にせ写楽枕絵奇譚(その33)
・・・浮多郎は、悪い予感がした。
山村が、武装した十五名ほどの先手組の精鋭を率いて向島の武家屋敷を襲う一刻ほど前に、先乗りして張り番をする若い組員と白髭神社の境内で落ち合う手はずになっていた。
ところが、その江頭という組員が暮れ六ツの鐘が鳴っても、いっこうに現れない。
四半刻ほど待ったが、やむなく、日の暮れかかった新梅屋敷の庭園に潜んで松林の先の武家屋敷をうかがった。
次第に暗闇の中に沈み込む屋敷にひとの出入りはなく、明かりも点かなかった。
さらに半刻ほどすると、先手組の一隊が新梅屋敷の庭園に音もなく現れた。
「江頭さまがおりません」
浮多郎が声をひそめて言うと、山村はちょっと驚いたようだが、暗闇の中で表情は読みとれない。
竹矢来に囲まれた屋敷の裏木戸と真裏の松林に数名の組員を配置してから、松明に火を点けた配下を従えて、山村は屋敷に押し入った。
・・・ところが、屋敷の中はもぬけの殻だった。
隅から隅まで探したが、猫一匹いなかった。
ただ、奥の作業部屋で見つけたのは、彫師の辰次、摺師のエテ公、製本屋の定次郎の三つの死体だった。
いずれも喉を掻き切られて、血の海の中に、ものも言わずに横たわっていた。
積み上げた版木は残っていたが、摺り上がったはずの四十八手本は消えていた。
・・・離れの上がりはなに、黒羽織姿の男が突っ伏していた。
山村が、袈裟に切られて転がる男を、「江頭!」と、呼びかけて抱き起すと、首がぽとりと土間に落ちた。
座敷に上がろうとして立ちすくんだ山村の視線の先に、梁からぶら下がる男の影があった。。
松明をかざすと、
「番頭だ!」
山村が叫んだ。
宙にぶら下がる町人髷の男の足元には、血まみれの匕首が落ちていた。
「山形屋の番頭で?」
と聞き返したが、山村は答えなかった。
・・・奥座敷には、琴を弾く女も、絵師の幸吉の姿も、牢人者の姿もなかった。
気を取り直した山村は、向島の四方に組員を走らせて行方を追わせたが、屋敷の外に広がるのは、松林と田畑と点在する百姓家ばかりではどうすることもできなかった。
『これは引きあげるしかない』と、山村が苦々しい顔で屋敷の外に立っていると、岡埜同心が闇の中から姿を現した。
奥の作業部屋の三つの死体と、離れの首の落ちた江頭と、梁にぶら下がる山形屋の番頭をひとわたり見た岡埜は、
「内報者がいたということですな」
と山村の痛いところ衝いた。
「このあとは、奉行所が引き取るぜ」
と、岡埜は有無を言わさぬ口調で言った。
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