(その10)
「ということは、その金華堂というのが版元なのかねえ」
浮太郎が耕書堂たずねて、深川の弥勒の熊吉から手繰って法恩寺橋たもとの瓦版屋から下谷広小路の金華堂にたどりついた話をすると、予チラシを手にした蔦屋重三郎は、
「相当怪しいが、その金華堂は四十八手本の制作はしているのは分かったが、チラシに名前を載せて取次ぎをしているだけかもしれないし・・・」
と首をひねった。
「このネタを火盗に持ち込んで、あとはお調べくださいと申し出ることもできるのではないですか?」
と浮多郎がたずねると、
「それもありだが、あの山村同心にかかっては、突っ返されるのがオチだろう。現に、何の証拠もなしに、この蔦屋重三郎を版元と決めてかかっているのだから」
蔦重は自嘲の笑いを浮かべた。
「腕は二流三流で、怪しげな商売にからんでいるしょうもない奴らだ」
深川あたりの彫師や製本屋をあらかた知っている蔦重は、くさしこそしたが、どこを当たればいいとは言わなかった。
「ところで、ずうずうしいおたずねですが、今度の仕事で版元を探し出したら謝礼金などいただけるものでしょうか?」
とたずねると、不意をつかれたのか、蔦重は一瞬目を泳がせ、
「ああ、それは当然考えますよ」
と答えたが、腹の中では、『この若造め』と腹を立てたにちがいない。
泪橋にもどるころは、夏の日は遠くの山の端に傾き、残照が西の空を茜色に染め上げていた。
実家の小間物屋の前にふたつの影が立っていた。
盗っ人面をしたヤクザ者が、
「若親分、遅いお帰りで」
と、せいいっぱいの愛想笑い浮かべて小腰を屈めた。
睨みつけると、
「枕絵の予約をしに広小路くんだりまで来られたそうで・・・。それはそれでありがたいのですが、あまりあちこちで痛い腹をさぐられても困ります。親父の政五郎さんは半身不随で寝たきり、奥様は吉原で三味線を弾いているとか。どうかいたわってあげてください」
と、脅しの口上を立て板に水。
「どこの者だ?」
浮多郎が懐の十手に手を掛けて半歩踏み出すと、
「おおっと、それは知らぬが花」
とヤクザ者は飛び退った。
傍らの牢人者が肩をそびやかせ、すさまじい殺気を放ったので、脱兎のごとく逃げ出したヤクザ者を追うことはできなかった。
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