にせ写楽枕絵奇譚(その31)

奉行所の使いが呼びに来たので、浮多郎が日本橋通油町の耕書堂に駆けつけると、すでに奉行所の岡埜同心が奥座敷で主の蔦屋重三郎としきりに話し込んでいた。

少し遅れて、山東京伝もやって来た。

「歌舞伎三座の稽古場に、見ず知らずの絵師を送り込んだのは、春霞堂という版元というのは分かっていた。さらに、その春霞堂を調べると、神田明神下の山形屋という呉服屋が裏にいるのが分かった」

と京伝が話の口火を切ると、

「ということは、秋興行の醜悪な大首絵を地下出版したのは、春霞堂を名乗る呉服屋の山形屋でいいのかね」

蔦重が念を押した。

「その通りでさ。この大首絵は八丁堀の彫師の辰次が手配したようで。山形屋はじめ、付き合いのある呉服屋やら生地屋や古着屋などの店頭に置いたが、こいつがまるで売れねえ・・・」

と、京伝が言うと、

「当然です!」

蔦重が、ぴしゃりと言った。

「『恋ぐるい四十八手』の下巻を、急遽役者の顔に差し替えて版行したのもその山形屋の春霞堂でまちがいないでしょうね」

と京伝が言うのを引き取った岡埜が、

「瓦版屋がチラシを配るのは同じだが、盛り場の居酒屋だか蕎麦屋だかに、地回りのヤクザ者が無理に本を置かせて、売れた分だけ歩合を払うというやり方らしいな」

と話すと、一同はうなずいた。

「四十八手本の下巻が出回ってから、辰次の仕事場に行ってみたが、これがもぬけの殻さ」

と京伝。

「どうしたい?」

蔦重がすかさず合いの手を入れると、

「何でも、秘密の仕事が入ったとかで徹夜仕事が続いたそうだ。だが、終わったとたんにトンズラさ。『銭が入ったので、女のところにでもしけこんだのだろうよ』と、仲間が言ってたね」

と京伝がおどけたように言った。

「秘密の仕事というのは、四十八手本のことだろう。摺師のエテ公は、瓦版屋の兵助に頼まれて四十八手本の版行に辰次を引き込んだ。エテ公は、辰次が大首絵の版木を彫ったのを知っていて、辰治に彫りを頼んだのさ。これだと使い回しができて話が手っ取り早い。・・・だが、摺師も彫師も行方が分からねえし、瓦版屋は殺された」

岡埜が、四十八手本にからんだ三人の運命を口にすると、耕書堂の奥座敷の空気は重苦しいものになった。


「山形屋を張り込みますか?」

浮多郎は、耕書堂を出ると、すぐに岡埜にたずねた。

鰓の張った顎に手を当ててしばらく考え込んでいた岡埜は、

「そいつは、先手組の山村に聞いてみるんだな。版元を捕えるのは、火盗の先手組がやる。『奉行所は版元さがしには手を出すな』というのがお奉行のお考えだ」

言い訳がましく答えた。

「では、どうして向島の武家屋敷を張るんです?先手組と奉行所で、つまらない縄張り争いをしている間に、ひとが死んだり、行方知れずになっています」

なおも浮多郎が喰い下がると、

「縄張り争いだって?」

岡埜は気色ばんだが、なぜかその声には力がなかった。

「・・・俺には、俺の考えがある」

ひとり言のようにつぶやく岡埜に、

「蔦屋さんから謝金が出るから、・・・岡埜さまは、奉行所とは関係なしに勝手に動くんで?」

浮多郎が必死の思いでたずねたが、岡埜はそれには答えず、くるりと背を向けると八丁堀へともどって行った。

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