第14話 日野とビャクヤ その1

 自分の弁当を何度も見て確認するけれど、ビャクヤは日野が言った、「これはない」の意味を理解することはできなかった。まあ、分かるはずもないだろう――自分で自分の似顔絵を作ってしまう人の人格に、『恥』はないのだから。


「結構、時間かかったのに……」

「その時間を他に回せればいいのにね」


 かちんとくるセリフを言われて、ビャクヤの表情が変わる。


「無駄な時間だったってこと……?」


 そうは言っていない――、日野の表情はそうとしか思えなかったが、実際に口には出していないので、どうかは分からなかった。

 実は『その通り』とでも思っているのかもしれないが――。


「なら――無駄な時間かどうか、食べてから判断しなさいよ!」


 ビャクヤの弁当――、箸が、ビャクヤの似顔絵の顔、右半分のところを抉り取った(白米の部分である)。残された側がどうにも残念なことになっているが、作っている本人(抉り取った本人)は特に気にしてなさそうだった。そういうところは大ざっぱな性格なのかもしれない。


 そして取られた顔半分――、箸に乗っている側が、一直線に日野の口に向かっていく。


 だめっ――と叫びたかったけれど、この二人をもっと観察して、どういう関係なのか見極めたかった茅野は、ここで止めることはしなかった。

 日野に、あーんをしたかったのは本当だし、一番を取られるのは悔しいが、それでも――、

 二人の素を見たかった。


 代償はでかい――後悔してしまうくらいに。


 しかし、


「……いらない」


 日野は迫る箸を軽く、とんっ、と横から弾いた。


 弾かれた箸は、ビャクヤの顔半分を持っていることができなかった。白米は箸から落ち、地面に落下。ころころと転がり、すぐに汚れてしまう。もう食べることはできないだろう。


(……仲が良いわけじゃ――ないのかな?)

 思う茅野は耳を澄ませる。


 聞こえないわけではないが、聞き取りづらいことは確かだ。

 ビャクヤの声は大きくて、聞こえやすいけれど、しかし日野の声はあまり聞こえない。

 まあ、話の流れ的に、

 日野が言いそうなことはなんとなくで分かるし、唇の動きで分かるのだが。


「な――なんてことすんのよ! 

 せっかく――せっかくこのわたしが食べさせようとしてあげたのに!」


「いや、別にいらないけど」

 日野は静かに言う。

「別に、罪悪感なんて感じなくていいから――ぼくを教室から無理やり連れ出す時に、間違ってぼくの弁当を落としてしまって、中身をぶちまけたことなんて全然、気にしてないから」


「気にしてないわりにはよく喋るわねあんた」


 罪悪感はビャクヤの中にもさすがにあるのか――強くは出れていなかった。

 罪滅ぼしとして自分の弁当をあげたのに――それを拒否された。


 こうなるとビャクヤにできることはなにもない――。


(……やっぱり日野くんって、人の物は駄目なのかな――?)


 人の使った物は使えない――自分の物だけを使う。

 それは凄く日野らしいけれど――。


「なによ――、人の物は駄目ってこと?」


 ちょうど、ビャクヤもその疑問を抱いたらしく、日野本人に確認していた。

 日野は、


「いや、お前のだから嫌」


 オブラートなしの本音をぶつけてきた。


 これには怒りというよりは、純粋に乙女として傷ついたような表情をしたビャクヤ。


 茅野もビャクヤのことが可哀そうだと思ったが――、しかしここはビャクヤ。

 彼女はすぐに立ち直る。


「いいわね……。いい感じに侵略させないようにしているじゃないの……っ」


 侵略。

 ビャクヤから日野への――侵略。


 駆け引きはなにもなく、ノーガードで殴り合っているようなものだ。


 そして防御をすればいいだけの日野は、明らかに有利――、

 そして勝手に盛り上がっているのは、ビャクヤ一人。


 茅野から見れば――これはビャクヤが日野を口説こうとしているように見えるし、そう言っているように聞こえる。


 やはり日野の心は動いていないのか――、

 けれどあそこまで感情を見せている日野も珍しい。


 これはもしかしたら、もしかするかもしれない。

 だが、それでもさっきよりは安心を手に入れることができた茅野。


 しかし、ほっとできたのも一瞬だった。

 次の瞬間――、日野は耳を疑うようなことを言った。



「それで――お前は宇宙人ってことで、いいの?」


 疑い、思考し、確認し――、

 そんな工程のまず最初の部分も出来ぬ間に、茅野は、ビャクヤの返答を聞く。


 そしてさらに混乱を頭の中に招くことになった。


「そうよ、宇宙人。

 柔軟惑星ナイツから地球を侵略しにきた――ビャクヤ・ホワイツナイツよ」


 距離が離れているからこそ間違えた、そう――聞き間違いであってほしかった。

 しかし茅野は、唇が読めてしまうからこそ、聞き間違えることはほぼない。


 だからこそ聞こえてきた言葉はそのまま――そのままなのだろう。


 宇宙人。


 侵略。


 ああ――なんて日なのだろう。


 今日は一体、なんの記念日になるのだろうか。


 自分のことばかり考えている場合では、ないのかもしれない。


 ―― ――


 澪原茅野が頭の中に混乱を招いたその時から、時間は遡る――。


 時間は四時間目が終わり――すぐである。

 体育から帰ってきたクラスメイトの男子達が、ぞろぞろと教室に戻ってくる。

 体育着から制服に、教室の中で着替えるため、今まで教室にいたビャクヤも気づかれないように一旦、席を離れ――彼女も着替えに向かった。


 男子は教室――女子は更衣室。


 女子の方がランクが高い気がするが、文句のようなことを言っていたのは最初だけだ――よくよく考えてみれば、教室で着替える方がなにかと便利な事に気づき、

「更衣室じゃなくて良かったわー」と男子は、最終的にそう心を入れ替えていた。


 もちろん、日野は最初から文句などなかった。


 ただ――どうでも良かっただけである。


 決定には抗わない。


 文句を言ったところで、どうせ決定が覆ることはないのだから、無駄な努力だ――なら最初から受け入れていた方が楽である。


 そういう気持ちが日野の中にあった――というわけではなかった。


 何度も言うように、どうでも良かっただけである。


 なにがどうなったところで、日野は日野らしく、日野として生きるだけであるのだ。


 そして今――、誰よりも早く制服になっていた日野は、持ってきたお弁当を机の上に広げる。二段のお弁当――、下の段は白米で、上の段はおかずという構造になっている。

 母親が作ってくれたもので、好き嫌いが特にない日野にとって、お弁当の中身に文句はないはずなのだが――、

 しかしこうも同じおかずが何日間も続くと、嫌ではない日野でも、さすがに気にしてしまう。


 気になるだけ――。

 どうこうしてほしいわけではない。


 目につくだけで、結局、日野はそのおかずを変わらない表情で食べるだけなのだが――。


 そして箸を持ち、一口目に選んだおかずに箸を伸ばしたところで――、

 教室の扉が勢い良く開かれた。


 男子の中にはまだ完全に着替えが終わっていない者もいるのだが、それでも彼女は構わず教室の中にずかずかと入ってくる。

「きゃー」という悲鳴が、女子ではなく男子から聞こえてくるのは珍しいな――とテキトーに思っていた日野は、そんなことを考えている場合ではなかった。


 入ってきたのは、制服姿になっているビャクヤだった。


 先ほど、「あんたを侵略してやる」と意味不明なことを言われた相手である。

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