第5話 前の席の少女

 徒歩、十分程で、日野は学校に辿り着いた。


 余裕を持って来たはずだが、朝練をしている生徒が多いのか、校門から下駄箱までの道のりにはたくさんの生徒がいた。

 部活動をしている者が大半だが、中にはただ単純に早起きをして学校に来た者もいる。

 とは言っても遅刻と評価を下されてしまう時間までは十五分と少しなので、多少、混んでいてもおかしくはないのだが。


 人の流れに乗るようにして進み、下駄箱――、靴を履き替えて二年の教室へ向かった。


 二年二組――教室には半分よりは少ない人数のクラスメイトがいた。


 教室に入った日野は、誰にもあいさつをされなかった。

 それは日野が極力、音を立てず、目立たずに入ったせいもあるのだが。

 けれどクラスメイトだってさすがに気づいていた。


 ちらりと横目で日野のことを確認していたことなど、日野は気づいていた。

 けれどあいさつをしなかったということは、あいさつをするほどの仲ではないということだ。


 ただのクラスメイト。

 同じ教室を利用するだけの者。


 友達と言える関係ではない――。


 これは合意の上での関係である――、

 日野はなにも、クラスメイトと仲良くしたいわけではない。そんな感情などなく、日野自身、近寄ってくる、『友人になったであろう』クラスメイトを拒絶していたからだ。

 無視されているような状況だが、望んだのは日野――。

 クラスメイトもそれを知っているからこそ、日野には関わろうとしないのだ。


 これでいい――。

 これがいい――。


 これが望んだ形。


 日野はクラスメイトをさり気なく見たが、それは背景として見ただけだった。

 黒板や壁と同じ認識――観察の対象物にはなんの興味もない。ただ、見ただけだ。


 そしてすぐに、視線を自分の席に戻した。


 日野の席は窓側の一番後ろ――、直射日光がたまにきつい時もあるが、それをなかったことにすれば、なかなか、快適な場所である。


 まず、話しかけられることがない。

 それに、目立つこともない。


 欲を言えば、廊下側の一番後ろが、

 暑さ的な問題で涼しそうだからと、望んでいたのだが――。


 七月である今――夏がそろそろ顔を出してきている。

 暑い日も少ないわけではない。


 まあ、それでも絶対に窓側が嫌なわけではないし、現状、これでも全然構わないので、文句はないのだが――。欲を言えばの話で、日野の中に欲などはまったくと言っていいほどにない。

 あったとしてもこんなくだらないことには使わないので、結局、日野がこの位置から移動することは、未来永劫ないのだろう。


 そして日野は自分の席に座り――時計を見る。

 先生が来るまであと、十分程。


「…………」

 することもないので眠ろうと机に突っ伏そうかと思ったその時、


「……お、おはよう、日野くん……」

 きちんと聞き取れたことにまず驚いてしまうような、

 小さく消えてしまいそうな声が前の席から聞こえてきた。


「……、あの、おは、おはよう……?」


 日野から反応がないことに不安を感じたのか、あいさつをしてきた女生徒が、もう一度あいさつを繰り返した。そんなに怯えながらあいさつをするのならば、最初からしなければいいのに――思ったがしかし、日野は、


「……うん」


 そう言っただけだった。

 それでも女生徒は嬉しかったらしく、

「――う、うん」


 口元が緩んでいた。

 けれど本当に嬉しいのか定かではないような頷き方をしているので、いまいちこの女生徒の感情が掴めないでいる日野。

 だが、それはなににも興味を示さない日野が言えたことではない――、女生徒からしても日野は謎過ぎる人物であり、感情など欠片も掴めないから、お互い様ではあるのだが――。


 そんな二人の会話はそこで止まる――女生徒の方は話題を探しているらしいが上手く話題を見つけられていないらしい。いつまで経っても次の言葉が出ないことからそれはすぐに分かった。


 日野の前の席に座っている少女――澪原みおはら茅野かやの


 染めたことなどない、アレンジを加える気のない純粋な黒髪に、青いカチューシャをしている――特徴と言えばそれしかない。

 だが、他に特徴がないからこそ、その青いカチューシャが特徴以上の効果を発揮していた。


 青いカチューシャと言えば澪原茅野と言えるほどに、

 カチャーシャというアイテムは、彼女の存在を示していた。


 イコールで繋げられるほどに――イメージが固定されている。


 もしもカチューシャがなければ、彼女は澪原茅野と認識されないとまで言えるほど――。


 そんな彼女は、恐らく人と話すことが苦手なのだと思う。


 一歩、踏み出せない――初歩的な部分に枷がはめられて、自由になれていない。

 自分から他人に話しかけることができず、他人から話しかけれても緊張や不安、恐怖で逃げてしまうから、入学して一年を過ごしたのにもかかわらず、彼女にはなにもなかった。


 友達はいない。

 当然、信頼できる人も信用できる人もおらず。


 日野と同じくらいに――クラスでは浮いていた。


 だからこそ、日野に、惹かれるものがあるのだろう。


 日野に唯一、話しかけるのは――茅野なのだ。


 ―― ――


 そんな風に、同じ立場で仲間意識が彼女の中で生まれているのかもしれないが――、

 しかし日野からすれば、茅野が自分に近づいているのは、ただ傷の舐め合いをしたいだけなのだと思っていた。


「あ、あのね――」

 話題を見つけたのか、必死に話しかけてくる茅野。


 けれど日野の中に、彼女と傷の舐め合いをする気などまったくなかった。

 ただの彼女の自己満足に付き合う気はないので、日野は彼女に視線すら向けず、


「寝るから、静かにして」


 言って、机に突っ伏した――、

 顔を、枕代わりにした腕に沈ませて、残りの時間を睡眠に使う。


「あ、う、うん……ごめんね、日野くん……」


 聞いていて分かりやすい程に落ち込む茅野。


 日野も聞いていて、彼女がどんな状況なのか分かっていたが、しかしフォローはしなかった。


 茅野は周りのクラスメイトとは少し違う――、だから周りのクラスメイトよりは対応を少し変えていた。フォローくらいはしても良かったか――と、思考の中でちらりと考えてみたが、

 しかし、睡眠には勝てなかった。


 意識は沈む。

 茅野へのフォローは、眠気によって落ちてしまった意識と共に、消えていた。

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