にせ写楽枕絵奇譚(その30)

瓦版屋の兵助は、たずねた長屋にはいなかった。

いささかとうのたった女房が、

「さあ、両国あたりで瓦版を売っているはずさね」

と、ふてくされたように言った。

たしかに、回向院の通りに並ぶ見せ物小屋の前で、兵助は声をからして行き交う見物人相手に瓦版を売っていた。

だが、売っているのは瓦版ではなかった・・・。

背後に回って、抱えた役者絵の束を見ると、歌舞伎三座の秋興行の直前に版行してまったく売れなかった、粗雑な立体画の役者の大首絵だった。

「ただいま公演中の、歌舞伎三座の名物役者の大首絵だよ」

張り上げる声につられたのか、大判の墨一色の役者の大首絵はけっこう売れていた。

しばらく見ていて分かったが、瓦版屋の兵助は、大首絵をたったの三文で売り捌いていた。

本家の東洲斎写楽の役者絵が一枚二十文だったので、いくら贋作とはいえ、三文というのは破格の安値だった。

それが、・・・それなりに売れている理由だろう。

兵助は、上客と見ると、懐に隠し持った小判のチラシをひそかに渡していた。

浮多郎は横から、

「はい三文」

と銭を渡して幸四郎の大首絵を買い、

「チラシももらおうか」

と手を伸ばした。

チラシを渡した兵助は、『はて、どこかで会ったような』と、浮多郎を見つめてしきりに首をひねっていたが、

「この夏の盛りに、四十八手本のチラシをもらって金華堂に予約をしてさ、この間引き取りに行ったら、代替わりがしていて買えなかった。今度は、このチラシと引き換えに買えるのかね?」

と、浮多郎が、『恋ぐるい四十八手(下巻)いよいよ発売』の文字が躍るチラシを兵助に突きつけると、

「ああ、金華堂さんね。たしかに、あそこは代替わりした・・・」

と口ごもりながら、兵助はうまく言い抜けようと焦った。

「この大首絵とか、四十八手本の下巻の新しい版元ってどこなんで?」

と畳みかけると、兵助は、不意に、「うっ」と唸って浮多郎にもたれかかって来た。

・・・抱き止めて地面に横たえると、背中に匕首が突き刺さっていた。

首をめぐらして通りを見渡すと、初秋のやわらかな日差しの中を、見せ物小屋の看板を見上げながらそぞろ歩くひとの波がうねっているだけだった。


「四十八手本の下巻は、このチラシに記してある居酒屋で買えるということかい?」

壁に背をもたせかけた政五郎がたずねた。

「そうです。両国の主だった店を回ってみましたが、たしかに四十八手本は置いてました。地回りのヤクザ者が勝手に置いていって、売れた分だけあとで代金を回収するのです。そこから瓦版屋に歩合を払うという新しいやり方で・・・。先手組の山村さまのお調べだと、浅草や本所や三ノ輪あたりでも同じようなことをしているそうです」

浮多郎が、両国界隈を回って調べたことを話すと、

「これだと、うまく版元を隠して、しかも確実に儲かるな。・・・地回りのヤクザ者を自在に操るなんぞ、その版元は堅気じゃねえな」

政五郎は、膝の上の小判のチラシを、深い闇の底を覗き込むような目で見つめた。

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