第11話 侵略中……、その2

 三時間目である。


 今まで「気分が悪い」と言って保健室で休んでいた澪原茅野は、保健室の先生に「そろそろ戻った方がいいよ」と言われ、仕方なく教室に戻ってきているところであった。


 そして、教室に戻ってきたはいいのだが――、

 既に授業が始まっているので、どうにも入りにくい雰囲気である。


 静かにみんな、集中している。


 本来ならば、休み時間に戻ってこれるはずだったのだが、逃げ出した時のことを考えると、クラスメイトと会いたくなかった。そんなことを言ったら、いつまで経っても入ることができないし、会うことなんてできないということは分かっているが、しかし気持ちは正直だ。

 せめて――せめて今日はもう会いたくない。

 明日、必ず会いますから――と神様にお願いして、今日は颯爽と帰りたかったのだが――。


 まあ、そんなわがままが通るはずもなく――入るしか選択肢はないわけだけれど。


 一歩目が踏み出せない。

 いつも通りの自分を見ているようで――危機感を覚える。


 ずっと、こんな調子だ――こんなことじゃあ、日野を奪われても文句は言えない。


(――そんなこと、分かってるけど……)

 自答をする――し続ける。


 保健室に行く前に、自分の意思を、決めたはずだった――意思が分かって、そして気持ち、真っ直ぐに行動するための、決意もしたはずだった。

 どうすればいいのか――どうしたらいいのか――、

 そんなものの答えは、隠す気がない程に、明るみに出ている。


 誰でもできるような簡単なことではないかもしれないが、

 やるという意思があれば、持つ者にはできる、簡単なことだ。


 それができないということは――、自分には意思があり、決意をしても、しかし覚悟がないということだろう。


 まだ足りない――自分には、覚悟が足りない。

 ぎゅっと拳を握って――できることをする。


 そんな茅野ができることは――、教室の後ろ、入口の扉を少しだけ開けて、日野とビャクヤのことをじっと観察することだけであった。


(……なにしてるんだろう?)

 ――もちろん、授業だ、とは分かっている。


 日野はいつも通りになにもせず、授業を聞かず、ノートも取らず――教科書は開かず、今日は出してすらいなかった。彼は外の景色をじっと見つめている――。

 日野も風景の一部なっているかのように、違和感がなかった。


 あまりにも違和感がなかったので、スルーしてもおかしくはない擬態だったのだが、しかし日野の周りがちょこまかと動いているので、そこに意識が向かってしまい、結果的に日野の完璧以上の擬態にも、違和感はないが気づいてしまう状態だった。


 ビャクヤだ。


 彼女は先生に、生徒に気づかれない程度に、日野に向かってちょっかいをかけていた。

 後ろからじっと見つめる茅野にはばればれで、全てが丸見えだった。


 さり気なく机も近づいているし――体と体の距離が近い。

 自分だってそこまで日野くんに近づいたことはないのに――と思考の文句、嫉妬が言葉として出そうになったが、ぐぐぐ、と押し殺した。


 だが、ビャクヤは近づいているが、しかし触れているわけではない。そこはルールとして存在しているのか、彼女はそれを守っているようだった。

 触れないで、どう、意識を向かせるか――ゲームだとでも思っているのか、ビャクヤの顔は活き活きとしていた。


 そして日野は、まったく相手にしていなかった。

 その対応に茅野は、ほっとした。


 そのまま嫌われてしまえ――と、最低な女のような考えを持ってしまい、自分を責めたが、その願いは決して叶わないだろうなと思って、自責は甘く、軽くなった。

 日野はなんとも思っていないのだから、そこに好きも嫌いもない――ただ、無である。


 ビャクヤに向けて――無である。


 茅野にも同じく――無である。


 うわあ……、と。


 自分で勝手に思って落ち込んだ。

 自分は日野にとっては、無なのか――。


 いやいや、と、ぶんぶん首を左右に振って、嫌なイメージを振り払い、取り除く。


 まだ大丈夫。まだ分からない。

 これから先の行動によっては、日野の意識が茅野に向くかもしれないのだ。

 今、こうして人を見ているだけでは、決して意識を向けられることはないだろう――、

 それだけは確かに分かった。


 このままじゃ――いけない。

 このままじゃ本当に、取られる。


 でも――。


「……すごいなあ――」

 出すつもりがなかった声が出た。


 視線の先にはビャクヤがいる――あれだけ相手にされていないのに、あれだけ無視されているのに。彼女は諦めずに、日野にちょっかいをかけ続けている。

 嫌そうな顔はせず、ショックを受けている様子もなく――、

 それに今のところは、好意は感じられなかった。


 となると彼女はなぜ――ああも熱心にちょっかいをかけているのか。


 恋愛的な好意はなくとも――しかし好意なのかもしれない。


 まだ完成していない好意――。

 まだ生まれたばかりで、成長していない好意なのかもしれない。


 だから好意として感じられなかった――そんなところか。


 彼女から発せられているのは、悔しさ――。


 負けられないという敵対心とでも言うのか。


 なんにせよ――すごい。コミュニケーションを取ることをすぐに諦めてしまう日野を相手に、挫けず、崩れず、ああして挑戦し続けることができる。


 学ぶことは多い。

 盗めるものも――。


 まだ奪い合うなんて仲ではないから――敵対するのは早い。


 今はまだ――友達として、仲間として。助け合うことも必要かもしれない。


 自覚した時が――勝負。


 遠慮をしないで――ぶつかり合う。


 自分にそんなことができるのか――できないよ、と即、否定がくるが、今回はその否定を否定した。違う――できないじゃない。やっていないことをできないと勝手に決めつけるほど、自分はなにかをしたわけじゃない。自分にそんなことを言う資格はない。


 ――そうだ。嫌々じゃない。仕方ないでやることじゃない。


 やりたいこと。

 やらなくちゃ、気が済まないこと。


 自分がしたいことなのだ。


 やりたいことからも逃げるとしたら――自分は本当になにもできない。


 そこまできたら終わりだ――日野よりも、終わっている。



 そして――、三時間目の授業が終わる。


 澪原茅野は戻らなかった。


 ――けれど、逃げたわけではない。


 彼女の芯はこの時――、しっかりと完成した。


 ―― ――


 今日も良い天気だな――と、朝凪日野は思った。


 四時間目――、体育である。体育着を着ているが、しかし日野は三時間目と変わらず、教室にいて、椅子に座っている。そして景色を見ている。周りに生徒は誰一人としていない――、

 当然だ。みんな、体育の授業のために校庭に足を運んでいるのだから。


 サボっているように見えるが、これでも見学します、という許可は取ってある。

 気分が悪いという、一発で嘘だと分かってしまうような理由だが、日野の表情は常時、気分が悪そうな表情なので、教師も嘘なのかどうか、見破れなかったようだ。


 一度は外に出た日野だが――外にいればさらに気分が悪くなってしまう、と教師にテキトーなことを言って、こうして教室に戻り、椅子に座ってのんびりとしているわけである。


 天気は良いが――外で運動する気にはなれない。


 気分が悪いのは嘘ではない――疲れているのだ。


 今日もきちんと寝ているはずなのに――いや、寝ているからこそか。


 なんにせよ、更新されていく『オリジナル』の一日くらいは、のんびりと暮らして生きたいものだ――そうすることで後々、楽になっていくことになる。


 しかし変化がない――山もなく谷もなく。いや、別に望んだわけではなく、今みたいな凸凹のない平坦な道を走るような人生を望み、それに満足しているのだが――。

 しかし気の迷いみたいなもので、一瞬でも、刹那でも、願ってしまうことはあるのだ。


 なにか――変化でもあればいいのにな、と。


 そんなこと、望んでいないのにもかかわらずだ。

 苦手だけれど、あえてそれを体験してみたい――それと似ているか。

 怖いものは嫌いだが、ホラー映像をなぜか見てしまう――そんな心理的なものに近いと思う。


 そして――願ってしまったのが間違いだった。


 もしも神様がいるのならば、なぜピンポイントでこの願いを叶えてくるのか――、

 殺意が湧くほどだった。

 日野には珍しく、内心は無ではなかった。

 こうして、なにかを思うことすら、いつから忘れてしまったのだろうか――。


 意識してなにかを思ったことは、いつで最後だったのか――。


 その時、がらら――と教室の扉が開く。


 ――キャンセルはできませんか、神様。


 そんな日野の気持ちは押し潰され、一瞬でも願ってしまった日野の願いが――、今日、叶ってしまったわけだった。

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