(その46)
幸吉が、地面に転がった手燭の明かりをかざして見ると、信吉は当然だが、胸をひと突きにされて仰向けに倒れたお遼もすでにこと切れていた。
お遼の帯から鍵を取り出して蔵の錠前を開けた。
手燭の明かりで棚を見て回ると、右手の棚には張り形などの性具や朝鮮人参などの回春薬が整然と積み上げられ、左手には『恋ぐるい四十八手』が、他の春画本とともに二段に並べられていた。
その書棚の先に銭函が三つほど並んでいた。
それぞれを手で抱えてみると、三つとも重すぎてそのまま持ち出すことができなかった。
元々ここにあったのか、神田明神下の呉服屋から運び込んで来たものか、それは分からない。
ちょうど書籍などを運ぶための背負子が近くにあったので、銭函の中の小判と銀貨だけを性具の入った小箱に入れ替えた。
それから、お遼と信吉の死体を蔵の中に引きずり込み、扉を閉めて錠を下した。
小太刀を抱えた幸吉が、背負子を背負って裏木戸から出ると、暗い空から小糠雨が音もなく降ってきた。
上野山下を過ぎて三ノ輪の辻までやって来ると、いつしか小糠雨が本降りになっていた。
幸吉は、濡れネズミになりながら、そのまま千住を目指して歩いた。
「大将、背中の荷物が重そうじゃないか」
突然、横から声がかかった。
ぎょっとした幸吉だが、聞こえなかったふりをして足を速めた。
「手伝おうか?」
足どりのおぼつかない大柄な男が、横を歩きながらさらに声をかけた。
無視をしてどんどん歩くと、
「ひとが親切ごかしに声をかけたのに、知らんぷりとは薄情だねえ」
と大きなからだを寄せて来た。
「あれっ、お前さん血の匂いがするぜ。・・・こいつはいけねえ」
牛頭天王社にさしかかると、男は背負子に手を掛け、境内に引っ張り込もうとした。
そうはさせじと、幸吉が背負子を引っ張ると、乗せた木箱が地面に落ちた。
落ちた拍子に木箱の蓋が外れ、小判やら銀貨やらが玉砂利に散らばった。
「おやおや、お前さん、ひとを殺してお宝を手に入れたね」
・・・男は、酒臭い息を吐きかけ、どこまでも幸吉にからんでくる。
幸吉は、ひとを小馬鹿にする男に無性に腹が立った。
腰に差した小太刀を抜き放っていきなり男に突きかかると、
「おおっと危ねえ」
なりは大きいが敏捷な男は小太刀をかわしたように見えたが、脇腹を押さえて片膝を突いた。
「半分やるから、勘弁してくれ。・・・女房が待っているので」
手にした小太刀を見て驚いた幸吉は、半ば泣きながら哀願した。
「ひとを殺そうとしておいて、半分やるから勘弁してくれだって。・・・いやだね。こうなったら、お前さんの命ごと全部いただくぜ」
酔いが醒めたのか、それまでのからかうような口ぶりをかなぐり捨てた男の顔は、地獄の邏卒のような凄まじい形相に一変していた。
大男は、匕首を抜くなり切りつけた。
目にも止まらぬ速さで襲って来る匕首の切っ先をかわして、滅多やたらと小太刀を振り回しているうちに、大男は地面に転がった。
玉砂利に散ったお宝を拾い集めて背負子を背負った幸吉だが、あちこちに深手を負ったようで、傷口から血が滴っていた。
一段と強くなった雨と風に吹きさらされ、欄干につかまってよろけながらも、幸吉は何とか千住大橋を渡った。
・・・幸吉の女房のお春は、大家が集めてくる針仕事で忙しかった。
今夜も明かりをともして七五三の晴れ着に針を通していたが、吹き込む風もないのに燭台の明かりが消えたのを、お春は不吉に思った。
その時、雨と風の音に混じって、表の玄関の戸を叩く微かな音を、お春は聞き逃さなかった。
あわてて土間に降り立って引戸を開けると、吹き込む風雨とともに、濡れネズミの幸吉が倒れ込んだ。
「お前さん!」
お春が抱きかかえるようにして土間に引き込んだが、幸吉の息はすでに絶えていた。
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