にせ写楽枕絵奇譚(その36)

控え櫓三座のひとつの都座の座頭の篠塚浦右衛門が、興味深い話を蔦屋重三郎にもたらした・・・。

日本橋通油町の耕書堂にやって来た浦右衛門は、秋興行の『けいせい三本傘』の幕開けに、外題や役者名を読み上げる役のじぶんを役者絵に取り上げてくれたのにいたく感激したと、礼を述べた。

もっとも、蔦重からすれば、浦右衛門が定式口上の巻紙に裏文字で、『これから二番目の似顔絵をご覧いただきます』と、耕書堂としては、夏興行に続く二回目の役者絵版行の宣伝に利用しただけではあったが・・・。

「楽日の舞台で、客席を見まわした宗十郎師匠は、二階席前方の紫頭巾の女に目が行ったそうで。客席で頭巾を被っていたのはその女だけだったのもあるが、垣間見えた年増の女ぶりがどうにも気になってしかたがないとおっしゃりましてな・・・」

目の周りの皺と、たるんだ頬肉のせいで、梟のように見える顔をほころばせて、浦右衛門がそんな話をすると、

「ありとある世の女のこころをとらえる美男役者の宗十郎師匠がそう言うのだから、よほどいい女にちがいない」

と蔦重もつきあい笑いを浮かべた。

「いえね、師匠が言うには、『その女はどうも最近何かと話題の四十八手本の女役の女のように思えた』と、こうですからな」

それを聞いた蔦重は、こころおだやかでなくなった。

書棚から『恋ぐるい四十八手(下)』を取り下ろした蔦重が、宗十郎が女とまぐわっている頁を開いて浦右衛門の膝元に押しやると、

「ああ、この女です。師匠も同じ本を持っていて、舞台がはねたあと、すぐに楽屋で確かめたそうです」

この四十八手本を地下出版した版元を蔦屋が探していると聞いた浦右衛門は、この話をするためにわざわざ足を運んでくれたようだ。

「前に、春霞堂とかいうもぐりの版元が稽古場に送ってきた絵師が、役者さんの大首絵の下絵を描いたことがありました。その春霞堂、じつは神田明神下の呉服屋で、その時に、奴らが地下出版して売れなかった大首絵を、あの四十八手本の枕絵の男役に転用したのです」

蔦重が四十八手本版行の裏話を暴露したが、ついこの間、役者が顔だけその四十八手本に総出演して大騒動になったばかりなので、座頭の浦右衛門はさすがにその辺のことはよく知っていた。

「では、これはどうです。・・・その呉服屋の番頭は、向島の秘密の工場で、彫師、摺師、製本屋の職人の首を掻き切って殺し、じぶんは首を吊って死んだ」

「ひえ~っ。どうしてまた?」

浦右衛門は、梟のような目を見開き、のけ反るようにして大げさに驚いた。

「火付け盗賊改めの先手組に秘密の工場を暴かれたので、もはやこれまでと観念したのでしょうな」

先手組が漏らした、向島の四十八手本版行の地下工場手入れの顛末を、浦右衛門にはそのまま伝えたが、蔦重じしんは信じてはいなかった。

九月九日初日の『義経千本桜』の話を長々とした浦右衛門がようやく帰ると、蔦重はすぐに泪橋に使いを出した。

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