にせ写楽枕絵奇譚(その4)

蔦屋重三郎が案じたように、やはりお上がやって来た。

火付盗賊改めの先手組の同心・山村安次郎が、若い組員を従えて耕書堂の店先に現れて、

「写楽を出せ」

と凄んだ。

あいにく、主の蔦屋重三郎は昨夜から体調がすぐれず本宅に退いていた。

店番の番頭の和助は迷ったが、やむなく一九を裏の土蔵の仕事場から呼び寄せた。

「お前か、今をときめく写楽とかいう絵師は」

鬼瓦のようなご面相の山村が、いきなり一九を威嚇した。

口を真一文字に閉じた一九は、そっぽを向いたまま答えようとしない。

「こんな不埒なものを描いたのはお前だろう」

山村は、懐から取り出した『恋ぐるい四十八手』を、一九の鼻づらに突きつけた。

「不埒とおっしゃるが、四十八手のどこが不埒なんで?」

一九は本を振り払い、山村を見上げた。

ぐっと詰まった山村に、

「火付けや盗賊を取り締まるのが、火盗のお仕事でがしょ。四十八手の枕絵が、勝手に火を付けたり押し込み強盗を働くわけはねえ」

一九が嵩にかかって言い募ると、

「そこまで言うとは、・・・やはりお前が描いたのだな」

やりこめられた山村は、ぎょろ目が飛び出すほど一九を睨みつけた。

和助があわてて割って入った。

「あ、いや。山村さま。この十辺舎一九という戯作者は、この三月からこっち、役者絵の版行でもって、ずっと主の蔦屋重三郎の傍らで仕事に励んでおりました。このような枕絵を描く時間など取れる道理がございません。それは、天地神明に誓ってまちがいございません」

そっぽを向く一九の傍らで、和助は米つきバッタのように頭を下げてことばを尽くして山村を説き伏せにかかったが・・・。

「組長から、東洲斎写楽とは、絵師ふたりでひとつの雅号と聞いた。ひとりは東洲斎。もうひとりが写楽。ちがうか?」

山村は、下調べをして耕書堂へやって来たようだ。

「お前は十辺舎一九と名乗ったが、東洲斎か写楽のいずれだ?」

「戯作では、十辺舎一九だが、絵師の仕事では、洒落斎だ。東洲斎との役者絵の合作では、東洲斎写楽となる。これは蔦屋さんが勝手につけた雅号だが・・・」

「それでは、東洲斎はいずこにおる」

山村がさらに声を張り上げた。

「・・・もはや、ここにはおりません。五月五日の歌舞伎三座の初日に合わせて大首絵を売り出す直前に行方知れずとなりました」

などと和助が答えたのが、逆に山村につけ込むスキを与えた。

「怪しいな。では、とりあえず一九とやらに組屋敷で詳しく聞こうではないか」

意固地になった山村は、一九を清水門外の先手組の役宅へと引き立てた。


「あとで東洲斎も出頭させろと、それはすごい剣幕で」

蔦重の本宅にあわてて駆け込んだ番頭の和助は、半泣きで訴えた。

「困ったな」

伏せっていた蔦重は、和助の報告を聞いて顔をしかめた。

東洲斎は、もはや蔦屋重三郎の駕籠から放たれた小鳥であって、よしんば四十八手の枕絵の地下出版に加担していても、その累が耕書堂に及ぶことはない。

それにも増して、『恋ぐるい四十八手』は、写楽の手に似せて描いてはいるが、技量の差はだれの目にも明らかだった。一九は言うに及ばず、東洲斎もこの仕事には手を染めてはいないと蔦重は確信していた。

だが、七月下旬から歌舞伎三座の秋興行がはじまる。

そのために、今から一九を稽古場に送って下絵を描き溜めなければならなかった。

しかも、この秋興行では新機軸の役者絵で勝負しようと蔦重は構想を練っていた。

「・・・山村とかいう先手組の同心は、耕書堂が四十八手本の隠れ版元だろうと凄んでいました。奴らの本当の狙いは蔦屋さんのように思えてなりません」

冤罪を作り出すのが仕事のような火付盗賊改めなので、二年前の山東京伝の発禁本の件で重過料を課せられて痛手を被った蔦重の身を、和助は案じた。



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