第7話「前準備を行おう」
散々な目に遭った二人とは対照的に、
「お疲れ様。大変だったろう?」
その口調は他人事そのもので、孝代もげんなりさせられらそうになるが、それ以上に孝代の持つ「どうでもいい事が気になる」癖が感じ取らせる何かがある。
「大変でした……って、だったろうって事は、予想してたんですか?」
細かな事であるが、
彩子は「あァ」と鷹揚に頷くと、依頼人の部屋を
「彼女、
「クスリ?」
首を傾げる孝代に対し、彩子は「そう」ともう一度、頷く。
「覚醒剤をやると、発汗作用が強くなって体臭が出てくるんだヨ。その臭いがプンプンしてた」
風呂に入っていないとか、生理中とか、そういう臭いとは明らかに違うものが室内から臭ったため、彩子は外へ避難していたという訳だ。
それには孝代も肩を落とす。
「
しかし一言、いってくれてもいいはずだ、と苦い顔をした孝代へ、彩子は
「
「あァ、それは」
時男は
「すまぬ。皆、気付いておるかと思っておった」
自分と彩子が気付いていたから、てっきり孝代も気付いているかと思っていたのだ。しかし孝代に、こんな知識はない。
「これは、あんまり」
孝代は苦笑いばかり。そうやって所在なさそうな視線を巡らせると、車の中でこちらを見ていた
「お祖父ちゃん、お祖父ちゃん」
旺が室内から窓を叩く。
「ん? どうした?」
時男がドアを開けると、旺は
「アイス二つで手を打つぜぃ」
何を話しているのかはハッキリと分かっていないが、孝代が酷い目に遭った事だけは分かった。自分と孝代のアイスを
「分かったよ。
時男が参ったという顔を向けると、孝代はピッとVサインをしてみせた。
「すまぬな」
それを時男は了承と受け取ったのだが、孝代がいいたいのは違う。
「ダブルでお願いします」
「……あァ、あァ、構わぬよ」
時男が笑うと孝代も顔に笑みが浮かび、旺は目を細めて
そのタイミングを待って、彩子は居住まいを正し、「で、いいかネ?」と口を開く。仕事の話は、ここからだ。
「杉本さんのズボンを汚したのはコーヒー。つまり、中身の入ったコーヒーカップを投げつけられた。当たってるヨネ?」
庇ってもらった孝代が頷く。
「えェ、そうです。杉本さんが助けてくれなかったら、私の顔に直撃してましたよ」
「なるほど」
彩子は確信した。
「多分、近々……いや、今夜にも霊はここに現れるネ」
「何故です?」
すぐに聞き返す孝代は、確定させる情報は、殆どなかったはずだ、と身を乗り出す。
彩子は、確定した情報がある、と感じ取っていたのだ。
「室内は鏡になりそうなものは全部、塞がれてた。これは、この霊は鏡を伝ってやってくるからっていうので説明できる。でも、一つ
「それは……?」
孝代への彩子の答えは――、
「コーヒーの
コーヒーカップを投げつけてきた理由である。
「悲鳴をあげたって事は、霊が液面に映っていたって考えられるヨ。コーヒーカップを投げ出したのは、それが原因だネ」
彩子に対し、反論の余地はなかった。
「目の前に《霊》が居るんだから、とっとと始末しろって事だヨ。で、今も室内が静って事は、まだ行動は起こしてないみたいだけど。用意をしてから、もう一回、来た方がいいネ」
「そうじゃな」
時男も了承し、全員が乗り込んだ後、車を発車させた。
***
そうなると本格的に慌ただしくなる。
彩子は段ボールに入った機材を孝代に押しやり、
「さて、今夜に向けて、いくつか渡しておくものがあるんだヨ」
中身は皆生ホテルのホテル探偵必携の機材だ。
すぐに必要になると思っていなかった時男は申し訳ないという顔をしながら、機材を分別していく。
「暫く調査が続くだろうと思っていたから、渡すのが遅くなってしまったな」
ただ申し訳ないという顔をする時男だけで、彩子は逆をいう。
「早くなったともいえるだろうネ」
新人に機材を渡すのは、本来ならばもっと後になるのだから。
ただ孝代は理解が及ばず、「えと?」と首を傾げてしまい、彩子は「悪イ」と詫びた。
「霊と戦う事になった場合、必要となるものだヨ」
それ程、大量のものがある訳ではない。
「まず、ファブレットだネ」
最初に渡すのはファブレット――7インチの画面を持つスマートフォンだ。
「特別なものじゃない。本体は市販品だヨ。仕事に私物の電話を使わせる訳にはいかないからネ。通信費もバカにならないだろう?」
仕事の連絡用も兼ねているというファブレットは、彩子のいう通り市販品と大差ない。
「重要なのは中に入ってるアプリ」
ただインストールされているアプリだけは別だが。
「皆生ホテル謹製の調査用アプリ。温度、振動、各イオン濃度などが測定できる。理由は分かるネ?」
彩子の問いに孝代は眉を寄せて難しそうな顔をするが、答えは出せる。
「温度低下や異臭、物体移動などを検知する?」
霊が関わる事象は、既に習った。温度低下、異臭、物体移動、騒音、発火、帯電の6種類の探知は必須である。彩子も「優秀ダ」と頷く。
「そう。その他にも電磁波の測定もできる。霊は、ある種の電磁波を放っているんだヨ。それを測定し、出現や
調査にせよ戦闘にせよ、必要な装備なのだ。
「持っていくんダ」
「はい」
と、物珍しそうにファブレットを手に取る孝代は、時男も持っているのかと視線を移すが、
「いいや、儂は持っておらぬ。頭がついていかぬのじゃ。昔ながらの、ラジオとメガネじゃ」
時男が胸ポケットから取り出したのは、古びた鉱石ラジオと素通しのメガネ。
「電磁波を放っているという事は、霊の近くではラジオは雑音が入ってくる。メガネはレンズを聖油……つまり純粋なオリーブオイルをカトリックの儀式に従って祝福してもらったオイルで焼くと、霊の姿を半透明で捉える事ができる」
どれも昔からあるアナクロな手段だ、と時男は自嘲気味にいうが、何も最新機器が常に優れているわけではない。精度は劣るが、それらアナクロな道具を認めているには、相応の意味がある。
彩子は時男が頭がついていかない事だけを理由にしている訳ではない、と知っている。
「その辺りは一長一短だネ。古い人たちは、電池で動くモノのに命を預けるなっていっているヨ」
彩子はどちらが優れていると争う気はない。充電が切れれば、ファブレットなどペーパーウェイトの代わりくらいにしかならないのだから。
そして武器も同じだ。彩子が見せるのは、時男が使っている刀や、旺が使っている剣ではない。
「で、武器だ、これはそれぞれ使いやすい使いにくいがあるから、まぁ、護身用程度にグローブでも使うとイイ」
もう一つは、拳の部分が鉄板で補強されたライダースグローブ。
「霊は、この世に存在するために、プラスの意味を持つ何かを纏ってイル。それをマイナスの何かで突き破れば倒せるヨ。分かり易いのは電荷。鉄は帯電列でマイナス側にある」
人間に対しては武器らしい武器ではないが、殊、霊に対して、このグローブは武器になる。
と、旺は「ぬっふっふっふっ」と自慢そうに自分の剣と盾を孝代に突きつけた。
「僕の剣と盾も、幽霊を斬れるんだぜぃ。お祖父ちゃんが作ってくれた!」
剣と盾の素材である樹脂は、寧ろ鉄よりも強くマイナスの電荷を帯びる。
しかし孝代の目を丸くさせるのは、時男が作ったという剣と盾の、オモチャとは思えない、しっかりしたデザインだ。
「おお、カッコイイね!」
孝代には、旺に対するお世辞はない。時に盾は、120センチそこそこの旺には些か大きく見えるが、鞘と一体となっている事、また表面に意匠されたマークも凝っている。
「盾の紋章は、牛?」
盾の表面には、意匠化された牛が紋章のように模られていた。そこは旺が最も気に入っている点である。
「猛牛だぜぃ。んで、んで、持つところは虎なんだぜぃ」
そして剣の柄に巻かれているグリップテープは黄色と黒で、それもただ
これらデザインを、孝代は決してバカにできない。
「凄いね!」
孝代が拍手するのは、純粋に感心しているからこそ出た仕草だ。
作った時男も、漫然とデザインしたのではなく、盾にも剣にも意味を持たせている。
「冥府の鬼は、牛の角と虎の皮を着ているというからの」
孫の要望だけでなく、そういう縁起担ぎもあるのだ、というのは、時男を少し照れくさそうにさせたが。
ただ、そんな二人の関係を見る孝代の顔には笑みが浮かぶ。
「いいなぁ、いいなぁ」
祖父と孫――理想的だ。
そういわれると旺も気を良くし、
「お祖父ちゃん、今度、お姉ちゃんにも作ってあげようぜぃ?」
旺の提案は、時男にとっても望むところだ。
「ん? あァ、構わんよ」
時男が作るものなど、オモチャ、コスプレ用品程度に過ぎないが、霊の場を切り裂くだけならば十分な威力を持っている。
ならば今後、孝代が仕事をしていくならば必要になってくるものだ。
「やったー!」
バンザイする旺。
皆の気も、少し紛れたはずだ。
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