にせ写楽枕絵奇譚(その34)

「江頭という先手組の侍が内報して、手入れが漏れたのだな。・・・しかも、その内報者を斬り殺して逃げるとは、悪辣な奴らだぜ」

養父の政五郎は憤慨した。

「辰治とエテ公と定次郎の三人は、いずれも匕首で喉を掻き切られ殺されましたが、江頭さまは首が落ちるほどに袈裟に斬られて、・・・照吉親分を斬ったのと同じ手練れの牢人者だろうと、岡埜さまはおっしゃっていました」

浮多郎がそう言うと、

「それほど腕が立つとなると、どこぞの道場の師範代の悪ずれか・・・」

政五郎は首をひねった。

「でも、江頭さまが、まだ内報者と決まったわけじゃねえ」

「へえ、そんなもんかねえ。用済みになって殺されたんだろうよ」

「奴らには、これからも内報者は必要なんで、・・・あからさまに殺してしまっては使い道がなくなりますぜ」

「山形屋の番頭が首を吊って死んだとなれば、内報者はいらねえだろうよ。その番頭が首謀者なんだろう?」

「そいつは、これからお調べがあるでしょうが、・・・番頭は、隠れ蓑だったのではないでしょうか。金華堂の裏の版元が春霞堂の山形屋だったように、山形屋の背後にはさらに裏の元締めがいた。入れ子式の箱根細工のようなもんで、・・・それで裏の元締めはうまく逃げおうせた」

「江頭某とは別に内報者はいたということか?」

「そうです。・・・山形屋の番頭が、どうして首吊りなんかしなきゃあならねえんで。それこそ、こっちこそが用済みになったんで、裏の元締めに殺されたんでさ。しかし、番頭も相当怪しい奴ですね。大店からの暖簾分けでもなく、三年前に降ってわいたように神田明神下に呉服屋を開業した。間口一間の店とはいえ、開業するにも運営するにも相当な資金がいります。しかも、金華堂に資金を出して、四十八手本の裏の版元になった上に乗っ取ってしまった」

「何だね、お前が言うところの裏の元締めってえ奴は、銭を山ほど持っているってえことかい」

煙草盆を引き寄せながら、政五郎がたずねた。

「そのようですね。表向きはすべてその番頭が仕切っていましたが、誰ひとり呉服屋の店主に会ったことがねえ。名前すら知らねえ」

「影法師みてえな奴だな」

「向島の武家屋敷にいたはずのその裏の元締めはじめ、牢人者、琴を弾く女、絵師の幸吉は行方が知れません。裏の元締めと女の顔は割れていないので手配のしようもありません。いっしょに逃げたのか、ばらばらに逃げたのか、それも分からない」

「女ねえ、・・・琴の音は聞いたのかい?」

「ええ、離れに琴は置いてありましたし、伽羅の移り香も・・・」

「琴を弾くということは、武家の娘か奥方か?」

「町屋の娘はまずやらんでしょう。やるなら三味線で」

「お新のようにな」

ちょうどその時、噂をすれば影とばかりに、三味線を抱えたお新が吉原の素掻き三味線弾きから帰って来た。







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