(その7)

八丁堀界隈を歩き回ってみて、地下出版の版元は、耕書堂や泉屋などの一流の版元が使う彫師や摺師や製本屋などは使わないということがよく分かった。

組合などにも入っていない、二流三流の業者を当たることにした浮多郎だが、伝手はない。

奉行所の門が開くのを待ち、定町廻りに出る岡埜のあとを追い、神田の湯屋に上がり込んだ。

浮多郎は、蒸し風呂と髪床のあとの朝酒をたしなむ岡埜におずおずと『恋ぐるい四十八手』を差し出した。

手に取ってパラパラとめくっていた岡埜は、

「これがどうした」

と、本を投げ返した。

「耕書堂の蔦屋さんに頼まれて、この本の版元を探しているのですが・・・」

火盗に十辺舎一九を引っ張られて困り果てた蔦重から、枕絵の版元を見つけるように頼まれ、版元を差し出す代わりに一九を請け出そうという蔦屋の魂胆を話すと、

「この話は、お上から奉行所にもあった。だが、『奉行所は春画の版元を探すほど暇ではない』と、お奉行がきっぱりと断った」

岡埜は鼻息荒く答えた。

なるほど。それで、お上直属の軍事組織の火付盗賊改めが動くことになり、当てずっぽうに写楽の片割れの十辺舎一九を捕えたということだ。

・・・裏の事情が、浮多郎にもようやく呑み込めた。

「蔦屋ではなく、一九だけを捕らえるなど、火盗のやり口も分からんな。・・・ははあ、火盗もそれほど本気では動いていねえということだ。蔦屋などを捕らえれば、それこそ大事になろうからな」

養父の政五郎と同じようなことを口にした岡埜は、湯屋を出ると、

「枕絵の版元を見つければ、蔦屋から謝礼は出るのか?」

と、思いもよらぬことをたずねた。

「さあ、それは・・・」

浮多郎が首をひねると、

「お前も、ずいぶんなお人好しだぜ。・・・銭が出たら、そいつをそっくりこっちへ回せ」

ニヤニヤ笑う岡埜は、しきりと角ばった顎をさすった。

『手がかりは教えるが、謝礼金は出せと』と合点した浮多郎がうなずくと、

「深川に弥勒の熊吉という摺師がいる」

と、ひと声放った岡埜は、肩を揺らせて神田の街の雑踏へ紛れていった。


弥勒というのは、深川の萬徳山弥勒寺のことで、摺師の熊吉の仕事場は、松井町三丁目の黒鍬組屋敷すぐ裏の、どぶ臭い路地裏にあった。

間口半間ほどのしもた屋の土間には、まだ墨のきつい匂いがする瓦版や、裸の男と女が絡みあう絵、はたまた相撲の番付などが、雑然と積み上がっていた。

土間に、熊吉の姿はなかった。

朝日が差す上がりはなの座敷を覗くと、弥勒菩薩の神々しさとはほど遠い熊のような髭面の男が、徹夜仕事でもしたのか、それこそ布袋のような腹をさらけ出しいぎたなく寝込んでいた。

座敷のあちこちに墨で汚れた版木が転がっていた。

ひとの気配に気がついたのか、がばっと跳ね起きた熊吉が、

「勝手に上がり込みやがって」

と、目をこすりながら悪態をついた。

「生憎、朝っぱらから八丁堀の御用でさ」

浮多郎が十手の柄を見せると、熊吉は黙り込んだ。

「最近、こんなものを摺らなかったかね?」

件の春画本を突きつけると、

「知らねえな」

熊吉は、そっぽを向いた。

「奉行所は、春画を摺ったからって、罪に問うつもりはねえ。版元の名を教えてくれればそれでいい」

と言って、小粒を握らせると、

「・・・版元は知らねえ。瓦版屋が持ち込んだ仕事だ」

熊吉は、掌の小粒を確かめてから、やっと答えた。

「瓦版屋ねえ。・・・ということは、瓦版屋が版元なのかねえ」

とたずねると、熊吉は首を振った。

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