第46話「毒を以て毒を制するという大博打」

「私の事より君の事ダヨ」


 彩子あやこいぶかしげに眉を潜めて見せたが、孝代たかよはわたわたと周囲を見回し、彩子が脱ぎ捨てていたであろう白衣を手に取る。


「そんな事より、何か着てください!」


 投げつけるように白衣を渡す孝代であったが、彩子は片手で受け取りはするものの、どうでもいいとばかりに一瞥いちべつするのみ。


「一人じゃないネ? おーくんはどうしたんだい?」


 しかし、どれだけ重要だと彩子が熱弁を振るおうと、孝代にとっては眼前の現実が受け入れがたい。


「だから、先に――」


 羽織るだけでも違うから着ろといいたい孝代だが、彩子はどうでもいいとばかりに白衣を脇に投げ捨てる。


「全裸に白衣とか、ただの変態じゃないカ。どうでもいいヨ」


「全裸で白粉おしろい塗ってるのも変態チックですよ。私が男性だったらどうするんですか」


「私は両方OKだからいいダロ」


 本心かどうかは余人には分からないが、孝代を黙らせる事はできた。


「おーくんは?」


 改めて投げかけられた彩子からの質問に、孝代は大きく深呼吸した後に答えた。


「おーくんは、杉本さんの援護に行きました。でんちゃんもいるし、下での戦いは大分、こちらが有利に傾いていましたから」


 室内戦では霊が有利と思っていた律子のりこだったが、現実には地の利を得たのはホテル側だった。


「そうだろうネ。このオフィスとうは、慣れなければ迷ってしまうように設計されているのサ。テレビ局がそうであるように、テロリストに狙われても守りやすいようにネ」


 彩子はククッと喉を鳴らして薄笑いを浮かべた。律子のりこ自身は単純な数で圧殺できる存在ではないが、ただの霊というのならば簡単に占拠されるような場所ではない。


「私の格好は、その生霊に対する切り札ダヨ」


 彩子は顎をしゃくり、自分が用意していた服や化粧道具、そして部屋の中心に鎮座する「装置」を指す。孝代にとっては見覚えもなく、また使い方を想像すらできないものだ。


「これは?」


「正式な名前が何なのかは知らない。私のひいお祖父ちゃんは、これを窓と呼んでいたようでネ。並列世界……つまり、パラレルワールドに渡るための道具ダヨ」


「それと今の状況、どう繋がるんですか?」


 孝代には、今の状況と彩子の用意した装置とが繋がらない。切り札だと彩子は断言したが、並列世界という単語から攻撃手段を想像できる者は稀だろう。


「並列世界は、この世と少しズレて、隣り合わせで存在しているらしい。その世界は異なる周波数を持っていて、太陽の電波に似た粒子と波の両方の性質を持っているから、時折、漏れてくる場合があるんだヨ。それを、こちら側とあちら側の間にある……膜のようなモノを引き延ばしてキャッチしてやろうという装置だネ」


 彩子の口調はいつも通りの名調子であるから、切り札たり得る何かがあるのは間違いない。


 その切り札とは――、


「窓を二枚、用意して、カシミール効果を利用すれば窓は開くんだヨ。のようにネ」


 その門という言葉が、孝代の直感を刺激する。


「それってつまり……地獄の門?」


 自分たちが命懸けで開門を阻止したものであり、律子が生霊になるために潜ったという門だ。


「その通り」


 彩子は大き頷く。


「その現場にいたんだ。観測くらいするヨ。ベクターフィールドとリトルウッドが門を開いた時、あちらの周波数は突き止めたからネ」


 転んでもただでは起きないというべきか、用意周到というべきか、それは彩子も自覚していないし、孝代も分からない。


 しかし切り札という意味はわかった。



生霊には生霊で対抗するんだヨ・・・・・・・・・・・・・・



 ここをくぐり、律子と同じ存在になるのが彩子の切り札。


「今からこれで門を再現する。潜るための準備が、この格好という訳サ」


 彩子が全裸で白粉を塗っている事も、意味がある。


「これは江戸時代に使われていた水銀を使った白粉と、硫化水銀を使った朱。どちらもマイナス側にある金属だから、これを全身に塗る事であの世の空気に触れにくくする。服も、PCV塩化ビニールやナイロンを使った特別製で、これらもマイナスの側にある物質ダヨ」


「厳重な装備って事ですか?」


 何の装備も持たずに向かった律子との違いを、孝代は装備・・と表現した。おちゃらけて見えるが、これは皆生ホテルの武器・・なのだ。


「そう。長く向こうにいると、こちらへ帰ってこられなくなるのサ。少しでも活動時間を延ばすための工夫だネ」


 その理屈で言うならば、律子はそろそろ帰ってこられなくなっているか、手遅れになっている事になる。


 そして何よりも彩子の言葉から欠落している言葉がある事に孝代は気付く。


「戻ってこられるんですか?」


 否応なく気付いてしまう。孝代は彩子の弟子なのだ。


「……」


 彩子は――、


「こちら側に、エスコートしてくれる人がいれば、何とかなる」


 それは不可能という事だ。そのエスコートというのも、彩子ならばできるのだろう。しかし彩子はこれから門を潜る。エスコート役はいない。


「どうするんですか? それ……」


 孝代は声を荒らげた。律子を倒せたとしても、生霊が一人、残ってしまう事になる。


「杉本サンに斬ってもらえば解決サ」


 彩子は何事もなさそうにいうのだが、そのスルーしやすい空気を作っても孝代には無駄だ。


「……死ぬって事じゃないんですか? これは」


 斬られるという物騒な手段が、帰ってくる手段とは思えない。


「杉本サンだけで始末が付けばいいけどネ。そうはいかないと思うヨ。生霊に関する記録は殆どないんダヨ。人が勝利したっていうのも、少なくとも皆生ホテルの記録にはない」


 彩子の言葉を、孝代は誤魔化しだと思った。


「じゃあ、生霊と生霊が戦った記録もないんでしょう?」


「近い物はあるヨ。清朝末期、19世紀末から20世紀初頭に活躍したチャン金塗キントという道教の道士が、生霊化する秘術を退魔の切り札として使っていたとあるんダヨ」


 時男の剣と生霊となった彩子が協力すれば、この戦いにも十分な勝機が生まれる。


「そして、これは私しかできない。冥府でも手出しできない生霊は、精神がまともじゃなくなる可能性がある。怖いもの知らずほど怖いものはないって訳サ。そもそも脳がなくなるんだからネ。思考や判断力にどういう影響かあるかわからない」


 律子が殊更、凶悪な事件を引き起こしているのは、律子が欲望を抑える理性を失ったからともいえる。


「場合によっては、続木つづき律子のりこと一緒になって人を襲う事だって有り得るヨ。そうなった時、確実に戦えるのは、皆生ホテルのスタッフとして、それに邁進まいしんする本能を持ってる者だけサ」


 自社雇用、自社教育を徹底している皆生ホテルであるからこそ、使える切り札なのだ。


「危険な方法だからこそ、他の人に行けなんていえないヨ。私が行くしかない」


 他にいないのだからといった彩子は、用意を再開しようと白粉に手を伸ばすが――、


「私だって行けますよ」


 その手を孝代が掴んだ。


「バカな事をいうもんじゃないヨ。山脇サンは奨学生じゃないカ」


 彩子は呆れたという顔をする。正式なスタッフではなく、またバイトとして入って日が浅い。


「ブラック企業っぽくなるけどネ、組織への忠誠が浅いヨ。この方法は、毒を以て毒を制するなんて言葉もあるけど博打ダヨ。その場で朽ちるから、バクチっていうんだからネ」


 しかし孝代は引かなかった。


「杉本さんに救われた命です。サイ子さんやおーくんと一緒に戦った身です」


 他の事件というならばいざ知らず、時男の援軍、それも勝機をもたらす切り札として行けるのならば、孝代にもプライドがある。


「他の時ならいざ知らず、今なら私もできるはずですよ」


「……」


 彩子に言葉はなく、大きな溜息があっただけだ。


 ――ひょっとしたら、私はコレに期待してたのかも知れないネ。


 孝代が戻ってきて、自分が行くと志願するシーンを想像していなかったかと自分に問いかける彩子は、答えが出ると同時に孝代の肩を抱き寄せた。


「自分の卑怯さに、少し自己嫌悪してしまうヨ」


 孝代の肩越しに呟く。


「サイ子さん?」


「私は両方OKっていったろ」


 孝代を抱きしめる手に力を入れる彩子はいう。


「生霊になった山脇やまわきサンが、かならずしも続木律子より強いとは限らない。相当なリスクを背負い込む事になるヨ。でもね――」


 彩子は声を大きくした。


「勝って帰ってきてほしい」


 切り札を投入する。

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