にせ写楽枕絵奇譚(その17)
二階から降りて来た浮多郎の女房のお新が、女の帯をゆるめて水を飲ませたたので、紙のように白かった女の顔にやや生気がもどった。
「・・・腕っこきの親分さんとのご近所衆の評判を頼りにやってまいりました」
千住に住むお春という若い女は、下野から出て来たばかりで、病を得て頼る人もおらず、迷惑をおかけするが、・・・などと、くどくどと口上を述べたが、要は行方の知れない夫を探してほしいという頼み事だった。
「ご主人は、どのようなお仕事で?」
「・・・絵師です」
と答えるお春をよく見ると、若くて整った顔こそしているが、やつれて生気がなく、どこか垢抜けしない田舎じみた女だった。
浮多郎は政五郎に目くばせして、
「どんな絵を描くんで?」
とたずねると、
「役者絵を・・・」
とお春は答えた。
「役者絵?」
「はい。主人は、得意の役者絵で勝負したいと下野から出てまいりました」
「・・・それで?」
「あちこち版元を回ったのですが、版行の話はまとまらず、・・・でも、日本橋の小さな版元が、仕事を紹介してくれました。若い男女の恋物語に挿絵を描く仕事だそうで・・・」
「ご内儀は、その挿絵とやらを見たことがおありで?」
浮多郎は膝を乗り出した。
「いえ。仕事は下谷の版元ですべて仕上げ、家に持ち帰ることはありませんでした。
わたくしが病で臥せっていることが多いので、家に持ち込むのを憚ったのでしょうか・・・」
「で、この仕事は、いつからはじまったんで?」
「さあ、この五月からでしょうか・・・。上巻の評判がよかったので、下巻を急いで仕上げるとか。六月からは朝は早くから、夜は遅くまで下谷に詰めていました」
「それで、いつから行方知れずに?」
指折り数えるようにしていたお春が、
「・・・さあ、五日ほど前でしょうか」
と答えたので、舞台が一気に暗転した。
・・・下谷と御徒町で殺しがあったのはちょうど五日前だった。
この女の亭主が、『恋ぐるい四十八手』の挿絵を描いたのだ!
政五郎と顔を見合わせると、養父も大きくうなずいた。
「夫は、いつもは遅くなっても必ず帰るのですが、その夜はとうとう帰らずじまいで、まんじりともせず朝を迎えました。玄関が開く音がしたので、寝床から『幸さん、お帰り』と声をかけたのですが、すぐに立ち去る気配がしたので、這うようにして玄関へ出ると、こんなものが座敷の上りはなに・・・」
お春は、袖の袂から切り餅を取り出した。
受け取った切り餅を見ると、その下べりには乾いた血がべっとりと・・・。
お春の亭主は、二十五両に相当する一分銀百枚の切り餅を玄関に置いて何処へか立ち去ったのだ。
お新がどうしてもと頼むので、浮多郎はこの仕事を引き受けざるをえなかった。
だが、亭主の絵師の幸吉は、二度と女房のお春の元へはもどらないような気がしてならなかった。
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