第22話 ビャクヤのトラウマ

 しつこく付きまとってくる男子をなんとか振り切ったビャクヤ――。


 彼女はうんざりと肩を落とし、ふらふらの足取りで自分の家へ戻っている。


 好まれるのは嫌ではないけれど、それでも限度があるだろう――、まさか家までくる、などと言ってくるとは思わなかったし、拒否しても無理やりついてくるとは思わなかった。

 もちろん男子全員がそうというわけではなかったが、しかし三分の一は、帰るビャクヤの後ろを着いてきていたのだ。


 見える範囲でついてくるのならばまだいい――。

 しかし、ビャクヤに気づかれないようにこっそりと、男子たちは着いてきていたのだ。

 もう、ストーカーである。


 命とは別の危機を感じ――ゾッ、と感じたビャクヤは本気の逃げに徹する。

 見られていると言っても自分の背中だけだ――他の場所からの監視はない。


 ならば――と、ビャクヤは曲がり角を曲がったその時。


 後ろから着いてきている男子たちにとっては、一瞬だけビャクヤを見失うであろうその瞬間に、ビャクヤは跳躍した。

 道を一つ越えるほどの大ジャンプ――、男子たちだけではなく周りの目も気にしながら静かに、しかし大胆に。このまま他の道に着地して、進みながら決まっている帰路に戻ればいいと思っていて、そう計画していたのだが――。


 けれど空中でビャクヤは、

「――あ、でも、このまま帰ればいいんじゃないかな?」


 空中でもう一度跳躍することなど、ビャクヤにとっては難しいことでもない。

 宇宙アイテムを使ったわけではない――。


 これは単なる、ただの、ビャクヤ本来が持つ身体能力。


「――やあッ!」

 気合を入れるための掛け声と共に、空を蹴るビャクヤは、その位置から前進――空気の層を引き裂くようにして、風を体で感じるようにして。

 そして時速、百五十キロは越える速度で辿り着いた場所は――山だった。


 地球人にとって、ここ数日では一番、記憶に新しい山である――。

 そしてここは、ビャクヤが地球に初めて降り立った場所でもあった。


 宇宙船に乗って――そして不時着した。

 山に突き刺さるように――。

 地球人に見られないように『不可視フィールド』を展開していたはずだけれど、不時着の時の衝撃のせいか、一日だけ切れてしまっていた。

 そのせいで見られてはいけないはずの宇宙船が、地球人に見られてしまったのだ。


 それが地球では――報道された。

 強い警戒を与えてしまっていたかもしれない。


 ただそれも一日だけだ――、その日が終わりそうな時に、ビャクヤは不可視フィールドが切れていることに気づき、慌てて張り直した。

 地球の報道では、ビャクヤが直した結果――、謎のオブジェクトがいきなり消えた、とまたも別のニュースとして取り上げられてしまったのだが。


 いきなり現れ――すぐに消え。

 姿が消えればそれで解決かと思っていたが、そう甘くはなかったようだ。


 ビャクヤが山に辿り着いた今でさえも、山に起きた異常を調べるために送り込まれた調査員が、細かく山を調べている。

 まあ、不可視フィールドのおかげでばれることはないのだから、心配はないのだけれど。


 心配と言えば、この宇宙船よりも自分のことである。宇宙船は地球人には見えてはいない――しかしビャクヤは見えてしまっている。

 こんな山に少女一人――、当然、見られて見逃してくれるはずもなく、不審者扱いされるわけではないとは思うが、それでも、

 重要人として保護され、そしてついでに色々と聞かれることだろう。


 それはがまんできない。

 なのでここでは細心の注意を払い――、不可視フィールド内にある宇宙船に乗り込む。


 扉を閉めて、

「――ふう」と息を吐く。


 調査員にはばれていなかったようだ――、ばれたとしてもやりようはいくらでもあるが、しかし、できることならば騒ぎは起こしたくない。

 ビャクヤのやろうとしている侵略とは、誰も傷つけないような、平和的なものなのだから。


『あ――おかえりなさい、姫』


 帰ってきたビャクヤにそう声をかけたのは、空間に映し出されている、ビャクヤと同じ身長の少女だった。彼女は――、ニコは、にこりと笑って、


『ご飯にします? それか、ご飯にします? ――それとも、ご飯にします?』


「そこまで言うならご飯でいいわよ……」


 選択肢は結局のところ、一択だった。


 夕飯にしては早い気もするけれど、せっかくニコがそう誘ってくれているのだ――断るのも気が引けた。なのでカバンを置き、椅子に座って、テーブルと対面する。


 出てきたのはパスタだった――赤いソースがかかっている、トマトソースパスタ。


「……これ、どういうこと?」

 嫌な顔をし、ビャクヤが言う。


『見たまま――トマトソースがかかっているパスタですが?』

「あんた、あたしがトマト嫌いだって知ってるよねえ!?」


 立ち上がり、抗議するビャクヤだが――、ニコはそんな抗議を聞こうとはせず、

『好き嫌いをしてはいけませんよ――これでも任されていますからね、姫のことを』


「…………その、姫って言うの、やめてよ」

 後になるほど言葉の強さが弱になっていく。


 萎んでいく言葉――そしてビャクヤは席に座る。


『――ワタクシにとっては、姫は姫です。ビャクヤと呼ぼうとも、姫なんですよ』

「姫じゃないわよ――わたしは。……姉さまの方が、姫に相応しい」


『そうでしょうか? サクヤ様は――姫には向いていないと思いますが』


 サクヤ様――と、想像はしなかった姉の名前を聞かされて、彼女のことを具体的に想像してしまい、体を震わせるビャクヤ。

 体が縛られているような感覚――、

 固定されているかのように椅子から動けなくなってしまった。


『……比べられるのが、そうも怖いのですか?』

「そりゃ、怖い、よ――」


 それだけではない――、

「比べられて、見放されるのが怖い――」


 比べられた――色々な人に。

 友達、仲間、肉親。いつもいつも、姉と比べられた。なんでもできる姉と、なにもできない妹。できないとは言っても、それは姉と比べられたら、というだけで、姉のせいで基準が上がってしまっているだけなのだ。


 ビャクヤは出来損ないではない――姉と比べなければ、充分な実力を出せるのだ。

 けれど――姉と比べられた。それは不運としか言いようがない。


「お父様はわたしのことなんて、どうでもいいと思っているよ……」


 なにもできない妹よりも――姉を選ぶ。

 行動がそれを示してしまっているのだ。


『そんなことはないですよ――だって、

 侵略なんて任務、信頼をしていなくちゃ一人には任せないですよ』


 ニコはそう慰めたけれど――。

 しかしビャクヤは『侵略』のその答えを――本質を見抜いている。


「邪魔だから――」


 ビャクヤは、動かせる範囲で、自分の体を抱いた。


「わたしが家にいたって、邪魔でしかないから――だから追い出すために、地球侵略なんて任務を言い渡したんだと思うよ……」


 どうせ期待などされていない――。

 成功でも失敗でもどちらでもいい――、そんなテキトーな意図だったのだろう。


 どうせ地球などいつでも潰せる――それくらい、ナイツには力がある。

 いつでもできる侵略をビャクヤに任せたのは――。


『――確かに、テキトー……なのかもしれませんね』

 と、ニコは、今度は慰めなかった。

 気づいたのだろう――今のビャクヤに慰めは逆効果だろうと。


 だから、少し喝を入れることにしたのだ。

 ニコは顔をビャクヤに近づけ、


『でも、見返そうとは思わないんですか? ――ビャクヤ』

「見返す……?」


『そう――見返す。あの方に気に入られるように、努力をしないんですか?』


 この地球侵略という任務をビャクヤに言い渡したのは――。

 父親がビャクヤに、期待をしているからではないのだろうか。


 していなくとも――今回の成果によって、ビャクヤへの認識をあらためるのではないか。

 ニコは、そう言いたいのだろう。


 ビャクヤの父親にして、惑星ナイツの王として存在している――彼の気持ちを。

 今ここで、代弁しているのだろう。


『あの方は、まあビャクヤには厳しいようですが、

 お母様はあなたのことを認めているでしょう?』


「……うん、まあ――そうだけどさ」

 ビャクヤは頷く。


 母親はビャクヤのことを嫌ってはいない――姉と、誰かと比べることもしない。

 おっとりとしていて、すぐに周りに流されてしまう母親でも、娘のことに関してはしっかりと自分なりの芯を持っている。だからこそ、自分の味方をして、父親に叱られている母親を見るのが、ビャクヤはつらかった。


 自分のせいで――母親も取り残されていく。

 家から――周りから。孤独になって、一人になって。


 でも――こんな自分が任務を頼まれて、一週間で地球を侵略して帰ってくれば。

 父親は、認めてくれるのではないか――周りのみんなも、認めてくれるのではないか。


「…………」


 そうなれば、母親が叱られることもない。

 誰が叱ると言うのか――。


 みんなに認められている少女を、褒める母親を。

 みんなに認められている少女に、構う、母親を。

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