題ばかり。魔女の不興を買うと裏の森で魔法薬の材料にされてしまうという噂の効果なのだろうか。


 日が落ちた直後の店内は八割程度座席が埋まっている。窓際のテーブルに案内されて素朴な椅子に座ると、ガヴィがちらりと窓の外に視線を移しながら口を開く。

「ここは面白い店でしてね。店員の口が堅いと評判です。個室がありますので、秘密の話をしたい人々が集まってきます」

 ガヴィの視線につられて窓の外を見ると、見覚えのある貴族男性が紋章を隠した馬車から降りて裏口へと向かう姿が見えた。

 私を含めて全員が名前を承知していても、口には出せない。そっと目配せして何事も無かったかのように振る舞いながら料理や酒を注文する。


 テーブルに並べられた料理は、肉が詰まったパイ数種類と野菜がたっぷり入った赤いトマトスープ、溶けたチーズがたっぷりかかったパン。小さく丸い芋の揚げ物は様々な味がつけられていて、酒のつまみにとても合う。

 食事の挨拶を行った後、料理を口にしながらふと考える。辺境伯が〝魔女の森〟を護るのは、不遇な女性たちの保護という目的と安全な情報交換の場を提供するという二つの目的があるのだろう。他にも目的があるかもしれない。単に慈悲深いという訳ではなかった。

 今の私は、王女と過ごしていた頃とは違う世界を見ているのだと痛感する。周囲に護られて美しく整えられた世界だけを見せられていた。光があれば影があると物語で当たり前のように語られる言葉が重い。眩い光もあれば暗い光もあり、濃い影もあれば淡い影もある。

 人々の思惑が複雑に絡み合う世界に突然放り込まれても私が平気でいられるのは、隣に王子がいるからだと気が付いて、料理を口に運ぶ手が止まった。


「ジュディット、あーん」

 その声を聞いて視線を移すと、金色の子犬と目が合った。呑気に口を開く王子を見て、反射的に丸い揚げ物を摘まんで口元に寄せる。もぐもぐと笑いながら咀嚼する王子が可愛らしくて頬が緩んだ瞬間、誰かが酒でむせて二人きりでは無かったことにやっと気づく。

 餌付けを目撃されてしまったと恐る恐る視線を向けると、ジュリオが酒でむせ、ティエリーが口を開けたまま驚いていて、ガヴィは口笛を吹いた。

「……こ、これは……」

 お菓子の餌付けには魔力行使による頭痛を解消するという理由がある。食事の餌付けには理由がない。どう言い訳すればいいのかわからなくて動揺していると、頬に羞恥が集まっていくだけ。

「ジュディット、もう一ついいかな?」

「ご、ご、ご、ご自分でお食べ下さいっ!」

 揚げ物の皿を王子の前に置き、私は料理を食べることに専念することにした。

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