第11話 三百年の呪、あっさりと浄化される。
気のせいか輝きを増した〝王子妃の指輪〟に視線を落とすと、自らの愚かさへの後悔しか感じない。……最上級の剣に目がくらんでしまった。完全に物で釣られたことが恥ずかしい。
「指輪に上手く収まってくれたね。きっとジュディットは〝華嵐の剣〟に選ばれたんだよ」
ほわほわとした笑顔の王子は緊張感もなく、おそらくは私を物で釣ったとは考えていないのだろう。完全に私の失態。自業自得という言葉が重い。
〝華嵐の剣〟を一生持つと誓ったのだから、剣は手放せない。王子の魔力を奪う前に剣を呼び出して、指輪を外し剣だけは確保する。それしかないと心に決めて、前を向く。
「受け取ってくれて良かった。今まで師匠の剣を眺めては、俺にはこれを超える剣は作れないと諦めていたが、これで俺は迷うことなく俺自身の最高傑作を目指すことができる」
ロランの顔は晴れ晴れとしていて、剣を受け取れたことは良かったと思える。物に釣られた後悔と剣に選ばれた歓喜と先の不安。ぐつぐつと煮える魔女の鍋のような複雑怪奇の心を抱えつつ、微笑み返す。
「そういえば、腕の良い鍛冶屋は精霊の加護を受けていると聞いたのですが、貴方も加護を?」
「ああ。俺を加護してくれているのは土の精霊だ。俺の鎚の音を気に入ってくれているし、気が向くと手伝ってくれる。紹介したいが恥ずかしがり屋なんで、人前には出たがらないんだ」
「それは残念です」
この世界に実在するという精霊は様々な姿形をしていると聞いていても、ささやかな神力しか持たない私には見ることのできない遠い存在。王族にすら精霊の守護を受けている者はいないというのに。
店の中に戻り、他の客が訪れた頃合いで私たちは帰路に就いた。
◆
夕食を終え、私は王子を早々に寝室へと送り込んだ。剣の封印には相当多量の魔力を消費したに違いなく、欠伸を噛み殺す瞬間を見てしまえば眠ってもらうしかない。
「ジュディットも一緒に寝る?」
耳を赤くしてほわほわとした笑顔で言われると、背筋にぞわりと悪寒が走る。
「辞退致します。どうぞお一人でゆったりとお眠り下さい」
握りしめた拳を隠し、自分でも不自然とわかる笑顔で返せば王子が眉尻を下げながらベッドに入り、顔半分を掛け布で隠す。
しょんぼりした金色の子犬といった姿が可愛い……かもしれない。そんな一瞬の幻影を打ち壊し、背筋を伸ばす。就寝の挨拶を交わすこともなく、すぐに眠りに落ちた王子の姿を見て不敬な妄想を知られなくてよかったと、どきどきする胸をなでおろす。
顔半分を覆う掛け布を少し下げ、柔らかそうな金髪に伸ばした手を握りしめて止める。これ以上、王子に親しみを感じてはいけない。私は王子の前から姿を消す運命なのだから。
清楚で美しく控えめなアリシアの方が王子妃にふさわしいのは明白。公式行事で王子の隣に静かに立っていた姿を思い出すと胸が痛む。
何故、完璧な貴族令嬢であるアリシアを踏み台にしたのだろうか。アリシアには何の瑕疵もありはしないのに、王子から婚約を解消されたというだけでこの後の人生が変わってしまう。
〝王子妃の指輪〟が選んだという理由で、アリシアの父は納得するだろうか。娘の人生を踏みにじられたのだから、相当な恨みを買うことになるという想像は容易い。王家に次ぐ権力を持つバルニエ公爵家が貴族たちを扇動して王家に仇なすことがあれば、内乱に発展してしまう。
王子は何らかの手段を講じているのだろうか。いくら考えてみても良い方法は思いつかない。
やはり私が指輪を外し、この国から姿を消すことが最善の策。密やかな溜息と共に結論を確認し、与えられた部屋へと繋がる扉を開く。
控えていた侍女の手伝いを断り、花茶を淹れることだけをお願いして退出を促す。浴室を使い濡れた髪のまま部屋着を羽織り、冷めた花茶を口にすると肩の力が抜けていく。
指輪は相変わらず抜けない。
「……
溜息混じりに呪文を口にしても、何も起こらない。指輪から分離できなければ困ると考えた所で、名前を呼ぶことを思い出した。
「開錠、〝
名前を口にすると、周囲の空気が変わった。リボンのような白い光の魔法陣と花びらが指輪から溢れ、花びらが剣を形作る。その柄を掴むとすべては消えて煌めく剣身が現れた。
その細身の刃は、とても艶めかしくて美しい。魔法灯の光にかざして振ると、白い光の粒が煌めく。もしも剣に性別があるのなら、これは女性なのかもしれない。
「……鞘はどこかしら……」
私の呟きに応えるように、再び指輪から溢れた白い花びらが鞘を形作る。現れた鞘に剣を収めて、指輪と完全に分離できたことに安堵の息を吐く。
分離した時の為に専用の剣帯を作ろうと決めた所で、指輪に戻す方法を聞いていなかったことに気が付いた。
「……えーっと。……封印?」
王子の言葉を繰り返しても、剣は変わらず私の手元に。
「……指輪に戻って」
その一言で、剣は白い花びらになって指輪に吸い込まれて消えた。不思議な指輪は輝きを増し、何事もなかったかのように部屋は静寂を取り戻した。
◆
朝食後、何度も欠伸をする王子を再びベッドに沈め、私は庭で〝華嵐の剣〟の試し斬りを行っていた。遊戯室から運んだ丸太を台に設置し、敵に見立てて肩から反対側の腹までと斜めに斬り降ろす。
その斬れ味は小気味いい程鋭く素晴らしい。人の胴と同じ太さの木が、大した力も必要なくすっぱりと二つに斬れた。斬り口に乱れもない。剣身は硬さもありながらしなやかで、折れる心配もない。
美しい見た目だけの装飾剣というものもある。主に儀礼用に使用され、実用向きではない美しい剣。それとは全く違って、この剣は実用性もある上に刃が欠けることもない。
素晴らしい。ただ、感嘆するしかない。私が今まで見てきた剣の中で、最上級の剣を所有できた喜びを噛みしめる。
緩みかけた思考の中、人の気配を感じて剣を構える。
「そこにいるのは誰?」
「俺だ。とんでもない神力を感じて来たら、お前だったとはな」
仏頂面で現れたのは、淡い茶色の髪、金茶色の瞳を持つ魔術師ユベール。
「神力?」
「ああ。……ムカつくが、お前とその剣から感じる」
「私の神力は微量よ」
「それなら、その剣がお前の神力を増幅させているんだろう。……下手な魔具なら浄化の一撃で壊せるな」
「浄化できる程の力はないわよ」
「あぁああああ、自分の力の自覚のねぇヤツはムカつくな! 今のお前は王城の神官長より神力あるぞ! ほれ、試してみろ!」
ユベールはローブの懐から指輪を取り出して地面に投げつけた。指輪から黒い煙が現れて、人よりも大きな蛇の姿に変化する。
「は? 何のつもり?」
「動かねぇように俺の魔法で縛ってるから心配すんな。それは呪いの塊だ。浄化すると念じて斬ってみろよ。それとも蛇が怖くて斬れないのか?」
少女趣味の変態に、勝ち誇ったような笑みを浮かべられて腹が立たない訳がない。ムカつく心を抑え、剣を構える。
鎌首をもたげた蛇は黒く、目は赤い。体はユベールの魔法で押さえられていても、音を立てて赤い舌を出し入れし獲物である私との距離を測っている。
禍々しい空気が一層濃くなった。
「……おい、マジで無理なら素直に言え。縛りの術は永遠じゃない」
「無理な訳、ないでしょ!」
ユベールへの怒りを呪いへの怒りに変えて跳躍し、浄化を念じながら蛇を斬る。白い光をまとう刃は、あっさりと蛇の首を斬り落とした。
「マジかよ……こいつを一撃か?」
ユベールの呆れたような声の中、蛇の首は転がりながら煙のように消え去った。残った胴体は、砂になって消えていく。
「何なの? 一撃じゃ無理だと思ってたの?」
「お前なぁ……お前があっさり浄化した呪いは、三百年間誰も解呪できなかった強力なヤツだ。俺も二日前に依頼を受けてどうするか考えてた所だぞ」
ユベールは指輪を拾い上げて苦笑する。指輪は二つ存在していて、片方の指輪を嵌めた者は愛する者に指輪を嵌めて殺してしまう。数日前、馬鹿な貴族の男が酔った勢いで粋がって指輪を嵌めてしまい、朝になって慌ててユベールの元に助けを求めにきたという。
「……待って。それって、私にお前の仕事を肩代わりさせたってことじゃない」
「ま、硬い事いうなよ。何なら酒でも何でもおごってやるぞ」
「……これは貸しにしておくわよ」
ユベールと酒や食事を共にする気にはなれない。どうしても最後は酔った勢いで決闘に行きつくと思う。
「で、魔具は出来たの?」
まさか何の用もなしに、ただ強い神力を確認しに来たという訳ではないだろう。ユベールは目を細め、意味深な笑みを浮かべた。
「もちろん。今の所、俺の最高傑作だ」
そう言いながら、魔術師はローブの懐から小さな箱を取り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます