(その6)
「どんな御用だった?」
浮多郎が、暑い日中を日本橋通油町の耕書堂から帰ってくると、待ち構えていたように、養父の政五郎が声をかけた。
「『恋ぐるい四十八手』という春画本を地下出版した版元を探す仕事で」
井戸で冷やしておいた冷茶を、かけつけ三杯も呑んでから、浮多郎はおもむろにその本を取り出した。
政五郎はすぐさま本を手に取り、パラパラとめくりながらも、目は挿絵をしっかり追っていた。
「東洲斎写楽の片割れ、洒落斎こと十辺舎一九先生が火盗に引っ張られました。火盗は東洲斎先生にも目をつけているそうで」
「春画ごときで大騒ぎして。それも火盗なんぞを使うとは世も末よ」
「今はご改革による緊縮財政のあおりで、火盗は庶民の贅沢も取り締まっています」
「奢侈禁止令か・・・。くだらん。おかげで、この店でも大きな閑古鳥が鳴いておる」
「春画に貴重な紙を使って出版するのも贅沢、庶民が春画に散財するのも贅沢ということでしょうか?」
「春画など見ずにつましく暮らせよ、ってか。お上が下々の庶民の暮らしのすみずみにまで口出しすると、ろくなことがありゃあしねえ」
そんな愚痴を延々こぼしていたが、話が本筋から離れてしまったのに気が付いた政五郎は、
「それで、蔦重さんはどうしろと?」
と双六の振り出しへやっともどした。
「歌舞伎の秋興行の都座の初日が、七月二十五日と決まったそうで。新機軸の役者絵を一九先生に描かせるとか・・・。通し稽古もじきにはじまるので、蔦屋さんは焦っています。それで、地下出版の版元を見つけて火盗へ突きし出してくれと」
「入れ替わりで一九を請け出そうってえ算段かい」
「へい」
「蔦屋さんらしくもねえな」
「絵師の手は東洲斎先生に似せているので、絵師の線からはさぐれないとか。目星をつけた彫師やら摺師の名前を蔦屋さんが教えてくれました。まずそこいらを当たります」
「でもなあ、この四十八手本は凝ってるぜ。男と女の動きをコマ割りにして、かつ立体的に描いている。これは、分かりやすい」
政五郎がとくとくと能書きを垂れているところへ、
「あらっ、面白い本でも手に入って?」
不意にお新が背後から声をかけたので、政五郎はひっくり返りそうになった。
あわてた浮多郎は、政五郎から本をひったくり、
「ちょいと浜町河岸まで」
と、夏の日がまばゆい往来へ飛び出していった。
日が落ちてから、浮多郎は疲れた顔でもどって来た。
「浜町河岸から八丁堀まで歩き回りましたが、こいつがからっきしで」
「ああ、あの辺りは彫師やら摺師がやたらが多いからな」
「蔦屋さんが使うのは、一流の仕事師ばかりです。・・・でも、こいつは、紙質も悪いし、製本も雑です」
「つまり、蔦屋さんが使わないような、二流三流の連中のやっつけ仕事ということか・・・」
浮多郎が懐から取り出した『恋ぐるい四十八手(上)』をひったくった政五郎は、お新が吉原に清掻き三味線を弾きに出かけたのをこれ幸いと熱心に読みはじめた。
「版元の名もねえし、作者も絵師の名前もねえ。東洲斎先生の絵の技法を真似たのなら、写楽の名前を出せばもっと売れたろうに」
「そうなると、騒ぎが大きくなりすぎてお上の手が回ると奴らは恐れたのかもしれません」
「男のナニも驚くほどの巨根には描いてないし。なんだか、旗本の倅にしては顔もその辺のヤクザ者のようだしなあ」
「女を見てくだせえ。やや小太りだし、垂れ目のタヌキ顔で別嬪とも言えねえ。胸は小ぶりでもってお尻は大きい。ウブな小娘のようでいて、なんか妙に色気がある」
「男も女も、ありのままに描いているということかな。・・・ということは、その辺りを歩いていると、こんな男と女と出くわすということか」
「大いにあり得ますね。絵師は、この女の愛嬌というか、いい女っぷりを世間に訴えたかったのではないでしょうか」
義理の親子は、春画本を間にはさんで喧々諤々と・・・。
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