第23話 不在のライバル

「……、――っ」


 ビャクヤはテーブルの上に置いてあるフォークを取って、使って、パスタを口の中に放り込む。嫌いな味――、口に入れた瞬間に上がってくる吐き気を、しかしビャクヤは抑えた。

 これは試練だ――これは特訓だ。

 自分の嫌いな物ですら食べられないやつが、地球を侵略なんてできるものか。


 そして綺麗になった皿を、ニコに突きつけた。


「もう大丈夫――やってやるわよ」


『それでこそ――姫ですよ』


 にこりと笑うニコ――、それに返すようにビャクヤも微笑もうとしたのだけれど――。

 唐突に襲ってくる腹痛――、


「うぐっ!? うう、」


 と、顔を真っ青にしながらトイレに駆け込むビャクヤ。


『……姫?』

「あんた! そのパスタになにか仕込んでないわよね!?」


 トイレの中から、ビャクヤが大声で叫ぶ。

 そしてニコはと言えば――、


『えっと、そんなはずは――あ、』


「今! 『あ』って言ったでしょ!? 

 なに、なにをしたの!? そのやっちゃった、みたいな反応はなんなの!?」


『大丈夫ですよ。死にはしません』

「そもそもの問題はそこじゃないっ!」


 あーもうっ! と悲鳴を上げながら、ビャクヤはもう、諦めた。

 ニコになにを言ったところで、あっさりと華麗にするりと、躱される。


 掴めない――そう、まるで日野のように。


 まだ――ニコの方が掴めそうなものだ。


 AIよりも、人間味がない――日野。


 侵略――彼を侵略する。

 期間が決まってしまって――いや、勝手に決めてしまった今。


 のんびりとはしていられなかった。

 動くしかない――だから今、準備しているのでは全然、遅い。


 もっともっと、速度を上げなければいけないのだが――今は、それどころではなく。

 まず解決するべきは、この腹痛だった――。


 ―― ――


 そしてニコは、思い出したように呟いた。


『このパスタ、賞味期限が切れていましたね――これは失敗失敗』


 舌をペロッと出しながら、もしもビャクヤに見せていたら間違いなく殴られていたな、と思える表情をした。


『でも――これのおかげもまあ少しはあるでしょうね……元気になって良かったです、姫』


 両手の――指先を合わせて。

 子を見るような母親の目で、ビャクヤを想う――ニコ。


 微笑んでいたけれどしかし、すぐに表情を曇らせた。

 なぜなら――不安。

 得てしまった――情報。


 もしも彼女がくるとして、それは命令なのか、独断なのか――分からなかったから。


 けれどくることは、間違いない――それは確信だった。確定であった。


『……辿り着いて、一日。そして、今日。明日で――三日目。

 ……三日で地球侵略――、

 さすがにビャクヤが明日だけで地球を侵略できるとは思えない……』


 ということは。


『――やはり前例があること自体が化け物と言えますか。それに常識破り、とも』


 これなら比べられて、見放されて。

 そのことにトラウマを感じてしまってもおかしくはないだろう。


 それにしてもだ――、


『普通、三日で侵略できないからって、きますかね――サクヤ様』


 この情報を、ビャクヤに渡すか――どうか。

 ニコは考えたけれど、答えは出なかったので、眠ることにした――、シャットダウンした。


 立ち直ったビャクヤに――、もう『頑張れ』の言葉は必要ないだろう。


 ―― ――


 ――きてしまった、と茅野は思った。

 カバンを持つ手が震えている――足は正常に動いてはいないだろう。真っ直ぐに歩けず、くねくねと蛇行してしまっている。それでも学校にきたのは、くるということしか、日野に用件を伝える手段が思いつかなかったからであった。


 こうしてきてから、よく考えてみれば電話でも手紙でも、伝える手段はあったはずなのに。

 やはり動揺している――。


 日野と遊園地にいくことを、彼に了承されたことに――動揺がある。

 それに加え、ビャクヤへの宣戦布告――。


 昨日の今日だ――、彼女に出会うのが嫌だった。顔を合わせるのはきまずい――たとえ相手が自分のことなどまったく見ていないのだとしても、しかし気になってしまって仕方ない。

 経験が膨大に欠如してしまっている茅野にとって、昨日の出来事のほぼ全てが未知の体験だった。怪しくも、しかしかろうじて対応できていた昨日とは違い――、今日は、昨日のことを受け入れ、そして適応しなくてはならない。


 ……適応など――出来そうには思えない。


 今の世界に、存在していたくない気分だ。


 そしてその気分は――最悪だった。


 胸が裂けそうだった。


 足が重い――しかし、歩けば歩くほど、教室に近づいてしまう。


 それに時間も進んでいる――のんびりと悩み、葛藤している暇は、実はなかったりする。

 このままのペースを崩すときっと、遅刻してしまう。

 それは避けなくてはならないことだった。


 遅刻は目立つ――、たとえ休み時間であろうと、だ。だったら尚更、授業中など、目立ってしまうだろう。目立つことを苦手とし、嫌う茅野にとって――、遅刻は絶対にしてはならないことだ。遅刻するくらいならば休んだ方がマシ――それほどのものだった。


 遅刻と決断されてしまう時間まで、残り一分もなかった。

 茅野は一階をぐるぐると回っているので、教室にいくまでには階段を上らなければいけない――その行動にかかる時間を考えると、もう悩んではいられなかった。


 ――もう決めるしかない。


(いくしか――ない!)


 それに――きちんと、ビャクヤには昨日、伝えたのだ――。 

 別に、日野を奪い取ろうってわけじゃない。


 卑怯ではなく――正々堂々と、取る。


 だから日野をどうこうすることに――、

 日野と共にどうこうすることに、恨まれることはないだろう。


 ビャクヤがそんなことをするタイプに見えるわけではない。

 案外、なにもないかもしれない――だが、あるとすれば。


 自分の宣戦布告がきっかけで――ビャクヤも本格的に動き出すかもしれない。

 ここで教室にいかず――ビャクヤに会わないということは。


 それは、逃げ出したのと同じことになってしまうのではないか――。


「それは、やだなあ……」


 逃げることはしない。それは一度、決めたことだ――だから。

 茅野は時間ギリギリになって――教室に辿り着いた。

 先生はまだいない――生徒はほぼ揃っているが、しかし、席についているわけではなく、べらべらと友達同士で話しているので、茅野の存在が注目されることはなかった。


 まあ、茅野の存在など元々認識されているかも怪しいものだったが――。

 日野は変わらず――いつも通り。昨日のことなど、忘れているかのような様子だ。


 そんな彼の前の席に座る――茅野は、けれどここで用件を言うことはなかった。

 明日の休みの日のこと――遊園地のこと。


 これは、二人きりの時がいい――。

 こんな、たくさんの人がいるところで話したいことではない。


 だからここは日野も茅野も、まったく話さずに――先生を待つ。


 先生がきてから、朝のホームルームが始まる――しかしその時になっても。


 ――ビャクヤは、姿を現さなかった。

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