第33話 朝凪家へ

「はいっ、好きなだけ食べていいからね」

「そうだぞ、おれよりも食べていいんだからな」


 あはははは、がはははは――と笑う両親を見て、

「……うるさいなあ」


「だって日野が! あの日野が! 家に友達を連れてくるなんて! 

 しかも二人! しかも女の子! いやー、お母さんは日野の成長が嬉しいよ!」


「……大げさだなあ」

「大げさじゃないぞ。だって今までこういうことなんてなかったじゃないか」

「――それは、まあ、そうかもしれないね」


 父親の言葉にそう納得して、日野は出された料理を一口食べる。

 そして――そんな光景に最大級に戸惑っているのが、一人。


 ――どうしてこうなった。


「ほら――茅野ちゃんも食べていいのよ」

「――あ、はい。ありがとうございます」


「ビャクヤちゃんの方は遠慮もなくガツガツ食べてるからね――」

「ははは、あそこまでは食べられないですよ……私、小食なので」


 隣を――ビャクヤを見て、笑みがこぼれる。


 そう? と首を傾げながら、しかし全然、疑問など欠片も思っていなさそうな母親に、今の笑顔をそのまま返す。

 そして置かれている料理を見つめ、茅野は一口、ゆっくりと料理を食べながら、


 まずは状況の整理――。


 自分は確か、眠っていたか、気絶していたか――目覚めた時のビャクヤの焦りようから、恐らくは気絶していたのだろうことが、茅野でも分かる。

 そしてもうその時――、起きた時には既に日野の家にいたのだ。


 日野のベッドで、起き上がって、

 それでまず動揺――戸惑いの始まり。


 そして、なんだか体のあちこちが鈍く痛いことに気づき、がまんしようとしたが、茅野ではまったく効果を示さなかったらしく、ビャクヤにはすぐばれてしまった。

 どこが痛いのか、しつこく聞かれて、嘘さえも見破られて――、

 裸にまでさせられて、茅野はビャクヤに全身、手当てをされた。


 今は服を着ているので隠れているが、服を脱げば包帯が茅野を包んでいる。

 手当ての最中、ビャクヤに聞かれた――『気絶する前のこと』。


 記憶を引っ張り出してみるが、茅野の中では日野と一緒に観覧車に乗った――そして。


 あまり思い出したくはないけれど、結局、告白が出来なかった、というところまでは覚えている。だけれどそこから先――、まったく覚えていなかった。

 なにかあったはず、そこで、忘れてはいけないような、なにかがあったはずなのだが――。


「あ、茅野――ほっぺについてるよ」

「え? あ、ありがと――」


 どうやら状況整理に集中していたせいで、無自覚に、ほっぺに料理をつけてしまっていたらしい。ビャクヤはそれを、ハンカチで拭ってくれた。それはつまり、接近するということで、距離が詰められるということで――、茅野からしても美人だと思えるビャクヤとここまで近いと、茅野の方が照れてしまう。


「ありがと――ビャクヤちゃん」

「どういたしまして」


 笑顔のビャクヤ――やっぱり、輝いて見える笑顔だな、と茅野は思った。

 これは男子たちが釘付けになっていてもおかしくはない――当たり前だと思えた。


 そしてついさっき、治療の際に話をして――茅野とビャクヤは打ち解けていた。

 今では互いを名前で(茅野はちゃん付けであるが)、呼び合う仲である――茅野はまだ、気恥ずかしい気持ちがあるが、ビャクヤのぐいぐいくるその遠慮のない性格のおかげで、なんとかそれについていこうという考えが生まれ、茅野自身もぐいぐいいこうとしていた。


 それでもちゃん付けのところで、茅野は精一杯だったが。


「日野くん……」

「――日野」

 と、その時、茅野とビャクヤの言葉が重なった。


 互いを見合って――うぐ、と少しだけお互い、嫌な顔をした。


 それを見ることすらせずに――日野は黙々と、料理を口に運ぶ。


「こら、日野。二人が呼んでるわよ?」

「……ん? どうかしたの?」


 母親の呼びかけで、本当に、いま気づいたとでも言いたそうな、表情――声。

 気づいていながら無視していたわけではないのか――。


 思った茅野は、それから、

「ビャクヤちゃんからでいいよ……」


「……いいの?」

 茅野がもう一度、いいよの意味を込めて頷いたのを確認してから、

「じゃあ……日野。今日、わたしたち――ここに泊まってもいい?」


 そう言ったビャクヤの言葉に、一番の反応を示したのは、茅野だった。


「――え、えぇええっっ!?!? ビャクヤちゃんっ、なに言ってんの!?」


「だって――茅野、色々と怪我、してるでしょ? 今から帰るのは危ないし、わたしが心配なんだから。だったら日野もいるし、ここにいればいいんじゃないかなって――」


「でも、そんな勝手に――」


 ちらりと母親と父親を見て、少しでも『断ってくれ』と願った茅野だが――、しかし怪我をしていることもあり、茅野の願いが叶うことはなかった。


「うちは全然、大丈夫よ――別に、いつまでもね」

「いや、さすがにいつまでもは――」


「ね! ほら――これで安心」と、ビャクヤ。


 茅野は確かに、泊まれることを嬉しく思うし、チャンスでもあるけれど――だがたぶん、一日ならまだしも、これが何日も続くとなると、身が持たない。

 休んでいるはずなのに疲れ切ってしまう――。

 怪我は癒えるが、今度は精神的に疲労が溜まってしまいそうだった。


 だが、それでもやはり嬉しいことには変わりないので――断ることもできなかった。


「うん……安心だね」

「でしょ――じゃあ、次は茅野。日野に用事でもあったの?」


「え……?」と声を出したのは茅野だ。


 そう言えば自分は、日野のことをビャクヤと同時に呼んでいた。

 用事も当然のようにあったのだけれど――しかし上手く言葉が出せなかった。

 だからなんとか、沈黙をしてしまうことを避けるために、呟くように言う。

「ううん、いや、大丈夫だよ――」


「そう? ならいいけど――」

 ビャクヤはそれだけで、それ以上の詮索をしなかった。


 そして目の前に並べられている料理を食べる茅野は――ただ一つだけ思う。

 日野に向けた疑問ではなく――ビャクヤに向けた疑問。


 ――いつ、ビャクヤは日野のことを、名字ではなく名前で呼ぶようになった?

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