にせ写楽枕絵奇譚(その45)
日本橋葺屋町にもどったふたりは、桐座の前の通りのまだ明かりが点っている蕎麦屋に入った。
蕎麦と二合の酒を頼んでから、主にそれとなく表通りであった捕物のことをたずねると、
「そりゃあ大捕物だったね」
話好きな主は、目の前で見たという赤城の万次郎捕縛の顛末を、得意気に語りはじめた。
「牢人者同志の闘いは凄まじかったねえ。しばらく睨み合っていたが、万次郎の用心棒が天高く跳んで、若い牢人者の脳天唐竹割と来た。・・・ところが若い牢人者がすばやく用心棒の懐に入って、下から斬り上げたんで、哀れ用心棒は上と下とに泣き別れさ」
「で、その赤城の万次郎とやらは?」
幸吉が話をそっちへ持っていくと、
「ああ、捕まったね。捕り方が万次郎の上に団子のように重なって取り押さえた。こいつは、なんでも昨夜本所の反物屋に押し込み強盗に入ったらしい。そんな悪事を働いた翌朝に平然と芝居見物とは大胆不敵、・・・よほど芝居が好きな変わり者だったのか」
主はぺらぺらとよくしゃべった。
「信吉は?」
と言いかけたお遼が、あわてて、
「何でもその盗賊は三人組らしいねえ。・・・もうひとりはどうしたい?」
とたずねると、お遼の壮絶なほどの美貌にしばらく目を止めていた主は、
「さて、三人組ねえ・・・」
と言って首をひねると、調理場へもどっていった。
腹ごしらえしたふたりは、日本橋葺屋町を出ると、わざと遠回りして浜町河岸から柳橋を渡って浅草御蔵の前を通り、下谷広小路へ向かった。
・・・御徒町に着くころには五ツをとっくに過ぎて、辺りは真の闇。
とっくに店を閉めた春霞堂には明かりが点いていなかった。
「たしか、ご隠居が店をまかせた喜八という口の固い男がいるはず」
と、お遼が幸吉の耳元でささやいた。
幸吉が音を立てないように引戸の心張り棒を外して店に入り、しばらくあたりをうかがってから、帳場の四畳半の板間の燭台に灯りをつけた、
幸吉がふと不吉な思いに駆られて暗闇を透かし見ると、奥の六畳間に着流しの男が寝転がっていた。
屈んで燭台をかざすと、顎の下が真横に切れ、切り口からまだ血が滴っているのが分かった。
帳場の格子の内側に、蔵と書かれた木札にぶら下がった鍵をお遼が見つけた。
燭台を手にして、右奥の勝手口から裏庭に出て蔵の前に立つと、不意に物陰から飛び出した黒い影がお遼を背後から抱きすくめた。
「ご隠居のご恩を忘れてお宝を盗みに来るとは、ふてえ奴だぜ」
男がドスのきいた声で言った。
「あれっ、信吉さん」
男の腕をふりほどくと、
「喜八が殺されてたね。お前さんだって、ここへ何しに来たんだい。女房が死んだ旦那の財産をもらってどこが悪い」
口の達者なお遼は、負けずに言い返した。
信吉は、答えに詰まったが、
「女房だって?ただの妾じゃねえか。俺は、旦那と十年から盗っ人稼業をいっしょにやって、我が子も同然に可愛がってもらった。今度のヤマが終わったら旦那は引退して、あとはこの信吉さまが引き継ぐ約束だった。全部とは言わねえが、少なくとも半分はこっちのものだ」
お遼と財産の山分けを迫った。
「親分も、お前が可愛いからといって、芝居見物なんぞにのこのこといっしょに出かけたのが運の尽きさね。・・・だが、どうして火盗や奉行所が芝居小屋に押し寄せて来た。おいらには、そいつがどうにも合点がいかねえ。それに、絵師の幸吉がどうしてここにいる。親分を売って、ふたりで道行きかい」
手燭の明かりに照らされた信吉が、悪鬼のような形相で睨みつけた。
「お生憎さま。先手組のお目当ては旦那さまではなく、このお遼さまだったのさ。かどわかされて、山村さんに四谷の木戸あたりに連れ込まれてあわやという時に、この幸吉が助けてくれて・・・」
お遼は、山村との顛末を舌先も滑らか語ったが、信吉は得心したようには見えなかった。
「幸吉、その小太刀の血糊を信さんに見せておやり。幸さんが、山村さまをやっつけて助けてくれたんだよう」
急な成り行きに戸惑った幸吉だが、小太刀を鞘ごと渡すと、お遼はいきなり小太刀を抜き放ち、信吉の喉に突き立てた。
小太刀の切っ先は信吉の喉を突くには突いたが、少しばかり急所を外していた。
「畜生!」
懐から匕首を取り出した信吉は、すさまじい雄叫びを上げてお遼に突っかかったのでふたりは折り重なって倒れた。
下敷きになったお遼から信吉が起き上がるのを見咎めた幸吉は、地面に転がる小太刀を拾い上げると信吉を滅多刺しにして息の根を止めた。
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