にせ写楽枕絵奇譚(その12)

浮多郎はいったん泪橋に引き上げてから、花川戸にもどり、製本屋の向かいの蕎麦屋の二階で張った。

五ツ過ぎに二階の明かりが消え、玄関の戸締りをするふたつの影が路上に現れた。

若い方の職人にあとをつけて、大川橋を渡った。

橋のたもとで声をかけて、屋台の蕎麦屋に誘うと若い職人はついてきた。

定次郎という若い職人は、この先の荒井町の実家から通っているらしい。

「この暑さなのに、精がが出ますね」

と慰めると、冷や酒をぐいとあおった定次郎はひと息つき、

「前に作った本の重版を特急で頼まれて・・・」

と正直に話すのに、

「もしかしてこの本では?」

と例の四十八手の解説本を懐から出すと、

「ああ、そうです。この本です」

と、純情そうな定次郎は頬を赤らめた。

「金華堂さんからの注文で?」

「いや、それは分かりません」

と首を傾げる若い職人は、本当に版元を知らないようだ。

だが、小粒を袖に落としてやると、

「・・・増刷が終わると、すぐにこの下巻にかからなくちゃいけないそうで。それはそれで大変です」

若い職人は酔ったせいか、あるいは小粒の力もあってか、こちらがたずねもしないことも教えてくれた。

「やはり、昼間はこの仕事はできないということで?」

「お上の目が厳しいので、夜やった方がいいというのが親方の考えです・・・」

そこまで言って、定次郎は浮多郎をまじまじと見つめ、

「あれっ、あなたは岡っ引きでしょ。こんな話はまずい。・・・聞かなかったことにしてください」

と言うなり、あわてて屋台を飛び出し、鉄砲玉のように深川の闇の中へ走り去った。



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