第9話 秘めた〇〇欲
どくんっ、――と。
茅野は内面に響き渡る音を感じ取った。
クラスですぐに人気者になった白姫白夜が――、
クラス一の変人である朝凪日野に、興味を持った。
そのことに、茅野はなぜか、不安を感じてしまう。
ビャクヤが日野になにかをしたところで、彼の心が動くことはないと思う――、
思うがしかし、それでもしかし、どくんどくんと、鼓動が早くなっていく。
なにが起きている。
この胸騒ぎはなんなのか。
「あー、朝凪なあ――白姫さん、あいつには関わらない方がいいよ」
そーそー、と他の男子が同意を示す。
「あいつ、なに考えてるか、分からねえんだよ」
「分からない? ――確かに、わたしもそう思ったけど……」
「絶対に笑わないし、悲しまないし、怒らないし――仮面を被ってるみたいなんだよ」
仮面を被っているみたい――その表現は上手いが、しかし、的を外していた。
あれが素である。嘘偽りなく、日野は素顔であれなのだ。
茅野が見てそう感じたのだ――間違っているとは思えない。
「最初は色々と話しかけてみたけど、あいつが俺達のことを拒絶しているみたいだったからな――あいつの意思を汲んでやろうと思って、関わらないようにしてんだ。
お互いのためってこと――だから白姫さん、
あいつのことが気になっているなら、そっとしておくのが親切ってやつだよ」
「…………」
ビャクヤは、ふーん、と日野の席を見ているだけだった。
気になっているらしいが――これ以上、日野に関わることはしないだろうか。
ここまで助言されたら、さすがに彼女でも諦めるのではないか――。
普通の人ならば諦めると思うが、しかし茅野は持ち前の観察眼で見えてしまった。
見てしまい、感じ取ってしまった。
彼女――、白姫白夜は、恐らく今の話を聞いて、さらに興味を持ってしまった。
珍しいものを見るような目で、彼の席を見ていることが、その感情を示している。
諦めるなんてとんでもない。
にやりと笑って――ビャクヤが視線をはずした。
すると男子生徒の一人が、
「あとこいつ――」
そう言って指差した。
茅野を指差した。
内心で、「――ええ!?」と思うが、日野の話になったところから、自分自身の話になることも予想していた。していたのに、驚いてしまったことが少し悔しかった。
なにを言われるのかも同じく分かっていた――でも、それでも。
「こいつも朝凪と一緒――、なに考えているか分からねえ。
ま、朝凪よりは分かりやすいけどな――」
格下を見るような目。
その視線が茅野に突き刺さる。
「親切に話しかけてやってんのに、お前は逃げるもんな――それはそういうことなんだろ?
俺達みたいな低レベルのやつとは付き合えない――そういうことなんだろ?」
「ち、ちが――」
もちろんそんなこと、思っていない。
仲良くしたいと思っている。
そう訂正しようと立ち上がったけれど、すぐに恐怖が体を縛り、なにも言えなくなる。
「ちが、う――の」
「なにあれ」
そう言ったのは女子だ。
男子だけでなく、女子までもが、茅野を見つめている。
「ああやっておどおどしていれば可愛いとでも思っているのかな――同情でも誘えると思っているのかな? ほんと気持ち悪い。あれと同じ女という性別ってことがもう嫌だわ」
突き刺さる言葉。
――分かっていた言葉だったのに。
そういう攻撃的な言葉がくることは、予想できていたのに。
長年、言われてきて、慣れているはずだったのに。
それでもやっぱり、弱い精神では、堪えることができなかった。
だから人と関わることができないのだ。
原因は、自分のそんな性格だというのに――、しかしこういう性格になったのは、他人からのそういう言葉だったはず……。
――あれ? 一体どっちが先だったのか――自分でも分からなくなった。
「…………っ」
茅野は気づけば走っていた――そしてそのまま教室を出た。
廊下で――人とぶつかった。
背中から倒れた茅野は見上げる――涙を流しているというのに、見上げてしまった。これではぶつかった人に泣いているところを見られてしまう。
そうなると必ず、自分はその人と関わってしまう――、
相手も関わる、ということをしなくてはいけなくなる。
まともにコミュニケーションを取ることができない茅野――、
彼女は絶対に、相手を傷つけてしまう。
――迷惑をかけてしまう。
色々な想いが結果的に、最終的にはやはり恐怖となり、涙がさらに溢れ出すが、しかしぶつかってしまった相手は、茅野を通り過ぎて、いま茅野が出てきた教室に入っていった。
なにも向けられなかった。
感情なく――ただ障害物を避けて通っただけ。
そんな相手だった。
「……ありがとう」
茅野は小さく呟いた。
同時――チャイムが鳴る。
一時間目が始まったらしい。
茅野はそのまま立ち上がる――教室には戻れない程、体調を崩していた。
保健室に行くことも怪しい足取りで、廊下を進む茅野――。
そして思う。さっきの胸騒ぎ――。
ビャクヤが日野に興味を持ったことに、焦った。
もしかしたら日野を取られてしまうのではないか――そんなことを思ったのだ。
取られる?
取られたら困る?
「……日野くんは、私のものだもん」
自分を観察し、答えを出すまで、長く時間がかかった。
―― ――
駆け出した澪原茅野と入れ替わるようにして現れたのは、今まで教室にいなかった朝凪日野だった――彼は教室に入ると、なにも言わず、ただ自分の席に向かっていく。
たくさんいる男子生徒などには目も向けず。
優しくない視線など、まったく気にせず。
そして自分の席に座り、一時間目の授業――教科書を取り出し、机に広げる。
それを見た他の生徒達も、ビャクヤから意識を授業へ切り替え――自分の席に戻っていく。
授業が始まるからだとも思うが、
男子生徒も女子生徒も、茅野を責めた時のように、日野を責めることはしなかった。
言わせない程――日野が持つ雰囲気が特殊なのか、それとも。
日野には、言ったところでなにも変化が見られないということか――。
確かに、茅野はきちんとリアクションをしてくれる。きちんと意識を向けてくれている。感情を持っている者を責めることは、責める側としてもやりがいがあるのだが――、
しかし日野の場合は、リアクションがなく、聞こえているのかさえも、はっきりしない。
聞こえた上で気にしていない――となると、やりがいは皆無と言っていい。
成長しない種に水をあげることなど無意味なことだ――。
日野は変わらない――。
クラスメイトは日野のことを見て、そう思っている。
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