第21話 有害か無害か
「――待って、日野くん!」
だらだらとかいているわけではないけれど、しかしかいてしまっている汗――湿ってしまっている、手。その手で日野の腕を掴んで、引き止めた。
不快に思われるかもしれない――、
こんな手で触るなんて、女の子として駄目かもしれないなんて、関係ない。
もう――いい。
見てくれないのならば――最悪でもいい、最悪な子と思われてもいい。
――見て、ほしい。
「…………」
そして日野が振り向いた。
言葉では語らず、目線で、『なに?』――と。
彼の目は自分を見ている――けれど意識が向いているとは思えなかった。
それほどまでに――目が、生きているとは思えなかった。
この世界ではないどこかを見ているような――目。
そんな日野に、茅野は――、
「……、っ!」
思いきりビンタをした。
――ぱぁん! と音が響く。
これにはさすがに日野も――茅野を見る。意識を向ける。
――ああ、やっと、見てくれた。
ビャクヤと話している時のような日野を――今、自分も手に入れた。
そして視線を逃さないよう――左右それぞれの肩に、両手を置く。
ぎゅっと力を加えて――そして茅野は言う。
「今度の休みの日に――遊園地に……その、あの、っ、行こうっ!」
途中、消えそうな声だったけれど、それでも最後まできちんと言うことができた。
言うことができた――それだけでも、進歩だった。
茅野にしては――できた方だが、まだプロローグでしかない。
本編は――まだだ。
「…………」
日野はじっと、茅野を見つめる。
見つめられて、顔を俯かせたのは、茅野だった。
「――いい、なら、頷いて……よ」
今更だが、恥ずかしさで死にそうになっている茅野――、勢いは完全に消えて、今はもう搾りに搾って出した声でも全然、声として機能しているか怪しかった。
聞こえているのだろうか――たぶん、聞こえていない。
聞こえていても反応がないということは――そういうことだろう。
しかし日野は――、
「分かった」
そう言った。
「え……」
絶対に断られると思っていた茅野――だから了承されたことに驚き、手が震える。
声も、一文字しか出なかった。
「――じゃあ、どうするか、決めておいて。ぼくは帰るから」
そう言って、優しく、肩に置いてある茅野の手をどかした――日野。
彼は背を向ける。
茅野からどんどんと遠ざかっていく――。
遠近法が機能し、日野の姿は小さく小さく、そしてやがて見えなくなっていく。
茅野は――動けなかった。
数秒が経ち――膝が崩れる。
「あは、ははは――」
茅野は、笑いをこぼした。
声は小さいが、それでも顔を覗き込んで見てみれば――。
そこにある表情は、満面の笑みになっていることだろう。
―― ――
また、ビンタをされた――今日、これで二度目だった。
一度目はビャクヤで――二度目は今、茅野からだった。
今日はどういう日なのだろうか――、今までの変化のない生活の反動だとでも言うのか、様々ことが起こる。
ただじっとして、ぼーっとしているだけでは避けられないようなことばかりだった。
それに――自分もいつもと違う気がする。
いつもの自分じゃない――それともこれが、朝凪日野なのだろうか。
さっきだって遊園地に誘われた――正直、あまり行きたいとは思わなかった。茅野からだったから受け入れたという理由もあるにはあるのだが、しかしいつもの自分ならば、きっと断るはずだ。直接、声に出すことはせず、その場から立ち去ったり、相手にしなかったり――。
でも、今回はきちんと声で、分かったと伝えた。
驚きだ。
自分でも、本当に。
「…………宇宙人、ねえ」
何気なく呟いた言葉――脳内で繰り返す。
やはり『興味がない』なんてことは――、完全に、ではなかった。
興味があるわけではないけれど、ないわけでもない。
引っ掛かる――気づけば意識がそこに到達してしまっているような、自動で必ず辿り着く最終的なゴールに、それを設定してしまっているようだった。
「侵略……」
それからもう一つ――、ビャクヤは自分を侵略すると言った。つまりそれは、これから付きまとわれることを意味するわけだ――となると今の普通ではない自分の状態、ビャクヤがきたことで狂ってしまったと仮定すれば、これからずっと、日野は狂ってしまうということになる。
どうにかしなければ――。
しかし――どうすればいい?
なにも思い浮かばない――なら。
「澪原に――頼ってみてもいいかな……」
人に頼るなんて言葉――それ以前に思考が出ることこそ、初めてだった。
やはり狂ってしまった日野の原因は、ビャクヤにあるのかもしれない――。
狂う前と狂った後の日野――さて、本当に狂っているのはどっちなのか。
侵略をしにやってきた宇宙人ですら戸惑ってしまう人格を持つ日野――。
ビャクヤが日野に出会ったことで――日野は、更生されていっているのかもしれない。
ビャクヤの出現は、地球にとっては害であるが――日野にとっては。
きっぱり害と言い切ることは、今の段階ではできそうにはなかった。
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