にせ写楽枕絵奇譚(その19)

蔦重は、組合に登録していない版元の絵師には、稽古に立ち会って下絵を描かせないよう歌舞伎三座に通告したが、少しばかり遅かった。

初日の前には辻番付と役割番付と絵本番付が制作され、市中の辻に張り出したり、ひいき筋に配ったりして歌舞伎興業の前景気をあおった。

それは役者絵も同じだ。

蔦重の耕書堂は、それぞれの初日に合わせて都座、河原崎座、桐座の順に、合計三十八種の無背景の全身像の役者絵を版行した。

五月の夏興行の二十八種すべてが豪華な黒雲母摺の大判の大首絵という斬新さに比べて、無背景というのは新機軸だが、ほとんどが細番で、役者の全身像を見せるという従来の役者絵の定型に収まっていた。

売れ行きも、夏興行の大首絵ほど爆発的ではなかったが、そこそこには売れた。

目論んだように、何よりも幹部役者やひいき筋には好評だったので、蔦重は胸をなでおろした。


蔦重は、労をねぎらうためと称して、吉原の扇屋に山東京伝と十辺舎一九を招いて小宴を催した。

宴もたけなわなころ、酔った蔦重が座興だと言って、紙袋に入った大判の役者絵を座敷にぶちまけた。

したたかに酔った京伝が、

「ややっ、・・・これは大首絵ではないですか。しかも、この秋興行の人気役者たちの」

と、はしゃいだように言った。

「こいつはひでえ出来だ。われわれが五月に版行した春興行の二十八枚の大首絵の猿真似じゃないですかい」

酒の飲めない一九が、怒りの声をあげたので、座が一気に白けた。

「・・・ああ、でも、ちょっとというか、だいぶちがうな。これだとせっかくの役者の顔がのっぺりした木偶人形だし、立体的に見せるために無理に陰影をつけている。だが、これだと無精髭の泥棒顔にしか見えねえ」

酔いの醒めた京伝は、まずい料理を無理に口に押し込まれたように不快の顔に一転し、酷評を並べ立てた。

「たしかに、言うとおりだ。紙質が悪いし摺りも製本も雑。しかも墨一色ときたもんだ。これだとまるで出来の悪い水墨画だねえ」

座敷に散らばった大首絵をくさした蔦重だが、なぜか平然としている。

「蔦屋さん、いったいぜんたいこれはどうしたことです?」

京伝が蔦重にたずねた。

「ああ、ごらんの通りさ。これは俺たちの関知しない地下出版の役者絵だ」

「そんなことが許されるんで?商売の邪魔じゃないですかい」

一九が、まるで蔦重が悪さでもしたように、横から文句を垂れた。

「許されるも何も・・・。『こんなものが出版されましたが、組合はあずかり知らないことです』とお上に申し出たさ」

「それで・・・」

京伝がすぐさま合いの手を入れた。

「お上は先手組に調べさせようとしたが、・・・つまるところ、何の心配もいらなかった」

「へえ」

「それなりの数を版行したらいしいが、ほとんど売れなかったんだよ、とんだ、お笑い種の、骨折り損のくたびれ儲けだね」

盃を手にした蔦重は、傍らの花扇太夫に笑いかけた。

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