にせ写楽枕絵奇譚~寛政捕物夜話19~

藤英二

にせ写楽枕絵奇譚(その1)

「それじゃあ行ってくるよ」

寝たきりの女房のお春に向かって、幸吉は空元気の声をかけた。

この正月に子供を死産してから、お春は病に伏せっていた。

医者は、煎じ薬の特効薬を呑めば必ず治ると言うが、この薬は高価すぎる。

とても、貧乏絵師には手が出ない。

幸吉は故郷の下野では少しは名の知れた絵師だったが、得意の役者絵でひと山当てようと江戸へやって来た。

しかし、いくら描き溜めた役者絵を持ち込んでも、どの版元もまともに相手にはしてくれない。

『山出しの絵師では、いくら実力があっても版元に喰い込むことができないのか?』

駆け落ち同様にして江戸に出て来たお春が病んでからは、幸吉はただ焦るばかりだった。

そんな折、描いた絵を見るだけは見てくれる小さな版元の主が、自費で出版する本の挿絵を描く絵師を探しているお大尽がいる、と教えてくれた。

下谷広小路の、回春の媚薬やら性具などを扱う小間物屋をたずねると、鶴のように痩せた主は、幸吉が持ち込んだ役者絵の束を一枚一枚丹念に見やった。。

「お前さんの役者絵は東洲斎写楽の手にそっくりだ。これはどうかと思うよ。写楽はひとりでいいのでね。・・・だが、腕は確かなので、使い道はある」

と、ひとり合点した主は、四十八手の性技の解説本の挿絵を描かないかと誘った。

・・・気の進まない仕事だった。

だが、主は稿料の前金だと言って、幸吉の膝元に数枚の小判をポンと投げた。

・・・幸吉は、引っ込みがつかなくなった。

それから毎日、小間物屋・金華堂の主の下谷の練塀小路の別宅に通うことになった。

主の兼助は、この別宅に妾のお吉を囲っていた。

お吉と兼助が演じる四十八手の体位を描くと思ったが、背中に見事な滝登りの鯉を彫ったやせぎすの清太郎というヤクザ者が、お吉の相方を務めた。

主の兼助は、素っ裸のお吉と清太郎が絡み合う性技にあれこれ注文をつけるだけではなく、幸吉にも、顔の表情や手指足指の微細な表現にまで、口うるさく注文をつけた。

兼助は、写楽が成功したのは、歌舞伎の様式美を排除し、写実に徹底し、役者の内面まで描いたからだ、と講釈を垂れた。

それまでの枕絵のように、不自然なまでに陽根を誇張して描くのではなく、男女の性技を、それこそ写楽の雅号のように楽しんで写し取ってほしいと繰り返し言った。

この春の歌舞伎役者の大首絵で当てた写楽。

その写楽が、四十八手の枕絵を描いたらこんな風になるという春画本を作ろうとする兼吉の狙いはよく分かった。

だが、四十八手の体位を描くのも憚られるのに、さらにその上に、写楽の模倣をしろと兼吉は迫った。

・・・これは、お上に睨まれる二重に危うい仕事だった。

しかも、絵師として腕に自信のある幸吉にとって、これは屈辱的だった。

断ろうと何度も思ったが、すでに前金は医師の払いにおおかた使ってしまっていた。

それに、何よりも女房のお春が毎日通う絵の仕事があるというだけで、素直に喜んでくれた。

仕事の中身はとてもお春には話せない代物だったが、幸吉は今さら引くに引けなくなっていた。


小柄でいてふくよかな兼吉の妾のお吉は、色白のもち肌で、それこそ小股の切れ上がったいい女だった。

逆に、色黒細身の清太郎は、鉄芯でも入っているような長大な陽根を、いつでも反り返らせておくことができるという凄技があった。

少女のように可憐なお吉だが、旦那の兼吉の前でも平気で清太郎とまぐわい、嬌態をこれでもかと見せつけて恥じることがなかった。

兼吉の企画の優れて斬新なのは、四十八手のそれぞれの体位を連続絵で立体化して、からだの動きと女の喜びを最大限に見せることだった。

これは古今東西なかった筆法で、幸吉の力量を超えるものがあった。

・・・だが、この四十八手枕絵に、幸吉は次第にのめり込んでいった。

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