第2章「眼下の悪魔」

第10話「お昼をみんなと」

 翌日は皆、一様に小難しい顔をさせられていた。


 特に技術スタッフである彩子あやこは、腫れぼったい目をまぶたの上からマッサージしながら、


「時間は稼げたんだろうけどネ。早急に対策を打っていくしかないヨ」


 彩子はこのチームでは技術スタッフだが、本職は医師である。昨夜から今朝にかけ、依頼人へ緊急措置を施し、次の手を考えるために徹夜し、この後は本業が待っている状態は、非常によくない。


 彩子の職務だといわれれば、それまでであるが、この状況は時男ときおも責任を感じてしまう。


わしが霊を一蹴できていればよかったのじゃがな。霊のは、破壊できておらぬ」


 事件を終わらせられなかったのは、痛恨である。


 痛恨といえば、孝代たかよもそう。


「サイ子さん、手は考えつきますか?」


 いささか失礼なあだ名で呼ぶが、孝代たかよは、昨夜の自分はミスが多かったと自覚していた。


 しかし彩子は目をつむったままだが、それらを責める気はない。変人の部類にいる事は確実だが、彩子も悪人ではなく、そして責任感は他のスタッフと同じだ。


「一晩、考えたヨ」


 その言葉に、流石は裏方の師匠だ、と孝代が手を叩く。


「思いついたんですね!」


 策に期待する孝代だが、彩子は「期待に添えられなくて悪いネ」と片手を振り、


「何か思いつきそうな気がするが、思いついてないネ」


 彩子も、この疲労の中なのだ。


 ポンポンと色々な事を思いつける訳ではない。


「もう少し時間がいるようだヨ」


 引き続き考えていくが、時男が稼げた時間で間に合うかどうかは、彩子自身にも断言できなかった。


 彩子が「自分の仕事をしていくよ」というのは、時男も同感である。


「必要な事をこなしていくだけじゃな」


 そういう時男は模造紙を広げていた。


 彩子を裏方の師とするならば、時男は現場の師ともいうべき存在。


 この現場の師が何しているかというと――、


「お姉ちゃんの剣を作ってもらってるぜぃ」


 あきらがぐいっと胸を張る通り、模造紙に描かれているのは刀身だ。


「パパッと作れればいいのじゃが、これも半日やそこらはかかる」


 時男自らが描いた図面に従い、水道配管用の耐衝撃性塩化ビニール管を削っていく。柄は筒状の木材にスリットを入れて使う。その柄も、クジラの皮を模したカッティングシートを貼り、柄巻きは化繊だ。ナイロンやレーヨンはプラス側だが、アクリルやポリエステルはマイナス側にある物質。これらを柄に巻く事により、刀身だけでなく柄も霊が触れられなくする。


 オモチャだが、安っぽさは感じさせない作りにしていくのだから、祖父の手元を見る旺はワクワクした顔をして落ち着かない。


「お姉ちゃんのは刀かー」


 祖父の周りをウロウロする旺は、自分のとは違う武器に興味津々という顔を見せている。


 時男が孝代の武器を刀にした理由は、思いつきではない。


「うん。山脇やまわきさんは、何かやっておったな? 歩く時でも、頭や腰の高さ・・が変わっておらぬ」


 体幹が強く、しっかりしている事の証左しょうさであり、それは武道においても重要なファクターであるから時男は見逃さない。


 孝代は「格闘技とかじゃないをですけど」と、少し照れたような顔で、


「演劇部でした。活劇が多かったので、殺陣たてとか少しだけ」


 殺陣が戦闘の役に立つとは思えない、と孝代は思っているが、時男の考え方は違う。


「うんうん、いい事じゃ。霊は実体がある訳ではないからの。人を斬るすべ、殴るすべよりも、効率的に得物を振るえる事が大事じゃよ」


 ここに必要なのは、武道の達人でも、戦闘のプロでもなく、霊を狩る術を身につけられる者だ。時男から見て、孝代の適性は高い。


「殺陣は……うん、いい手段じゃ」


 時男から見ても、殺陣は決して無駄ではなく、寧ろ役立つ技能である。


 旺とて身につけているものは、戦闘技能ではないのだから。


「僕はスポチャンだぜぃ!」


 旺がくるりと孝代を振り向き、霊退治の時とは違う、空気を入れたビニール製の剣を見せた。


 馴染みのない単語だけに孝代が目を瞬かせるしかなかったが。


「すぽちゃん?」


 その略語の意味は、いよいよ欠伸をかみ殺せなくなってきた彩子が、欠伸混じりに教えてくれた。


「スポーツチャンバラ。競技化されたチャンバラごっこだヨ」


 これも、霊のを貫くには丁度いい技能になる。


「どこを打ってもいいけれど、どこを打たれてもいけない。だから剣道の有段者やフェンシングの経験者でも、小学生に負ける事がある競技だネ」


 そういわれると、孝代も旺に似合うとも思わされるが、もう一つ、思う事があった。


「ところで旺君、幼稚園とかいいの?」


 孝代はまだ春休み中であるが、今日は平日だ。


 幼稚園や保育園といわれると、旺は首を横に振り、


「僕、たいきじどう」


 両親が共働き、祖父もまだ現役であるから幼稚園には通えず、さりとて保育園も倍率が高いため漏れてしまっている。皆生かいきホテルにも保育園を併設する計画があるが、完成するまでに少しばかり時間が必要だ。


 恐縮した孝代が「あら……それは、ごめんなさい」と謝るが、旺は白い歯を見せて笑う。


「別にいいぜぃ。お祖父ちゃんが一緒にいてくれるし」


 一緒なのは時男だけではなく、旺は地面に置いていたケージを持ち上げる。


「でんちゃんもいるから寂しくないぜぃ」


 ケージの中で、でんは「くあくあ」と欠伸をしていた。今は昼寝の時間らしい。


 そうやって騒がしくなってくると、時男も苦笑いが出てしまう。


「あまり矢野さんの邪魔はせぬようにな」


 騒がしくしていては、彩子が考えを纏められないだろうと釘を刺す時男であったが、彩子は「構いませんヨ」と片手を振る。


「わりと落ち着くもんですヨ。子供の声は」


 そういうたちなのだ。リラックスした方が、よりいい考えが浮かぶというもの。


「あァ、お昼はどうしマスか?」


 そして変人に部類されるのは間違いない彩子が、それを遺憾なく発揮できるタイミングが今だ。


「景気づけするような時ではないですが、彼女の歓迎会に、ホテルのレストランにでも行きマス?」


 皆生かいきホテルには、中華とイタリアン、和食の三店舗が入っている。当然、直営店だ。


 時男も「そうじゃな」と手を休め、孝代の方を見遣る。


 しかし、どこがいいかと訊ねるよりも早く、孝代が鞄から折り詰め取り出して机に置く。


「よければ、お弁当を作ってきました」


 時男と彩子を見ていると、外食中心の生活をしている事に気付かされたからだ。


 これにはと顔が思わず相好を崩す。


「これは嬉しいの」


 こういう弁当が嬉しいのは、時男も旺も同じく。


「お姉ちゃんが作ったの?」


 旺の分も勿論、ある。


 期待されては気恥ずかしさが勝ってしまうが、孝代もまんざらではない。


「夕べの残り物の再利用ですけどね」


 照れ笑いを浮かべてしまう孝代だから、彩子も素直に礼がいえる。


「いただくヨ。ありがとう」


 折り詰めを開けてみると、成る程、確かに夕食の残りを思わせるおかずであるが、思わせているだけで残り物ではないのは明白だった。


 時男も「豪勢じゃ」と満足そうな顔を見せるのだから、納得の内容である。


 中心になる揚げ物は、白身魚のフライ、ちくわの磯辺揚げ、コロッケ。


 それらの脇に、きんぴらゴボウが脇に添えられている。


 フライの下に敷き詰められたご飯に、焼き海苔を載せるのも忘れない。


 ご飯に箸を入れた彩子は、「よくできているヨ」といわされる。海苔とご飯の間にはヒジキが挟まれていたからだ。


 全体的に、ほのかにショウガの風味がするのは、孝代の気遣い。


「揚げ物は、何か足が早そうなので」


 腐らないようにという意味も含め、ョウガを隠し味に使っている。


 だが、ご飯に乗せられた梅干しは、旺には食べられないが。


「お祖父ちゃん、梅干し食べてー」


「おお、構わぬよ。ヒジキと交換しような」


 旺から梅干しを渡された時男は、自分の弁当からヒジキを渡す。


 そのヒジキこそ会心の作。孝代は旺の頭をポンポンと撫で、


「ちゃんと鉄鍋で作ったから、鉄分たっぷりよ。旺君も、背が伸びる」


「ホントに!?」


「ホントホント」


 カルシウムと鉄分が背を伸ばす――というのは、孝代の持論に過ぎないのだが、孝代の身長は165センチと女性にしては高い。説得力があるはずだ。


「よくかんで食べなよ」


 孝代が旺へゆっくりと食べろというのも、時男が早食いである事を見取ったから。


 ただ旺は「うんと」頷くが、頷くだけだが。


「早く大きくなって、お祖父ちゃんのお手伝いもしたいし、弟が生まれてくるから、だっこしてお散歩も行きたいんだぜぃ」


 早く早くと思ってしまう旺は、祖父に似ているのかも知れない。


「弟?」


 と、孝代が首を傾げると、時男が「今度、生まれてくるのじゃよ」と教えてくれた。


 孝代は「そうですか」といった裏で、自分の事を思い出す。


「私も弟がいます。男同士だと、もっと楽しいでしょうね」


 旺と今度、生まれてくる弟がどういう兄弟になるかは分からないが、楽しくなるのは間違いない、と孝代は思わされる。


 高々、一日、共にいただけであるが、そう確信できる程に、その密度が濃かった。


 密度・・――それを感じた時、彩子へと舞い降りる天啓がある。


「あァ、そうだヨ。この手が使えるかも知れない」


 ぱちんと指を鳴らす彩子は、時男と孝代にいう。


「食事が済んだら、もう一度、依頼人の部屋に行って欲しい。探してきてほしいものがあるんだヨ」


 起死回生の一手と断言はできないようだが。

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