にせ写楽枕絵奇譚(大団円)

「絵師の幸吉が死んだって?」

浮多郎が千住から帰ると、キセルを吸いながら壁にもたれた政五郎がたずねた。

「ええ」

浮多郎は軽くうなずき、女房のお新が淹れてくれたお茶をひと口飲んだ。

「お春さんかわいそう」

お新がしんみりと言った。

「幸吉を探し出す約束が果たせなかったな・・・」

浮多郎が首を垂れた。

「御徒町の春霞堂で殺された喜八という男は、赤城の万次郎の手下で口の固い金庫番だったそうじゃねえか。その喜八と、日本橋葺屋町の大捕物から逃げおおせた一の子分の信吉と、妾のお遼の三人を殺して、蔵の金銀財宝を盗み、千住へ逃げるときに出くわした大男も殺した。それに先手組の山村同心も殺したとすれば、たった一日で五人も殺したことになる。いやはや、たいした絵描きだぜ」

キセルの煙を吐き出しながら、政五郎は、お新の感傷を逆なでするようなことを平気で口にした。

あわてた浮多郎は、あえてそのことを話題にするのを避けるように、

「いやあ、どうでしょう?・・・幸吉も含めて、関係者がすべて死んでしまったので、真相は藪の中です」

と言ってから、今度の事件を振り返ることにした。

「ことの発端は、金華堂の主の兼助が絵師の幸吉に、写楽に似せて四十八手本の挿絵を描かせたことです。四十八手本が地下出版で成功したのを知った赤城の万次郎が、呉服屋の番頭に命じて続編を出版する資金を金華堂に貸し付けて乗っ取った。それまでに強盗稼業で稼いだ金を、呉服屋に注ぎこんで正業をはじめた万次郎ですが、金華堂のやっている性具や春画などを扱う裏商売の方がじぶんの性に合うと思ったのかも知れません」

政五郎は、煙草の煙を吐き出しながら、黙って浮多郎の話を聞いていた。

「・・・完全に乗っ取るために、主の兼助と四十八手本の男役の清太郎が相打ちで殺し合ったように仕組み、内儀を首吊りに偽装して殺して、金華堂の看板を春霞堂に書き換えた。おそらく、殺したのは信吉と用心棒の堀田某でしょう。絵師の幸吉とお吉を四十八手本の続編に使えると思って聖天船着き場の船宿にかくまった。だが、万次郎は、愛妾のお遼を四十八手本の主役にしようと不意に思い立った。それで、いらなくなったお吉とお遼の相手役に連れて来た呉服屋の手代と心中を装って向島で殺して大川に投げ込んだ」

「先手組の山村同心は、いつごろから万次郎と昵懇になったのかねえ?」

政五郎はそんな話は先刻承知とばかりに、もっと先の話を聞きたがった。

「いつごろか、確かなところは分かりませんが、案外長い付き合いかもしれませんね。・・・先手組が向島の白髭神社裏の武家屋敷に捜索に入ったときに、山村同心が事前に通報したので、見張り役の江頭組員はじめ、呉服屋の番頭、彫師の辰治、摺師のエテ公、製本屋の定次郎の五人がこの日に殺された。こっちは信吉と用心棒の仕業でまちがいがないでしょう。今戸の照吉親分と瓦版屋の兵助も入れると、この事件にからんで都合十七人が殺されたことになります。・・・これは、恐るべきことです」

そこまでを聞いた政五郎は、

「赤城の万次郎が自白すれば、真相がすべて明らかになるだろうよ。・・・そして、奉行所は必ずやってくれる」

と、力を込めて言ってから、

「しかし、なんだなあ、・・・老いらくの恋は身の破滅だな」

と妙なことを口にした。

「赤城の万次郎は、若い妾を溺愛して、四十八手本の女役にしたり、いっしょに歌舞伎見物に出かけたりして、・・てそれで悪事が露見した」

政五郎は、まるでじぶんが犯した失敗かのように、しみじみと嘆いてみせた。

「でも、誰が東洲斎先生に助けを求めたのかしら?」

お新が横から口を挟んだ。

「えっ、お新ちゃんじゃなかったの?」

驚いて目を見開いた浮多郎が、傍らの幼馴染の恋女房を見やった。

「わたしじゃない。・・・浮さんも奉行所も信じていたので」

政五郎が、「えへん」と空咳をした。

「えっ、まさか・・・」

浮多郎とお新がそろって驚きの声をあげると、

「そのまさかだよ。堀田とかいう牢人者は腕が立つようだし、お新も助っ人に葺屋町に行くと聞いたので、飛脚便を送ってお楽さんに助けを求めたのさ」

政五郎が肩をそびやかせた。

お楽とは、東洲斎が吉原のお職女郎から落籍して妾にした女だ。

「東洲斎先生は、浮さんのためなら、いつでも駆けつけてくれる。・・・ありがたいおひとだねえ」

お新の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


(了)

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にせ写楽枕絵奇譚~寛政捕物夜話19~ 藤英二 @fujieiji_2020

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