(その24)

しばらくすると、乾物問屋のご隠居の使いの小僧が、泪橋にやって来た。

ご隠居は律儀にも、旅から帰った息子夫婦が八方手を尽くして調べたとかで、お吉を聖天稲荷裏あたりで見かけたひとがいると教えてくれた。

さっそく、聖天稲荷に行ってみようと思い立ったが、その前に養父の政五郎に昼飯の冷やしうどんを食べさせてからと台所に立っていると、小間物屋の店先で案内を乞う声がした。

表に出ると、先手組同心の山村安次郎が店先にぽつんと立っていたので驚いた。

ふつう、先手組の同心などが、わざわざ奉行所の岡っ引きをたずねることなどありえないことだ・・・。

座敷に上がるようすすめたが、山村は先に立って泪橋のたもとへ歩いた。

「四十八手本の下巻が版行された」

大根を積んで橋を渡る荷車をやりすごしてから、山村は、おもむろに懐から『恋いぐるい四十八手(下)』を取り出しぱらぱらとめくって見せて、

「見ての通りに、男役の顔が、すべて歌舞伎役者の顔に置き換えられておる。これは大問題じゃ」

と言った。

人気役者の顔を男役にはめ込んだ四十八手枕絵そのものが引き起こす騒動はむろんのこと、金華堂が版元と断じ、その主が自死したとして強引に事件の幕引きを図った山村の責任が問われることを大問題と言っているのだろうと浮多郎は思った。

「それでな、・・・また、先手組の岡っ引きをやってくれないかと思うての」

鬼瓦のようにいかつい顔の山村が、猫撫で声で頼み込むのが滑稽だった。

上巻の時のように、奉行所の岡埜同心と耕書堂の蔦屋重三郎をうまく組み込み、浮多郎を手足に使って版元を探し出して手柄は独り占め、という魂胆なのは見え見えだったが・・・。

「お上から奉行所にも版元探しの命があるのかも知れません。山村さまから、奉行所の岡埜さまに言っていただければ、どのようにでもいたします」

と、浮多郎が頭を下げると、

「おお、それは助かる」

赤ら顔をほころばせた山村は、羽織の裾を翻して小走りに立ち去って行った。


山村からあずかった『恋ぐるい四十八手(下)』を政五郎に渡すと、

「おお、じつにそそるねえ・・・」

と言って、昼飯のうどんには手もつけず、政五郎はパラパラとめくっていたが、

「挿絵は相変わらず稚拙だが、文章がいいねえ。うまく悲恋の話にまとめ上げている。それと、何よりも女だよ。こいつが、すこぶるつきのいい女ときたもんだ」

歌舞伎役者がどうのこうのなどすっ飛ばして、新しい女役の年増美人にすっかり入れ込んでしまった。

お新が清掻き三味線弾きに吉原に出かけたのをこれ幸いと、政五郎は昼食のうどんもそこそにして、新刊の枕絵本を読みふけった。

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