第8話 優等生と劣等生

 朝凪日野。


 クラスメイト全員の顔と名前を憶えているビャクヤにとって、

 彼に名前を聞く、という面倒な手間をかけることはしなかった。


「えっと、朝凪くん?」


 そう声をかけたが、朝凪日野は――、

 窓の外の景色を見たまま動かなかった。


 眼中にない、とでも言いたそうに――、

 それとも、そもそもまず、気づいていないのか――。


 すると、

「あの――日野くんはその……寝ているんです。目を開けながら寝ているんです。

 だから気づいていないのは、白姫さんが嫌いなのではなくてですね……えと――」


 日野の前の席にいる女子生徒が、そうフォローしてきた。


 言いたいことは大体分かったが、さらにフォローしようとしているのか、女子生徒――澪原茅野は、さらに言葉を重ねてくる。

 しかし話している内に段々とパニックになったのか、言いたいことを言えずに身を引いた。


 まあ、頑張ったとは思う。


 彼女の内面までを詳しく知らないビャクヤでもそう思った。


 寝ているだけ――。


 そうは思えないが、なんにせよ、

 言葉だけで気づかないのならば物理的な干渉をするまでである。


 ビャクヤはとんっ、と――日野の肩を軽く叩き、


「これからよろしくね――朝凪くん」


 そう言った。

 すると彼もさすがにこれには気づいたのか、


「……よろしく」


 と言った。


 ビャクヤに視線を向けずに。

 視線は変わらず、外の景色に向いたままで。


 興味など欠片もないように。


「…………」


 ビャクヤは日野に、言いたいことが山ほどあった。

 しかしここでは抑え、席に座る。


 ビャクヤが席に座ったと同時、

 先生の、「そんじゃあ今日も一日、頑張れよー」

 という言葉で、朝のホームルームが終わる。


 彼――朝凪日野。


 ビャクヤが思ったことはただ一つ。


 ……なんだこいつ?


 ―― ――

 

(……すごい人がやってきた――)


 自分の机を見ながらそう思う澪原茅野は、視線を上げることができなかった。

 当然、右斜め後ろの転校生――、白姫白夜の方など向けるはずもなかった。


 このクラスで長く過ごしてきた自分よりも早く、クラスに溶け込んだ彼女を羨望の眼差しで見ることなどできず――、後ろから聞こえてくる声だけを拾う。

 人が嫌いというわけではないのだが、緊張してしまい、敵だと無意識に思ってしまう茅野は、観察だけは長けていた。直接、話をしなくとも、相手がどういう性格なのか、どういう人格なのか――雰囲気や他人との会話を聞くことで、答えを導き出せる。


 そういう生活を繰り返している内に――耳が良くなった。


 席は近いが、それでも数十人の声が嵐のように渦巻いている――これを聞き分けること、内容を理解することは難しいのだが、それでも茅野は聞き取れた。


 内容は重要とは言えないものである――男子生徒からビャクヤへの質問だ。


「――白姫さん、趣味は!?」

「好きな食べ物とかある? 今度持ってくるよ!」

「何部入るの!? 良かったら野球部のマネージャーでも……」

「いやサッカー部!」


(いいなあ……)


 そう思ってから、ビャクヤが体験している状況に自分を当てはめて考えてみて――自分だったら絶対に対応できないだろうという結果に辿り着き、憧れは捨てた。

 人には向き不向きがあり、茅野にはあの人数の男子生徒のことなど捌けない。

 一人ですら困難だと言うのに――。


「そういえば――」

 滅多に声を出さない茅野がそう声を出した。

 彼女にしては大きな声だったのだが、

(それでも周りの生徒からすれば普通の域に収まる程度である)

 周りの生徒が気づくことはなかった。


 茅野のことなど気に留めず、ただお喋りをしているだけだった。

 内容はもちろん、ビャクヤのこと。


 転校生――そして登場してからすぐである。

 話題の中心になるのは当然か――。


(……男子はみんな、白姫さんに釘付けだったけど――日野くんは、違かったなあ……)


 彼は他の男子生徒とは違って、ビャクヤの席の周りには集まっていなかった。


 自分の席にもいない。


 ビャクヤの席は、日野の隣だ――つまり日野の席を侵略するほど、男子生徒が集まってくるということである。日野からすればそれは邪魔で仕方ない。

 男子生徒からしても、日野は邪魔で仕方ない。お互いに邪魔であるのならば――と、面倒ごとを飛ばすために、日野の方が席を移動していた。


 どこに行ったのかは分からないが――教室にはいなかった。


 あと数分で、一時間目が始まるが――それまでには戻ってくるだろう。


 呼びに行くために教室を飛び出したい――でも、机を立つという行為が目立ってしまうと思って、なかなか一歩目が踏み出せなかった。


(日野くんは……やっぱり、どんなことにも興味がないのかなあ……)


 分かってはいた。

 それは昔からなので分かっていた。


 日野とは小学生頃からの付き合い――、中学も同じで、今、高校も同じで。


 これは、幼馴染というものなのだろうけど、しかし九年も一緒にいたが、話ができたのは中学に上がってから――三年生の時である。


 その時までは、茅野が一方的に日野を見ていることしかしなかった。見ていて分かったことは、日野は昔から、なにも変わっていなかったということだ。


 彼はあんな目で、あんな表情で――変わらない目で、変わらない表情で――、

 人を風景の一部とでも思っているのか、ぼーっと眺めている。そんな少年だった。


 人のことをそう言う茅野も、まったく変わっていないのだが――。


 人見知りで自分から話せず、話しかけられても拒絶してしまうし――、

 子供の頃からなにも変わっていない。


 成長していない。


 茅野も。

 日野も。


 停滞したままなのだ。


 それでも思春期がくれば変わると思っていた。

 日野も、一応は男である。世界に、人に興味がなくとも、それでも女には興味があると思っていたのだが――、そんな茅野の予想は裏切られた。

 日野は今でも変わらず、なにも思っていない。


 ただ生きているような。

 ちょっとしたきっかけで消えてしまいそうな。


 そんな不安が、茅野の中にあった。


(……やっぱり、ちょっと不安かも――)


 思って、立ち上がろうとした時、ビャクヤの声が聞こえてくる。


「――ありがとう。でも、部活はしない予定なんだ。家の都合でちょっと――」


 男子生徒の質問にそう答えるビャクヤ。

 他の質問にも丁寧に、一つ一つ、処理していく――、

 慣れていると言ったような、流れるような作業だった。


 これを見てしまうと、彼女はこの世界の住人ではないのではないか――と思ってしまう。

 たぶん、異常なのは自分の方なのだろうとは思うが――。


 そして次に出た言葉に、茅野は反応を示す。



「――朝凪くんは、いないの?」

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