第11話「昼食を食いっぱぐれる悪魔」

 お昼過ぎ、プレハブ小屋の屋台に現れた男は、顔に隠しきれない疲れをへばりつけていた。


「おばちゃん、たこ焼き8個入り。お願い」


 180センチを超え、2メートルにも届きそうな長身を屈めませる男に声をかけられても、この屋台を切り盛りする女に驚きはない。


「あら、ベクターくん」


 五十がらみの女が柔和に対応できるのは、この男が常連だからだ。



 男の名はベクターフィールド。



 日加にっかハーフ――母親が日本人、父親がカナダ人――というベクターフィールドだから、189センチという日本人離れした長身だという事も、女は知っている。


 そして、いつも疲れた顔をしている事も。ここに来るのは休憩をかねているのだろう。いつも、どれだけ時間がかかっても待つから、焼きたてを買っていく。


 焼き型に油を塗り、今日も焼きたてを……と用意する女だったが、今日、窓から見せているベクターフィールドの顔色は、いつもより悪い。


「お疲れ?」


「うん、昼ご飯、食いっぱぐれて」


 だからベクターフィールドは、今日は焼きたてでなくていいから、と保温機を指さす。


「こう見えて忙しいんだぜ」


 店自慢のたこ焼きは、よくある球形ではなく釣り鐘形だ。球形よりも大振りで、その分、具のタコは大きく、刻み方にも拘った野菜も、しっかりした甘みを感じさせる。


 辛口のソースをかけると、「がっつける」と括弧書きできるたこ焼きになり、これがベクターフィールドにとって気力の元。


 タッパーに詰めて輪ゴムを通し、ぱちんと小気味よい音を立てさせたたこ焼きを、女はにゅっと突き出した。


「はいよ」


 ベクターフィールドは「ありがとう」と代金を支払おうとするのだが、店主は全てを受け取らない。


「はい、おつり」


 ベクターフィールドが頼んだのは8個入りだが、6個入りの値段にする。サービスというよりも、人情・・だろうか。


 そんな屋台が掲げている店名は、おやつの店――ベクターフィールドにとって、これ以上にない魅惑の名前だ。


 高校から程近い立地の屋台にあるのは、たこ焼き、お好み焼き、もんじゃ焼き、フランクフルトに大判焼きと、部活帰りの男子高校生が好みそうなものが中心というのも、ベクターフィールドにとって堪らない魅力を持っている。


 手渡されたお釣りに感じる温かさは、たこ焼き以上にベクターフィールドの顔へ笑みを戻す。


「いいね、ありがとう」


 笑みを残して去ろうとするベクターフィールドに、女はもう一言、かけた。


「ちょっと、ベクター君!」


 振り返るベクターフィールドへ、女は手を伸ばして、もう一品、渡してくる。


「ほら、これも食べな。お昼食いっぱぐれてちゃ、仕事にも身が入らないだろ?」


 おまけだというフランクフルトもほかほかだ。


「あぁ、ありがとう」


「頑張りなよ。おばちゃんの大好きなヒーローは、こういってたよ。食って字は、人が良くなるって書くってね」


 店主の女は、にかっと笑って見せた。


「ありがとう。助かった」


 もう一度、礼をいい、ベクターフィールドは角を曲がる。


 ――今日は天気もいい。公園のベンチででも食べるか。


 気分が晴れたのは、店主のお陰だ。


 しかし公園のベンチが見えたところで声が聞こえる。


「ヨッド・ハー・ヴァル・ハー」


 それは召喚する言葉――悪魔を。


 暗転する視界。


 それが正常に戻った瞬間、ベクターフィールドは尻に衝撃を憶えた。


 尻を蹴り上げられたのだと気付いたのは、地面に倒れてから。


 ただしベクターフィールドは倒れた事より、蹴られた事より、両手こそを気にするが。


 ――落ちてねェよな!? ねェよな!?


 両手に持ったたこ焼きとフランクフルトが地面に落ちていない事を祈りながら顔を上げると、ベクターフィールドが世界で一番、見たくないと思っている顔がある。


「……」



 ベクターフィールドを見下ろしているのは、魔王と呼ばれる力を持つ男リトルウッド。



 白髪混じりのクルーカットにあごひげ、黒い丸メガネという風貌はフランス人俳優を思わせる男の隣には、腕組みした少女がいて、


「緊急事態。全く気が利かない」


 ベクターフィールドへ向かって、吐き捨てるように言葉をぶつけた。


「……」


 ベクターフィールドは黙って片手に持っていたフランクフルトをかじったが、その手をリトルウッドが払いのける。


「おやつは仕事の後にしろ」


 地面に落ちたフランクフルトに、ベクターフィールドは呆然ぼうぜんとなってしまうが、リトルウッドは舌打ちと共に怒鳴りつける。


「常識を持て。どれくらい甘やかされて育てられたか知らんがな」


 周囲から見ている分には、この奇妙な三人が何を話しているのか分かるまい。ましてや、悪魔だ魔王だといわれても、邪悪な角も豪奢ごうしゃなマントもなく、徒歩圏内で生活し、屋台でおやつを買って食べるベクターフィールドなど、見て違和感を憶える者の方が多いのだから。


 その三人からそう遠くない場所を走るスポーツセダンに乗る時男と孝代は、気付くべきだったが。



***



 今、時男、孝代、旺の三人は、彩子の指示で被害者宅へ向かう途中だった。


 本来は彩子も行った方がいいのだが、三人で行ってくれといわざるをえない。


 ――色々な処置があるから、私は行けない。すまないけどネ。


 昼食会が終わった所で、彩子あやこは面倒臭そうな顔を見せた。



 依頼人について、警察からの事情聴取がある。



 緊急処置を行い、命に別状はなくなったとはいえ、原因となった覚醒剤の過剰摂取は事件だ。警察が黙っていられるはずもなく、皆生かいきホテルも隠す訳にはいかない。


 だから任せる事になるが、そう難しい話ではないと彩子は思っている。


 ――依頼人の趣味に、音楽鑑賞、特にロックというのがあったんだヨ。それが利用できる。


 彩子が稼げた時間をどう使うかは、それ程、詳しく説明されておらず、ただ依頼人のアパートへもう一度、赴き、必要なもの・・を持ってくる事だけを告げられた。


 それは――、孝代も説明がないのでは首を傾げてしまうが。


「カセットテープ?」


 彩子のいう切り札は、もう前の年号の頃から忘れられたものだと感じさせられている。第一、孝代もそうなのだから、あきらには全く未知のものに等しい。


「んー?」


 暗号のようにしか思えていない旺は、大好きな祖父と孝代がいるからついてきたといった風すらあった。


 確かに骨董品といってもいいくらいである。80年代から90年代前半ならば、CDをカセットテープに録音する事もあっただろうが、90年代も終盤になればMDに取って代わられ、それすら今やMP3に切り替わった。軒並み流行りの彼方へ流れたのだから、若いと幼いでは分からない。


 しかし時男にとっては、つい昨日の事・・・・・・だ。


「これじゃよ」


 オーディオラックからいくつかを取り出した時男は、カセットテープを知らない弟子二人に示す。


 孝代と同じ世代の依頼人が、わざわざカセットテープを持っているのには理由がある。最早、前世紀の遺物、骨董品と思われているカセットテープには、寧ろ先鋭的な部分もあるのだ。


 彩子は確信した、依頼人の趣味。


 ――音楽の趣味がロックで、そのフリークだというのなら、カセットテープはあるはずだヨ。


 カセットテープが持つ、今も衰えない先鋭的機能とは……、



 ――音質・・だヨ。



 彩子は断言する。


 ――バックコーラスだ裏メロだと細かくなりすぎた音は不得手だけどネ、カセットテープは音が太いんだ。重低音を重視するというので、今でもカセットテープでリリースするアーティストもいるくらいだヨ。


 依頼人がコアなロックフリークだとすれば、カセットテープでリリースされた曲の一つや二つ、持っていてもおかしくはない。


 ――ダビングされたものでもいいけれど、曲目が分かるものをお願いするヨ。


 彩子に指定されたものは、いくつもあった。


 ただ聞いてみようと孝代がポータブルプレーヤーに入れると、


「雑音ばかりですよ?」


 顔をしかめさせられる程、激しいノイズが聞こえてくるだけ。


 しか師雑音は、時男に気付かせる。


「あァ、成る程な。この雑音が、いいんじゃろうな」


 孝代は、まだ気付けるレベルになく、きょとんとした顔をしてしまっているが。


「ノイズが、ですか?」


 孝代に対し、時男はもう一度、「あぁ」と頷き、


「霊の痕跡に電磁波がある。それを突くんじゃろう」


「突くんだぜぃ」


 旺は、ただ得意そうに繰り返しただけだ。

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