(その2)

一九は、日本橋通油町の耕書堂裏手の土蔵で、都座の秋興行の「けいせい三本傘」の役者絵の構図をあれこれ考えていた。

夏興行の歌舞伎役者の大首絵二十八枚で、圧倒的な成功を収めた版元の蔦重だが、秋興行の役者絵では新機軸を打ち出そうとしていた。

この方針の大転換は、東洲斎写楽の片割れの東洲斎が蔦重の元を去ったのがひとつの動機ではあったが、『あまりにも役者そのものの個性を前面に押し出しすぎて歌舞伎の様式美がまるで見えない』との歌舞伎界の大御所たちの批判を受け、蔦重は大首絵を一切止めて、彼らに迎合しようとしていた。

大御所たちの後ろには、役者絵を予約して大量に買ってくれるひいき筋が控えているのを、商売上手の蔦重はよく知っていた。

・・・秋興行の役者絵では、「芝居を演じる役者の全身像を描いて演目の物語をおのずと語らせるように」と、蔦重は一九に命じていた。

「こんな危うい絵を、いつどこで描いたんだ!」

一九を耕書堂の奥座敷に呼び出した蔦重は、一冊の春画本を突きつけた。

それをパラパラとめくった一九は、

「冗談じゃねえやい。こんなくだらねえ枕絵を描く暇が、どこにあるんでい。夏興行の大首絵を初日に間に合わせるために、寝食を忘れてやり遂げたのは、蔦屋さんだってご存じでしょうに。休む間もなく、次は秋興行だ。それもやり方を全部変えろという。おまけに、東洲斎はトンズラと来たもんだ」

と口を尖らせた。

『恋ぐるい四十八手(上)』という黄表紙を改めて手に取って見ていた一九は、

「ああ、こいつはマガイモノだ。たしかに、トーシロが見たら、東洲斎写楽が描いたと勘違いするかもしれねえが・・・」

と目を剥いた。

「さあ、どうかねえ。たしかに雑で稚拙で絵に品がねえ。・・・だが、東洲斎が左手で描けばこんな風になるかもな」

蔦重は苦く笑った。

「あいつは、蔦屋さんに見い出される前は、世を拗ねて枕絵を描いて暮らしていたそうだ。・・・こいつは大いにありえる話でしょうよ」

一九がまくしたてた。

「書名だけで作者も版元の名前もない。もちろん組合にも届け出てねえ。これは地下出版で流通している本だ」

つい先ほどまで、「お前だろう」と一九を責めていた蔦重は、今では腕組みして何事かを考えていた。

「書名を見てどう思う?」

「ああ、こいつは、四十八手本を初めて版行した師宣の『恋のむつごと四十八手』のパクリでしょ」

「師宣の枕絵には、寛永期の優雅さがある。・・・だが、こいつは、盛りのついた若造がやりまくるのをただ写生しただけだ。あまりに写実的すぎる。まるで下品だ」

「おことばですがねえ、四十八手の枕絵に気品もへったくれもあったもんじゃねえでしょうが。下品で写実的だからこそ、実利にかなっているんじゃあないですかい。それに、・・・実にそそる。今夜は吉原にでも繰り出しましょうよ。ねえ、蔦屋さん」

今度は一九が蔦重をやり込める。

・・・とんだ藪蛇だ。

「売れてるんですかい?」

「ああ、すごく売れてるね。そこが問題なんだ。お上がねじ込んで来るかもしれねえ」

「まさか、そんなことは・・・」

だが、蔦重の杞憂は杞憂では終わらなかった。

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