第9話「会心の一撃」
ポリポリとポップコーンを食べる音を混じらせながら、
「まず落ち着くんだヨ」
一人で戦って勝てとはいわない。それは初任、熟練に関わらず。
「もう
ポップコーンを食べながらという態度は兎も角として、彩子も
そもそも孝代に与えられている武器は、ナックルパートのみを鉄板で保護した護身用のモノだ。それは、戦って勝つことを要求していないことを示す。勝てというなら、霊の
護身用の武器を渡しているのは、孝代の適性故だ。
適性が孝代に告げる。
――マイナスの電荷を帯びてるものが有効。
「!」
そして正解を引く。
――食卓塩がある!
岩塩だの清めの塩だのといったものではないが、孝代は確信を持って食卓塩を手にした。
――塩素イオンはマイナスの電荷を持っている!
プラスの電荷を持つナトリウムと結合して塩化ナトリウムとなるが、電荷的に塩はマイナス側にいる。孝代が進学先を理学部に、専攻を結晶学に決めたのは素地があったからだ。
「これで!」
孝代がぶちまけた塩自体には必殺の効果こそないが、霊に浴びせかければ、それこそ人間が酸やアルカリでも浴びたかのような効果がある。
――仕切り直し!
拳を握る孝代だが、格闘技や武道の経験はない。孝代が高校時代、熱を入れていた部活動は演劇部。しかし活劇が多いという一風変わった部であったため、アクションの知識、技術は身についていた。本来、
――時間稼ぎ! 勝てなくても、負けない戦い!
彩子からのアドバイスを反芻する孝代へ、また彩子から新しい言葉が。
「窓ばかりに集中しているんじゃないかナ? けど相手は振動計を動かすタイプだヨ。物を動かせられるって事、忘れないで」
まるで見ているかのように指摘する彩子は、見えずとも分かっていた。
「背後、取られるヨ」
彩子がいうが早いか、孝代の耳に聞こえたのは、流し台の蛇口から勢いよく流れだした水の音。
「!?」
孝代が振り向く先には、シンクで水を受け止める洗面器が。
水が溜まった洗面器は、この暗さでは鏡だ。
「この……ッ」
水面へ孝代が拳を振るう。霊を形作る
派手な水しぶきこそ上がるのだが、手応えはない。
正確にいうならば、あったのかどうか判断ができない。
水音から判断した彩子から、また指示が飛ぶ。
「見えてないなら、ファブレットをヘッドマウントするんだヨ。そのための道具も渡しただろう?」
ファブレットのカメラを通せば、霊の輪郭を見る事ができるとは説明されていたが、それを憶えていられる余裕が孝代にあろうはずもない。
そして彩子の指示は、そろそろ孝代の苛立ちを刺激し始めている。
「サイ子さん、ちょっと順番に……」
「……あー」
孝代の苛立ちは彩子も気付くが、この場合、黙る方こそミスに繋がってしまう。
孝代は素人であるから彩子に苛立ち、素人であるから窮地を迎えている。
最後になるであろうアドバイスを、彩子から一つ。
「水もいいが、
人の瞳も鏡のようなものだぞといわれれば、確かにそうなのだ。
「!?」
孝代には見えないはずの霊が見える。
ただし上下、左右が逆になって。
「痛い……ッ」
両目を押さえた孝代が崩れ落ちる。殴られたり切られたりした痛みではない。襲ってきたのは、根本的に違う痛みだった。殴られたり切られたりというのは、いわば筋肉の痛みで、程度の大きさはあっても普段の生活で感じる事があるが、今の痛みは違う。
今、感じているのは眼球の痛み――即ち、人が何度も経験しない内臓の痛み《・・・・・》なのだ。
彩子も歯がみさせられた。
――慣れていないものには耐えられないカ!
当たり前だが、彩子の
「……ッ」
ただ孝代の耳に聞こえたのは、玄関のドアが開けられた重い音。
そして彩子に聞こえたのは、人の声。
時男だ。
「現場に着いた」
孝代のファブレットを拾い上げた時男に、彩子は
手早く現状を伝える。
「
「あァ、目も鏡のようなものじゃな」
時男はフーッと深呼吸すると、
「山脇さん、返事をする余裕はないじゃろうから、聞くだけ聞いとくれ」
時男は拳を握りながら、孝代へと噛みしめるようにゆっくり言葉を紡いだ。
「助けられる手がある。気をしっかりと持つんじゃ」
時男の拳は握り込まれたのではなく、小さな玉が入るくらい軽く空間を作られている。
何をしようとしているのか、見ずとも分かっている彩子がいう。
「大変ですネ」
「あァ、祈っておいてくれぬかな」
時男は右手を構えた。霊が苦手とするのは、マイナスのエネルギー。
分かり易いのが電荷であるから金属や樹脂を使うが、他にも存在する。
マイナス――負の
「いィィィ、エィ、やァァァッ!」
独特の呼吸と共に時男が右手から送り込むのは、純粋な
孝代を殴りつけるのではなく、ビリヤードのストップショットの如く、振動を浸透させる一撃を放つ。
「!?」
孝代は自分の「中心」で、ドンッと低い音が響いたのを感じ取った。
次の瞬間、孝代は体中から力が抜けるのを感じ、糸の切れた人形のように時男へ倒れ込んでしまう。
「どうじゃ?」
孝代を支えながら声をかける時男には、確かな手応えがあった。衝撃を外部にも内部にも伝わらせず、ただ霊にのみ伝えるという魔法のような技が成功したという手応えを。
孝代が目を開ける。
「……ありがとうございます……」
そこに、もうブラッディー・メアリーの姿は見えていない。
悪意や敵意を伴って振るわれたのであれば、孝代も無事では済んでいなかったであろうが、善悪を排除して振るわれた純粋な殺意は孝代の中に入り込んだブラッディー・メアリーを討ったのだった。
その遣り取りに、彩子も事態が終息した事を確信させる。
「お疲れ様デス」
彩子の声に、再びポップコーンをかじる音が混じり始めるのだから。
「今夜は、もう大丈夫でしょうヨ」
彩子の声を聞きながら、時男は孝代を背負う。時男の声は、弾んではいない。
「一時的な事に過ぎぬかな?」
時男も今の一撃で消えてくれればいいがと思うのだが、直に
「でしょうネ。原因を取り除けた訳ではないですから。とりあえず依頼人を連れてきて下さい。私が処置しますヨ。あぁ、でんちゃんはいますカ? いれば心臓にショックを与えて下さいネ」
今夜が
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