にせ写楽枕絵奇譚(その18)

歌舞伎三座の秋興行は、都座の『けいせい三本傘』の初日が七月二十五日、河原崎座の『二本松陸奥生長』が八月七日、桐座の『神霊矢口渡・四方錦故郷旅路』が八月十五日と決まったので、一九は、三座の稽古に足げく通った。

蔦重は、夏興行の役者の大首絵の大成功などきれいさっぱり忘れ、秋興行では背景なしの役者の全身図にと構想したので、一九はすべての演目の筋書きを頭に入れてから、役者の所作と構図の下絵を描きはじめた。

そんなある日、都座の稽古から帰った一九は、下絵にあれこれ注文をつける蔦重に、

「そんなにいちゃもんつけるなら、蔦屋さんがやってくれよ。この暑いさ中に五十枚をひとりで描くのは骨というもんだぜ」

と本気で腹を立てた。

「東洲斎にもどってもらえねえのかねえ。うまく話をつけてさ」

それはできない相談だということは重々承知の一九だが、

「ああ、稽古場に見慣れねえ絵師が紛れ込んでいやしたぜ。こいつを使えねえかねえ」

と思いつきを口にした。

「春英だか豊国だかの弟子じゃあねえのかい」

「いや、勝川一門の春英はいざ知らず、若い豊国にまだ弟子はいねえ」

「どんな奴だい?」

「若い絵師だ。初めて見たねえ」

「腕はどうかね」

蔦重は少しばかり気になったようだ。

「これが、大首絵ばかり描いていた。・・・俺たちが夏興行の二十八枚でやったようにさ」

「どこの版元の絵師だろう」

「そいつは分からねえ」

「もぐりじゃあダメだ」

少しばかり気になった蔦重だが、この話はないことになった。


ところが数日して、

「あの絵師がまたいましたぜ」

と、都座の舞台稽古から帰って来た一九が、蔦重に言った。

「ちょうど団十郎の大首絵を描いてたね。それで声をかけたら、あわてて画帖を閉じて雲を霞と逃げっちまった。座頭に聞いたら、何でも新手の版元で、・・・ああ、春霞堂とか言ってたかな、そこの差し回しの絵師だそうで」

「春霞堂?・・・はて、聞いたことがないねえ」

蔦重は、いずれその新手の版元から挨拶はあるだろうと思った。

と言うのも、寛政のご改革によって、組合の承認を得なければ、新刊本の出版はできない決まりになっていたからだ。

お上は、組合に検閲の代行をさせ、この組合のまとめ役を命じられたのが蔦屋重三郎だった。

「・・・ああ、すでに京伝先生に話はつけた。これからは先生とふたりで下絵を仕上げてほしい」

と蔦重が言うと、

「京伝先生じゃあ、屁の突っ張りにもなりゃあしねえ」

一九は相変わらずの減らず口をたたいた。

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