第32話 妹の反発
サクヤは情報を渡していいものか、
一瞬、悩んでから、独断で良いだろうと判断して答える。
「……狐と狸ね――」
サクヤは自分が探している人物――、二人の顔写真をビャクヤに見せた。
写真に写っていた顔を見ても、やはりビャクヤには誰だか分からなかった。
「フロックス・ダイナマイツ。キヌオ・グリンナイツ――この二人。けどまあ、写真に意味はないわよ――この二人は化ける能力を持っているから、この顔を見つけようと地球中を探したところで、見つけられない。人間に混ざって、彼らはずっと追跡を逃れてきたのだから」
サクヤは写真をしまって、
「ビャクヤが悩むことではないわ。ビャクヤにはビャクヤのやるべきことがあるのだから――」
言われて、はっとする――そうだ、自分には、侵略という役目があって――、
だが――そこでサクヤは。
「いや――ビャクヤ」
サクヤはビャクヤに向かって、片手を差し出した。
「?」と姉の意図が読めない妹は、無防備にその手を取りそうになる。
けれどその手は――サクヤの言葉によってぴたりと止まる。
「侵略は私に任せて――のんびりしてていいわ。
そして一緒に帰りましょう――ナイツに」
その言葉は。
優しく言われたその言葉は――。
表面だけを見ればビャクヤのことを想ってのことなのだろうけど――、中を見てみれば、違う。実力不足だから――、このままじゃあ、絶対にできっこないから。
非効率だから、時間の無駄だから――。
だから私に任せろと、サクヤはそう言っているのだ。
少なくともビャクヤはそう取る――取ってしまう。
だからこそ――手を取らなかった。
ぱしん、と――姉の手を払う。
ビャクヤは初めてだった。
ここまで、はっきりとした拒絶をしたのは。
そして手を払った時の――姉の驚いた顔を見るのは。
「……やめて。わたしは、まだできる。勝手にわたしの限界を決めつけないで」
姉に与えてしまった負担は数え切れないほどだ――だから極力、姉の言うことを聞いていきたいと考えていた。しかしこれは譲れない――この任務だけは、譲れなかった。
地球を侵略する――たったこれだけのことすらもできない。
たったこれだけのことを、人に任せてしまう。
姉に、丸投げしてしまう――、
たとえ相手側からの提案だとしても、それをすれば、ビャクヤはきっと、這い上がれないほどに落ちることになる。
だから、
「姉さまは、黙って見てて」
「……言うようになったわね――ビャクヤ」
声だけでも充分に怯えることができるほど――サクヤは面白くなさそうだった。
サクヤは――ふっ、と笑って、
「無理よ」
と、言い切った。
「ビャクヤには悪いけど――三日も経っている。
これ以上、地球に長くいれば、それだけでも危険なのよ――」
「危険って、わたしが地球人なんかに負けるわけが――」
「そうじゃなくて」
サクヤは言う――平和過ぎる地球にいることで起きてしまう、体の異常。
今、もう既にビャクヤの中で起こっている、変化を。
「地球人と共にいることで、ビャクヤ――あなたの心が、なにもかもが、地球寄りになってしまうから。そしてそれが言えるのは、地球だけではないわ――どこも同じ。
どこの惑星にいっても、三日以上も滞在すれば、その星に染まってしまう」
だから――とサクヤ。
「ビャクヤ。あなたはもう――タイムアップなの。
これ以上は危険――ビャクヤがビャクヤでなくなってしまうから」
そう言われたら――自分の身を案じて、引くだろう。
ビャクヤの中でも理由をつけていた――そういう理由ならば、途中で任務を辞退したところで仕方ないかで済ませることができるか……、と。
そう、逃げる理由をつけていた。
できることならば、そりゃあ、地球侵略なんてできるかどうかも分からないこと、したくはない。失敗した時のことを考え、失望されてしまうことを考えれば、ここで引いておくのが身のためかもしれないけれど――、
だけれど。
「やっぱり、姉さまはわたしを甘く見てる」
ビャクヤの目は――鋭く、細く。
姉とよく似た――敵意の目に。
「地球に三日いたくらいで、わたしは地球色なんかに染まらない。そこまで――自分を見失うほど、そこまで、『自分』が固定されていないわたしじゃない。
地球は地球で、わたしはわたしで――揺るがないわよ。ブレないわよ――そこまで言われたら、わたしにだって思いがあるんだから、言うよ。
――意地でもやってやる。
なんと言われようとも――わたしはこの地球を侵略するわ!」
言い切ったビャクヤは、全身を震わせながら――サクヤの返答を待たなかった。
待っていれば――そしてサクヤの返答を聞いてしまえば。
ビャクヤはきっと――崩れてしまう。
今でもギリギリだ。
立っているのがやっとのような――そんな精神。
だからすぐに、くるっと後ろを向いて――、
「いこう――朝凪くん」
そう声をかけられた日野は、首だけ動かし、ビャクヤを見て――頷いた。
―― ――
「――少年」
と、サクヤが日野に声をかけた。
「……ぼくですか?」
「君以外に誰がいるんだ?」
そうですね……、と言いたそうな表情で、
日野はビャクヤを追いかけようと半回転させていた体を戻し、サクヤの方へ向ける。
「……面白い目をしている――真っ黒だな」
「はあ」
日野はテキトーな相槌を打つ。
ここで無視をしないところ、一応、礼儀は頭の中にはあるらしい。
「――用件は?」
「君はビャクヤのことを――どう思っている?」
宇宙人として。
これほどの危険に巻き込まれたことを踏まえて、どう思っているのか。
そして。
異性として――、
自分の妹を、女として、どう思っているのか。
そんな二つの意味を持つ質問だとはまったく知らず――、暴こうともせず。
日野はいつも通りにこう答えた。
「なんとも」
日野にとって――ビャクヤとは。
「まあ……友達、じゃないですか?」
「そう――」
そう言ったサクヤを見て――日野は。
サクヤに背を向けて、ビャクヤの背中を追いかけた。
そして残されたサクヤは――日野の背中を見続ける。
「……最後のは、分かりやすいくらいに、気を遣ったわね――」
友達と答えたのが――気を遣った答え。
なら――本当に日野は、ビャクヤのことを。
「なんとも、思っていないということなのね――」
さすがにサクヤでも、ぞくりとした。
あそこまでなんとも思っていないと――言えるものなのか。
本心で。
まったくもって、興味なく。
恐怖さえも抱かないなんて。
「地球は狭いけど、世界は広い広い――」
呟いて――目を瞑り、
「ビャクヤは――彼を、あの女の子と取り合っているということなのよね――」
短時間だけれど、ビャクヤを観察して、そしてビャクヤ本人が言った言葉を利用して見破ったその事実――、まさかと思ったけれど、本当にそんなことになっているとは、サクヤは夢にも思わなかった。
地球色に染まっていない、染まるわけがない――と、ビャクヤは言ったが、
もう既に、充分に、染まっている。
それに――、
「地球色というよりは、ピンク色よね」
彼にいいようにあしらわれて、遊ばれているビャクヤを想像して。
サクヤは、少しだけ微笑み――目を開けた。
「――あそこまで言うなら、結果は残してほしいものよ、ビャクヤ」
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