第39話「復讐者の凋落」

 急ピッチで集められた資料は、彩子に大きく溜息を吐かせた。


「かなり攻撃する範囲を広めたようだネ」


 まず確定したのは、続木つづき律子のりこの標的が拡大された事。それはミニバンの運転手がどういう素性かを探る中で分かった。


「まず、動画に映っていた被害者と続木律子との関わりダヨ」


 僅か半日足らずで確定した事は、孝代を驚かせる。


「分かったんですか?」


 目も丸くする孝代たかよに、彩子は強く鼻を鳴らした。


「午後から交代してもらって、集中できたからネ」


 これくらいの事はするし、いずれ弟子である孝代もできるようになってもらうという意味を含めて、彩子は得意げな顔を見せる。


「得に、動画の中で文字情報の多いサイトを提示して、特徴のある言葉を投げかけてたから簡単な方だったヨ」


 彩子が示したのはSNSだった。


「被害者のSNS……一昔前に流行った奴だネ。ここの、被害者男性の日記へのコメント」


 その中で、彩子はユーザーからのコメント欄を指さす。その文言だ。


 ――武士が貴族の極位に着く事がどれ程、画期的な事か、感受性のない人には分からないんですね。


 動画で律子が口にしたものと、一文一句同じコメントが書き込まれている。孝代も視線を走らせる日記の本文は、何という事はない。


「これ、ドラマの感想ですか?」


 テレビの感想だ。


「ドラマの脚本に対する批判ですか……」


 その内容は、孝代から見て、突っかかる方がおかしい。


「でも、これは私も同感かも。する事なす事、モノマネだった事は、歴史の教科書を見れば分かる事ですから」


 孝代も頷く日記には、最終的に失敗した事を画期的手法と褒めちぎる脚本よりも、失敗を失敗として描き、後に反面教師として太平の世が訪れた、と言う流れを作る方がいいのではないか、と書かれている。


「コメントでバトルしてるネ。どうも、続木つづき律子のりこは脚本のいい所を挙げるよりも、何が何でも擁護しなければ気が済まないタチだったようダヨ」


 被害者男性の苦労がよく分かると、彩子ですら苦笑いしていた。日記の主はSNS上では年齢を非公開にしてあるが、時男が見つけてきた新聞記事から察するにアラサーである。コメントに対する返事からも、それがよく分かる。


「安っぽくキレられないって苦労がにじてるネ」


 苦笑いであっても、溜息と深呼吸ばかりの雰囲気から笑いを出してくれた、と感謝しつつ、彩子はコメント主のページへ飛ぶ。


「あのコメントだけなら、続木律子本人と認定はできナイ。でも、この本人のページへ行くと、色々と分かる。まずは画像だネ」


 色々とアップロードされている画像をピックアップした彩子は、それらのイグジフ情報を表示させた。画像に残された撮影日時、GPSによる位置情報、使用したカメラの機種などが一覧表示される。


「全て、位置情報は近所だネ。そしてイグジフの日時と、その画像が上げられていた日時、あと裏サイトで色々と書かれていた目撃情報を照らし合わせていくト……」


 ノイズとなる嘘は大量にあるのだが、それらを慎重に排除して残ったものを厳選していく。ただし、この作業はコメントの主が続木律子である確率を高めるものでしかなく、最終的に100%に至らせる事は難しいが。


 彩子は見つけた。


「決定的になったのが、この一枚ダヨ」


 どこかの部屋から撮られた火事・・の写真で、孝代は「うわぁ」と呟かされるくらいの惨事を捉えている。


「火事ですか?」


 眉をハの字にさせられた孝代が、もう一度、「うわぁ」と呟かされているのに対し、彩子はフンと強く鼻を鳴らすのみ。


「火事とか事故の写真は、撮ってもあげるべきじゃないネ」


「それは……倫理的? 人道的? にアウトなんでしょうけど」


「人がいいネェ。そういう意味じゃないヨ」


 思わず彩子は吹き出した。


 確かに凄惨な現場なのだから、遊び半分で写真を撮り、それを誰でも見られるような場所に載せ、面白おかしい記事を書くのは倫理的にも人道的にもアウトである。


 ただ今の彩子には欠けていた視点であり、そういう意味で笑ってしまった。


「火事の現場は日時を照合すれば出てくる。報道されてるからネ。車輌事故なんかも、県警が事故情報を公開しているのサ。氏名や年齢は隠されるけどネ」


 つまり、この場所の特定は簡単である。


「これは、どこかの部屋の窓から撮られてるヨ。で、何階かは角度で分かるんダ。ここ」


 彩子が示す地図上にはアパートの表記が。



 時男と孝代が乗り込み、リトルウッドと対決した事のある公営住宅だ。



 写角から割り出した部屋は、続木律子の部屋!


「復讐の相手を、更に広範囲にした事は確実だネ」


 自分で自分の肩を揉む彩子は、流石に疲れた表情を隠しきれなくなっている。


「自分でも、半日でよくやったと思ってるヨ」


 想像以上に精神的な疲れが溜まったと天を仰げば、そんな彩子の顎先に湯気が当たった。


「お疲れ様です」


 インスタントコーヒーであるが、孝代がれたコーヒーである。


「ありがとう」


 丁度いいタイミングで淹れてきてくれた事に対する彩子の感謝は、少しぎこちない笑みだった。疲れの原因は精神的な疲労しかない。それこそ、孝代が自身では不可能だったというくらいの。


「私なら、無理そうですから。裏サイトの、この罵詈雑言を読みながら照合していくって、5分で投げたくなります」


 孝代も律子に同情する気持ちは薄いが、それでも剥き出しの悪意と敵意が宿った文章は読むに堪えない。


 だが彩子はやった。


「……仕事だからネ。私たちの給料は安くないヨ」


 いつか時男も語っていた事は、彩子も同じく心得ている。命の保証がないのだから、世間ではブラックといわれるだろう。しかしそれに見合ったものを受け取っていると自覚している。何よりも――、


「実をいうとネ、私も続木律子の復讐は、仕方のない部分があると思ってたヨ。自分をめちゃくちゃにした相手に対するものなんだから、同情の余地はある。でも、これは違うネ」


 昨夜の事故が、彩子の責任感を刺激した。


「特に、この人に落ち度はない。SNSでの遣り取りも冷静ダヨ。だけど、それすら続木律子は許さなかった。殺される理由は、どこにもないヨ」


 だから自分の仕事をしなければならないというのが、彩子の理屈だ。


「続きもあってね。結局、続木律子は論破できずにSNSでのバトルは終わった。けど、彼女は自分の日記に書いた訳ダヨ」


 彩子が指さす律子の日記には、ただただ感情的な文章が踊っている。コメントでバトルしていた時は貧弱としかいいようのない語彙ごいだったが、人を馬鹿にする言葉だけはボキャブラリーが呆れる程、豊富になって。


 孝代はしかめっつらのまま読まされることになるのだが、スクロールしきったところで真顔にさせられた。


「これ、ひょっとして拙いですか?」


 コメント欄だ。


 続木律子ページは、タイトルこそ公平公正をアピールしたモノになっているためだろうか。彩子も懸念材料にしているものだ。


「……注意を書いた人がいるネ」


 彩子も、そのコメントを目で追っている。


 ――公正、公平とは言えないじゃないですか。人を感情的に馬鹿にしているだけになってますよ。


 それに対する反論は、彩子も孝代もギャグからと思わされた。


 ――だからどうしたと言うんですか? 最初から偏見と主観によると公表しているじゃないですか。そんなもの、弱みになんてなりませんよ。


 勿論、孝代は笑えない。


「これ、自分は今から他者を誹謗するって宣言したら、誹謗中傷も正当化されるって事ですか?」


「そうなるネ。この子も、被害者になる可能性があるんだケド……」


 彩子も渋い顔をさせられてしまうのは、まだコメント主を特定できていないからだ。このコメント主を特定する作業は、今、律子を特定した作業と同じ。時間はかかっても不可能ではない。だが標的の範囲を広げられたのだから、このコメント主が次の被害者とは限らない。


「次の被害者をピンポイントで探す方法……難しいネ」


 次の被害者を特定し、そこで迎撃できれば話が早いだが、その方法は彩子も思いつかなかった。


 思いつかずにいると、またスマートフォンが鳴動した。


 時男だ。


 そのメッセージは、彩子に舌打ちさせるような内容だた。


「……ヤバい事になったようだネ」


 律子の動きが、こちらの予想より早い。


「裏サイトに動きがあるようだヨ」


 彩子にパソコンが立ち上がるまでの数秒も惜しいと思わせるのは、時男の文面に事件の動きが激しさを増したと感じさせられたからか。

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