第45話 姉妹の勘違い

 それから。


 日野とサクヤ、二人の優しい喧嘩の中へ、

 ビャクヤが一歩、踏み出し――聞いた。


「どういうことなの……姉さま。

 だって、姉さまはわたしのことなんて、嫌いだと……」


「――嫌い? え、ちょっと待って……。

 一体、どこでそういう誤解がビャクヤの中に浸透していたの?」


 日野の頭を挟むことに力を入れながら――、

 サクヤはビャクヤが抱いているその誤解を訂正する。


「えっと……もしかして、厳しかった、から?」


「……うん」

 言いにくかったが、それでも本音ではあったので、ビャクヤは頷く。


「そ、そっか――」

 サクヤが、手をおでこに当てながら、


「……これだけは誤解してほしくないのだけど――ビャクヤ。私はね、ビャクヤが『嫌い』なんて、そんなことは絶対にないわよ――ずっと好きだったわ。妹だもの――、

 それはそうよ、当たり前よ。ずっと見守ってきたんだからね――」


 見守ってきた――。


 その言葉に、ビャクヤは過去を思い出すが――思い出したのは自分を見守っていたサクヤの姿ではなく、自分を『監視』しているサクヤの姿だった。


 ついでのようにその他のサクヤの姿も思い出したが――どれもこれもビャクヤにとっては、まるで自分が囚人なのではないかと思うほどに、厳しく、徹底しているサクヤの見張りとも言えるその行動だった。


 長く、一日を越えるような説教だってされたこともある――。


 細かいところまで、指摘されて泣きそうになった時もあった。


 比べられて――姉とは違って、自分は全然、上達せず、結果だって残せず――、


 しかしそれは――ようは、認識の違いだったわけだ。


 そこが――この姉妹の勘違いだった。


「ビャクヤは『厳しい』と『嫌い』を、イコールで結ぶ子なの?」


 ビャクヤは首を左右に振って、否定を示した。

 今までは確かに、そう思っていたかもしれない――、常に思っているわけではないが、だが一瞬でも、自分に厳しいのは、自分のことが嫌いなのだ、と思わなかったとは言えない。


「違うよ――そうじゃないんだよ、ビャクヤ。私はね、信じてもらえないかもしれないけどね――ビャクヤのために厳しくしていただけなのよ。

 だってもしも――甘やかしたままビャクヤが、一人立ちをしてしまったら……、私は心配で心配で、仕方ないから」


 結局は自分のために、私のわがままに、ビャクヤを苦しめていたんだね――。

 言ったサクヤは、自分の今までの行動に――後悔していたのかもしれない。


 表情は暗く――日野に入れている力も今は弱まっている。


「やっぱりシスコンか」

 ぼそりとそう言った日野のおかげか、サクヤが再び力を入れた。


 後悔していたのかもしれないが――けれど間違っているとは思っていなかった。

 ――サクヤは、そんな目をしている。


「わたしが、勝手に勘違いしているだけだった――そういう、こと……」


 ――そう思ってしまったら。

 ――そう分かってしまったら。


 ビャクヤは――笑みを堪えることができなかった。


「は、あは、あはは……、良かった、良かったよぉ……っ!」


 膝を崩したビャクヤ――それは、さっきとはまるっきり、意味が違う。

 安心した――心は再び、一本の柱のように、建つことができていた。


 すると気づけば、涙が頬を濡らしている。

 安心し過ぎて――涙腺までが緩んでいたのだろう。


 そして目の前には、サクヤの顔があった。


「私はビャクヤのこと、好きよ――」

 サクヤの言葉が、心を撫でていく感覚――。

「お父様とは違う。ビャクヤの味方は、お母様だけじゃないのよ――」


 そう言ったサクヤはビャクヤの体を抱きしめて――。

 それに応えてビャクヤもまた、サクヤを抱きしめた。


「……う、うああ、うあああああああああああああああああああああんっっ!」


 溜まりに溜まっていた――ビャクヤの内に眠る、甘えたい衝動が。


 今この時のサクヤの行動――抱きしめるという行動をきっかけにして、解き放たれた。


 子供のように泣くビャクヤは――実際に戻っているのかもしれなかった。

 あの頃のように――。


 まだ比べられていない――比べられる資格さえも持っていなかった、あの子供時代に。


 ―― ――


「……抱きしめるのはいいけど、そこから先のことをこんな場所でするなよ」


 ぎぎぎ、と――首がロボットのように動いたサクヤは。

 真後ろにいる、自由に行動ができている状態の日野を見た。


 そう言えば――と彼女は思い出す。


 自分がここにいるということは――今まで日野という存在をそこに留めている役目が、ビャクヤの元に駆けつけてしまったということは――それはつまり、拘束しているはずの日野が、拘束されていないということを意味し――、


 それに加えて、透け透けになってしまっている自分の感情――想いが。


 ビャクヤへの想いが――日野にばらされてしまうということを意味していて。


「少年……この状況で私のプライバシーを侵害するのはどうかと思うけど……」

「別に、お前が考えていることを言うとは言っていない。――ああ、なるほどね」


「ちょっ――今、私の心のなにを見たッ!?」


 ニヤニヤ――と、表情はやはりまだ固いが、

 口元だけは確かに笑っている日野の顔に恐怖を覚える。


 ――この少年。


 口の中で呟き、サクヤは思う。


 今回はたまたま交換条件として、日野の所有権をサクヤが持つことができ、自分の手元に置けることが許されている状態だが、しかし――こうも自分のプライバシーが侵害されているのならば、どの道、力づくでサクヤは日野を手元に収める必要があった。


 その時のことを考えると――色々とやりにくかった。


 日野は最大の手として――感情をばらす、ということをしてくるだろう……。

 確実に、彼はする。


 遠慮なく――容赦なく。

 ビャクヤの前で、堂々と。


 だからこうして手元に置いておけるこの状態は、幸いだった。

 敵に回すと恐ろしい――そしてそれは逆に、味方にいれば心強い。


 そして――サクヤの中ではもう決まっている。


 返事はまだしていなかったけれど、最初から――返事は一つしかない。


「少年――いや、日野」

「……なに?」

 サクヤはビャクヤを抱きしめたまま――。



「お前を貰おう――そしてお前の出した条件を、受け入れるよ」



 それは決着の言葉だった。


 デーモンの最後の一匹が消滅したのと、同時のセリフだった。

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