第36話 最悪の返答

「さあ? ぼくらがどうしようにも、

 結局、どうするか決めるのは、あいつだし――」


「そう、だよね……」

 そういう答えが返ってくることは、分かっていた。

 けれど、こういう答えでもいいから――答えが欲しかったのだ。


「私たちにできることは――」


「なにもないよ」

 日野が言う――本当に、冗談なんかではなく。


「ぼくらにできることなんてなにもない――、

 感情論で戦争が無くなるなら、苦労はしないはずだしね」


「……なんで――」

 すると茅野が、いつも通りになににも興味がない様子の日野に――、

 初めてかもしれない――怒りを覚える。


「どうして――だって、ビャクヤちゃんなんだよ? 一緒に遊園地にいったんだよ? 今だって、こうして日野くんの家にきて、部屋に入ったんだよ? 

 クラスメイトとは違うんだよ? 学校の、学校でしか関係しないようなみんなとは、違うんだよ? あの――ビャクヤちゃんなんだよ!? 

 なのに、なんで――どうして。

 どうしてそこまで、どうでもいいと思えるの!?」


 日野を押し倒すような勢いで――茅野は。


 日野の顔に自分の顔を近づけて――言葉を浴びせる。


「……あいつがクラスメイトと違うのは、知ってるよ――」


 だが日野の心にはなにも――響かない。


「違うから、特別扱いしなくちゃいけないの? 

 それって結局、ぼくやお前を輪から弾き出したあいつらと、変わらないんじゃないの?」


 異常と認識した自分たちを、輪からはずした――クラスメイトたち。

 それは悪い意味での――特別扱い。


 そして、これまで仲良く過ごすことができたビャクヤだって――特別扱い。


 これは前者とは違って、良い意味での特別扱いだ。


 良いと悪い、違いはあれど、特別扱いと言って差別して――周りとは違う対応をする。


 いま、ビャクヤになにかをするということは――、

 自分を弾き出したクラスメイトたちとやっていることは同じなのではないか――。


 日野はそう言った。


「違うよ」

 だが――茅野はしかし、否定した。


 その考えを否定するための根拠はない。


 これこそただの感情論で――勢い任せの、飛び出しただけの反論でしかない。


 けど――最も日野に欠けているものが、感情だから。


 感情論を言っていいと――彼に、教えるために。


 言うべきだと――そう教えるために。


 今までがそうだったから――、新しくできた心を許せる友に、違う対応をしてはダメなんてそんなルール、どこにもないのだから。


「日野くんは、ビャクヤちゃんをどうしたいの――?」


「ぼくは、別に――」

「言って」

 茅野の視線が、日野を射抜く。


 見つめ合い、近づく二人は――、

 だが、日野が自身を遠ざけたことによって、距離が開いた。


「どうもしたくないよ――ぼくは、なにもしなくていい」


 そう言う日野は、そのまま続ける。


「どうでもいい。なんでもいい。今日が過ぎて明日がくれば、それだけでいいんだ。

 それ以上は望まないし――望むものがない」


 僅かにだけれど、さっきは確かに、日野は揺れていた。


 視線が――意識が、感情が――揺れていた。


 でも今は――元に戻り、いつも通りの、彼に。


 真っ黒な瞳の――彼に。


「ねえ、日野くん――」


 茅野はそんな彼に――感情を抱いてほしいと思って。

 空気感とか関係なく、流れなども関係なく。


 もっと、もっと、葛藤してもいいだろうことを――するべきことを。


 人生を左右する一大イベントを、あっさりとここで――実行する。



「好きだよ、日野くん――」



 あの時、できなかった告白――。


 茅野と日野の距離が再び――、縮まる。


 ―― ――


 飲み物を持って二階に上がったビャクヤは、日野の部屋の前——扉の前で、立ち止まる。


 部屋の中から声が聞こえ――、それが茅野の声、というのは分かった。

 なんとなく、勘ではあったのだが、今ここで部屋に入ることは、してはいけないことだと思った。そしてこれも勘で――、直感であるけれど、扉の前にいてはいけないと思った。

 だから扉から距離を取ろうとしたが、一瞬、遅く――、


「好きだよ――日野くん……」


 という、茅野の声が。

 言葉が――聞こえてしまった。


 その言葉は――告白は。

 ビャクヤ自身、なぜかは分からないけれど――胸にずきんと刺さる。


 痛みが走る――胸が苦しい。


 どうして――なぜ、こうも苦しくなる?


 扉の横――、壁に背を預け、ずるずると背中が滑る。

 尻を床につけたビャクヤは、手に持っているコップ――、飲み物を床に置き、胸を押さえた。

 どくんどくんと鼓動が早くなる――、段々と加速していく。

 心音が鮮明に聞こえてくる――響き、体内を揺らしている。


 呼吸さえも――まともにできていない。


「はぁ、はぁ……っ、なに、これ――」


 原因は、明白だったけれど。

 しかしビャクヤは気づけない――。

 茅野と同じ想いを抱いていることに、気づけない。


 でも――地球人ではないからと言って、宇宙人だからと言って、しかし自分ではない誰かを好きになることを、まったく知らないというわけではない。

 男と女が想い合い――愛を持ち、それが最終的に種族の繁殖になることは当たり前のように知っている。だから極限に鈍感というわけではないのだ――、ビャクヤだって、日野を自分に惚れさせようとしているのだから、人の『好き』については理解している。


 ただ――ビャクヤは『惚れられる』ことしか体験していないために、自身が未だ気づけていない『惚れている』という事態を、認識していないだけなのだった。


 理解できていないだけで――。


(茅野は――日野のことを、本当に、好き、なの……?)


 茅野という、素で話せる友達の大胆な行動によって、

 ビャクヤは、少しずつ、少しずつ――見つけていく。


(告白するってことは、好きだということで――、

 それについて、わたしは、胸が苦しくなっている……?)


 それは――つまりは。


「わたしは――」

 と、小さく呟いたビャクヤの声は――しかしかき消された。


 茅野が勢い良く駆け抜けながら開いた――部屋の扉の音によって。


「かや――」


 出てきた茅野に声をかけようとしたビャクヤだったが――、名前を言おうとしたビャクヤだったが、けれどそれ以上は言えなかった。

 彼女の横顔が――その頬を濡らす涙が、光に反射して見えてしまって――。


「…………」


 今、茅野に声をかけることはできなかった。

 かけたところで、ビャクヤにできることは、なにもないのだから。


 廊下を駆けて、去っていく茅野――。

 そして――ビャクヤは立ち上がり、

 茅野と入れ替わるようにして、部屋の中へ。


 部屋の中心に座っている日野に近づき、彼を――見下ろした。


 ああ――と。ビャクヤは気づいた。

 いや――気づけた。茅野のあの告白によって、その行動によって、自分も茅野と同じように――日野こいつのことが好きだということを。


 最初は自分の、例外なく誰でも魅了してしまうこの体質があっても見向きもしない彼に――ただ興味があっただけだった。

 効果が出なかったのは、ただ時間の問題だと思っていた――、しかしまったく、彼は自分に惚れることはなかった。

 それはたぶん――それよりも絶対に、あり得ないことなのだということも、悟った。


 だから――ただそれだけの理由で、彼を自分に惚れさせると。


 侵略してやると――そう決意しただけだった。


 それが今では――惚れさせようと努力している内に、自分の方が惚れていた。


 好きになっていた。

 どうしようもなく。


 でも――目の前にいる自分の好きな人は、友人である大切な人を、泣かせた。


 好きだけど――怒りが湧いて。


 許せない気持ちが先行して――だからビャクヤは。


 日野を見下ろし、


「――茅野になにを言ったの!?」


 怒鳴り、聞く。


「……特別、あそこまで逃げられるほどのことを言ったつもりはないけれど――」


「あんたの考えはどうでもいい。結果、茅野は逃げているじゃないの――しかも泣いて。

 それはあんたが、あんた自身が大したことではないと思っていることを言って、茅野は傷ついたってことなのよ。それを、あんたは分かっているの?」


「――それは、分からなかったな」


 日野は言う。

 彼は目の前に立っているビャクヤを見ていなかった。


 そんな日野の顔を、両手で挟んで、ぐいっと自分の方へ向けて――ビャクヤは。


「あんたは茅野の告白に、なんて答えたの?」


 好きだよ、と――女の子が言うその言葉への返事は――、


「確か……『そんなことよりも――』だったけど。

 それより先は、言う前にあいつが出ていったから、言えなかったんだけど」

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