第10話 侵略中……、その1
白姫白夜――否、ビャクヤ・ホワイツナイツは。
「……まだ、教科書を貰ってないの――だから見せてくれるとありがたいんだけど」
そう言って、机を日野に近づけようとした。
実を言えば、教科書など当たり前に用意してあったし、今も持っているのだが――、それを隠すことまでして、日野に近づいてみたかった。
侵略する星の中にいる小さなたった一つの存在――。
ちっぽけな存在だけれど、それでもビャクヤは興味を持った。
自分に関係のない――利益など期待できない者に興味を持ったのは、もしかしたら初めてかもしれない。なんだろう――、子供の時に感じた、未知のものへの探求とでも言うのか……。
そんなようなドキドキ感がある。
どうにかして近づいてみたかった――そこで都合良く、教科書という口実があったわけだ。
それを使わないビャクヤではない。そして実行したビャクヤの方をちらりと見た日野は、意外にも教科書を手渡してきた。
「…………」
「えと、これ――」
差し出された教科書を受け取る。
思えば――きちんと彼と向き合ったのは今、これが初めてかもしれない。
自己紹介の時は見てくれなかったし、さっきはどこかに行っていたし――、
戻ってきた時も全体を見ていたけれど、ビャクヤ個人を見ているわけではなかった。
なのでこれが初めて――ビャクヤと日野、お互いを認識し合う。
ビャクヤを見たということは、ビャクヤの容姿を認識し――意識したということだが。
微かな希望ではあったが、それでも一応、希望を持っていたビャクヤだ。自分の外見には自信がある。百人中、百人が見惚れるような容姿をしているのだが、しかし日野はビャクヤのそんな自信をあっさりと崩し、そこら辺に落ちている石ころを見るような目で見ているだけだった。
ぞくりとした。
ここで、
「なんでわたしに見惚れないのよ――どういうことなのよ!?」
と、いつもの彼女ならば叫ばなくとも、心の中で思っていたことだろう。
しかし今は、そんな疑問はなかった。
地球人に恐怖を抱いたと同時――彼は本当に地球人なのかと疑問も浮かぶ。
地球人――のはず。
しかし恐怖を感じてしまう地球人など、いるはずがない。
……侮っていた?
地球人を――、
彼という存在がありながら、地球人は最弱であると決めつけていた?
ビャクヤの中で想像が膨らんでいく。
地球人は弱い、それはビャクヤの思っている通りに、そのままである。
力的な強さは日野の中にはなく――地球人にはない。
ビャクヤが軽く息を吹きかけるだけでも(やり方によっては)制圧できるものである。
けれど日野――彼にはそんなことをしても意味がない、と。
ビャクヤはそう思ってしまう。
(……単なる思い込みね――こんなのは)
実際にそんなこと、あるはずがないと思うのだが――日野には、なにをしても意味がないと、日野自身がそう思わせるために印象操作をしているのかもしれない。
(そうよ、それしかない。でも――そうだとして、それならだいぶ凄いことをしているわね、こいつ……。地球人の中でも実力者、というわけね――)
「――それ、あげる」
すると、日野がそう言った。
なんのことなのか――と、はてなマークを頭に浮かべるビャクヤの顔を見て、日野は、
「教科書、ぼくは使わないから」
それっきり、彼がビャクヤの方を向くことはなかった。
さっきと同じように外の景色に意識を向けている。
頬杖をつき、ビャクヤを背にするようにして、授業など聞く気がないことを体で示してしまっている。しかし現れた担当教師が日野を注意することはなかった。
溜息を吐いているところを見ると、教師も良いとは思っていないらしいが、注意をしないということは諦めたか――それか、聞いていなくとも成績が良いか……。
日野は――後者である。
波を立たせずに過ごすことを重要としている日野にとって、成績を良くしておくことは必須の項目に入るだろう。一位ではなく、二位でもなく――、三位くらいがちょうど良いというのを分かっているのだ。
悪くはない――ただ、授業態度がよろしくないだけ。
これも悪いとまでは言えず、ただ授業に参加していないだけで、誰かに迷惑をかけているわけでもないのだ。これには教師も強くは言えない。
こうして静かな生活を手に入れた日野――。
授業など受けずとも、成績は良い――授業など受ける必要がまったくない。
ゆえに、教科書を使うことがない――ビャクヤに渡したところで、痛手にはならない。
「…………」
――違う! と叫びたかったが、抑えたビャクヤ。
欲しかったのは教科書ではない――、教科書自体は持っている。借りなくとも全然、対応できるのだ。欲しかったのは教科書ではなく――教科書を一緒に見るという権利。
そして物理的に近づけるという口実である。
しかし、そんなビャクヤの思いは日野にあっさりと断ち切られた。
まるで、近づくことが目的のビャクヤの企みが、見透かされたようだった。
教科書は借りることができた――これ以上、日野に話しかける理由はない。
転校初日ならば、友達になりたいという意味を込めて話しかけることもできるのだが――今のビャクヤは、そうストレートにはいけなかった。
少しの歪み。
たった少し、計画に支障が出ただけで、
簡単なことにも目を瞑ってしまうビャクヤは、まだまだ未熟だった。
「…………ありがと」
そうとしか言えず――この授業中、ビャクヤは日野に話しかけることができなかった。
五十分――、授業を聞いて。
変化はなく、休み時間へ突入する。
澪原茅野は、未だ戻ってきていない。
―― ――
質問攻めを喰らった休み時間が終わり――、
ビャクヤは二時間目に突入して、もう既に疲れ切っていた。
一つ一つの質問に丁寧に答えることが、
まさかここまで疲労を溜めるとは思っていなかったのだ。
疲れながらも昔を思い出し――、
これくらいの疲れなど甘い方だと言い聞かせ、もう一度チャレンジすることにした。
日野に、「教科書を見せて」と頼むと、今度は、渡された教科書は一冊だけではなかった。
驚き、目を見開くが、すぐに考えつく。
二時間目を含め、これから授業で使うだろう教科書を今、全てビャクヤに渡してきたのだ。
それが意味することは、これ以上、話しかけるなということだろう。
その時――、
ぶちっ――と。
ビャクヤのなにかが切れた音がした。
同時――なにかのスイッチが入った音がした。
(……へー。あー、そう。なるほどね――わたしを見ても、こんなスーパーな容姿を持つ、可愛いわたしを見てもなにも思わないし、しかも拒絶して、話しかけるなと、そういうことなのねこいつは。……かっちーん、ときた。今までわたしに見惚れなかった男はいないのよ――そこにはプライドってもんがあるのよ。……いいわよ、じゃあ――意地でも気を引いてやるっっ!)
ここで諦めて、日野を自分の計画から除外することは、負けたことになる。
意地――、任務に感情を挟むことは、してはならないことだが、譲れないところだった。
ビャクヤはさり気なく、消しゴムを落とした。
ちょうど、日野の机の下に落ちるように。
(――よし!)
ガッツポーズ。心の中でしておいた。
「朝凪くん――机の下にある消しゴム、取ってもらっていいかな?」
そう言ったが、日野は反応しなかった。
いや、そこはしてもいいんじゃないかな、とも思ったが、しかしこれも予想通りである。
――反応がないことは、もうパターン化されているので読めるものだ。
「――あ、じゃあ動かないでね。わたしが勝手に取るからさ」
反応しなくとも、聞こえていないわけではないだろう。
一方的に言っただけだが、それで許可を取ったとみなしたビャクヤは、椅子から離れ、屈んで日野の机の真下に、手を入れる――、
「なにしてるんですか白姫さん!」
ノーマークだった二時間目の担当教師――、五十代の女性教師の声が響く。
「――は、はいっ!」
そんな大きな声に反応してしまい、癖で姿勢良く、真っ直ぐ立ってしまったビャクヤ――、
その行動は、クラス全員の注目の的になってしまう。
自分の裸を見られたように恥ずかしくなったビャクヤは、顔を真っ赤にして目をぐるぐると回す。二時間目の担当教師の言葉など、なに一つ、頭に入ってこない。
言い返せたのはテキトーな言葉が上手く、都合良く伝わっただけだろう。
「……授業中ですから、気を付けてください」
「……はい」
どうやら、ただ消しゴムを取ろうとしただけ、ということは伝わったらしい。
説教は特になく、注意だけでこの場は収められた。
他の生徒には悪い印象を植え付けてしまったかな――と気になったビャクヤは、周りを見る。
男子生徒は真っ赤にしたビャクヤを見て、「さらに可愛い」などと評価を上げていたし、女子の方は、「意外に抜けているところがあるのかも――」と少し下に見ることによって、これまた好印象になっているようだった。
ビャクヤが思っているような心配は、まったく現実には現れていなかった。
どちらかと言えば、良い方に向かっているのかもしれない。
あ、ちょろいかもしれない。
しかし――。
「……ありがと」
呟きながら――机を見る。
机の端っこに――さっき落とした消しゴムがあった。
日野が、拾って、置いてくれたのだろう。
反応しなかったくせに、ビャクヤが注意を受けている間――、彼女が意識を向けていなかったところを狙って、日野は、素早く消しゴムを回収し、机に置いてくれたのだろう。
(……こ、の、野郎――!)
悔しさを感じながらも、しかし笑顔でいるビャクヤの表情を――。
日野は、もう見ていなかった。
ちなみに、澪原茅野は未だ戻っていない。
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