第29話 ダスト・バグ

 気づけなかったわけではなかった。

 実際に、ビャクヤは異変を感じ取ることができた。

 なにか、見られているような――狙われているような。


 殺意――。

 狩られる側の気持ちを体験したビャクヤは当然、周りを警戒していた。

 だがそれでも、最大級の警戒をしていても、しかしビャクヤは――驚いてしまった。


 そう――異変に気づけても、認識できてはいなかったのだ。


 観覧車のカゴの上で戦闘態勢に入っていたビャクヤの隣に違和感なく、いつの間にか――まるでそこにいるのが当然だとでも、当たり前だとでも言いたそうに――。


「な――っ!」


 巨大な蜘蛛の――宇宙人がいたのだから。


 その蜘蛛の見た目から、どこの星のどんな種なのか、ビャクヤはすぐに分かった。けれどだからと言って、ビャクヤ側が優勢になれるというわけではない。

 狭い足場――今になっても貫き通すのもどうかと思うけれど、カゴの中にいる二人に見つからないようにするという無茶な要求も、自分自身でしてしまっているのだ。


 自分一人だけでも厳しい状況でなお――自分以外を気にしている。


 そして狭い足場――ビャクヤの不利は揺るがない。


「昆虫惑星――ダスト・バグ……!」


 一度もいったことはないけれど、

 本などで得た知識によって知っているその星の名を呟く、ビャクヤ――。


 そして、そこに住んでいる――生息している完全昆虫型の宇宙人、モデルはスパイダー。


「……その星でも最も大きな、王として君臨している種――デーモン!」


 なぜそんな種がこの星に――? 

 思う疑問は数あるが、解消するための時間は今、どこにもなかった。


 巨大な蜘蛛――デーモン。


 複数とある赤い目が全て、ビャクヤに向けられた。


 ぞくりと震えたビャクヤは咄嗟に、

 反射的に後ろに跳ぼうとしたけれど、力を込める瞬間に気づいた――。


「(後ろは――そう言えばなにもないっ!)」


 今のこの足場は、まるで崖だ。一歩も引けない状況で、しかし前方から、避けるのが最善としか思えない攻撃――、自由に動く足の一つが、ビャクヤを突き刺そうと迫ってきている。


 剣のように――そうとしか思えなかった。

 だからこそ――これは賭けだった。


 ビャクヤは迫る、鋭く尖っているデーモンの足を――切っ先を、白刃取りの要領で受け止めようとした。真上から振り下ろされているわけではなく、槍のように前から突き刺してきている――なので想像通りとはいかない。


 そこには必ず、思っていたのとは違う、ずれが生じる。


 白刃取りも、ビャクヤは上手いというわけではないが、それでも一度や二度はやったことがある。しかし――前方からはなかった。

 まず、この状況で繰り出す技が、初めてやるパターンというのがもう賭けである。確かに危険だ……失敗するかもしれない――けれどそうでもしなければ、今のこの状況を打破することはできないだろう。


 リスクはそう――覚悟の上で。


「――はあっ!」


 声を合図にして、ビャクヤは迫るデーモンの足の切っ先を、両手の平で挟み込んだ。

 タイミングはばっちり――ずれはなく、完璧な動きで受け止めることができた。


 できた――いや、正確には、『受ける』ことはできた。


 しかし――『止める』ことはできていなかった。


「――ぐ、」


 踏ん張った足が地面をこすり、滑っていく。力任せの――押し。

 技術ではない――単純な押し合い。

 力勝負でビャクヤは、デーモンに勝てていなかった。


 そして押されたまま――そのまま、ビャクヤはカゴの上から空中へ吹き飛ばされた。

 全神経を白刃取りに向けていたために、その後のことは考えていなかった。


 空中に投げ出された今――ビャクヤはただ落下していくのみである。


 いや――、考えていなかったからと言って、動けないビャクヤではない。

 そこは頭の回転――咄嗟の判断、動きで、彼女は最悪の結末である死を回避する。


 まあ、この高さから落ちたところで、ビャクヤが死ぬことなどはないのだが――。


 彼女は予想外の出来事でも、わりと落ち着いた様子で、落下速度を、支柱に突き刺した自分の指で殺していた。見ているだけでも激痛を感じてしまうけれど、地球人のように、支柱に指を突き刺した程度で痛みを感じるほどの弱い指をしているビャクヤではない。


 ダメ―ジがあるとすれば――支柱の方。

 ビャクヤは傷一つなく――支柱を傷つけながら、地面まで到達する。


 そしてとりあえずは――、


「……さすがに、見られているわよね――」


 周りを見て――確認。

 彼女は、支柱に指を突き刺し、降りてきたのだ――つまり注目の的だった。


「……悪いけど、使わせてもらうわよ――」


 ビャクヤはペンを取り出して、範囲を設定――、小規模の特性であるから、あまり大きくは設定できないけれど、見られたのは恐らく、この一帯にいる者たちだけだ。

 スタッフや、遊びにきている客――彼、彼女たちから時間を奪ってしまうのは申し訳ないけれど、騒がれるのも迷惑である。


 宇宙アイテム――『デリートS』を使ったビャクヤ。


 周りにいる者たちは固まり――別空間へ転送された。

 移動した者たちの体が薄くなっていき――透けていく。


 ここに他の者がくれば、そして見れば、不審に思うわけだが――だが、思うだけだろう。

 それ以上は、なにもしないはずである。


 少なくとも、ここを通る客は――。

 今は――ただ時間を稼げればそれで良かったのだ。


 あの蜘蛛――、デーモンを倒すまでは、騒ぎを起こしてほしくなかっただけなのだ。


「でも――あのデーモン……。

 なるほどね、きっちりと、目隠しをしてるじゃないの――」


 ビャクヤに、デーモンの姿は見えている――それは宇宙人同士だからだろう。

 けれど地球人には――恐らくあのデーモンのことなどは、見えていない。


 デーモン自身がそうしているのだから、対象が地球人ならば、地球人に防ぐ術はない。


 だから別空間に移動させなくとも、ここ一帯に近づけさせないような、認識をいじるアイテムを使えば良かったのだけれど、生憎と今は、そのアイテムを持っていなかった。


 完全に、準備不足だった。


 まさか――デーモンが出るなんて思っていなかったから。


 そもそも、地球に他の宇宙人がいるなんて思っていなかったのだから。


「なら――」


 なら――なぜ?

 なぜ、デーモンがここにいる?


 今のところヒントが無さ過ぎて、情報が無さ過ぎて――答えなど導き出せない。

 考えるだけ無駄――そう決断したビャクヤは、斜め上を見る。


 今までビャクヤが乗っていた、カゴである。

 そこを、そこ一帯を――ビャクヤは見た。


 ――見た。


 カゴから外に投げ出され、落下してくる――茅野の姿を。


「……え、」


 ビャクヤの足は動かない――いきなり過ぎて認識が遅れ、理解が遅れ、動揺を押さえるのが遅かった。全ての準備を整えて助けに向かう初動に入った頃にはもう――手遅れだった。


 あと二秒もしない内に、茅野は地面と接触する。

 ビャクヤが本気で走ったところで、スピードが上手く乗らないこの短距離では、決して間に合わない……、それでもしかし――諦めたくなかった。


 特別な感じがしたから――彼女は、澪原茅野は。

 彼女のことは――失ってはいけないと、失いたくないと、思ってしまったから。


「だ……、だめえええええええええええええええええええええええッッ!」


 叫んでもどうしようもないことは分かっている。叫ぶ暇があるのならば動け――、必死に、食らいつくように足を動かせ。そんなことは分かっているけれど――。


 叫ぶことは無意識だった。

 止められない衝動だった。


 ――間に、合わなかった。


 伸ばした手がよく見えなかった――水面越しで見ているような……。

 そんな感覚。


 景色がゆらゆらと揺れて、自分が今どういう状況なのかも理解できない。

 茅野はどうなったのだろう――。

 そう言えば、落下音は、聞こえなかった。

 着地、していなかった――?


 そしてビャクヤは目元を拭い、見て――認識する。

 目の前にいる、茅野を受け止めている一人の女性が――自分の姉だということを。


 銀色の甲冑を着ている――、サクヤ・ホワイツナイツだということに。

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