第24話「本日の干潮時刻は午前11時2分」

「一対一で決闘でもしようっていうのか? 正気か?」


 嘲笑のために開かれたリトルウッドの口は、暗闇の中にあってか、赤が嫌に目立った。


「まぁ、可能性はゼロじゃないか」


 リトルウッドも無傷ではないが、人間よりも遙かに早く回復する。それに対し、時男ときおは事故の影響で腕の感覚が鈍い。足運びにも覚束ない様子があり、とても万全とはいい難かった。


 時男は――、


「闘いに来たのではない」


 構えを解いた。


「取引をしたい」


「取引?」


 リトルウッドは首を傾げると共に、バカにしたような笑みを見せる。


「俺と、お前が?」


 そんな用事でび出されるとは思っていなかったからだ。


「そうだ」


 時男は左手に持っている刀を右手に持ち替え、鞘に収めたまま突き出す。鞘を利き手で掴むのは、攻撃しない事の証でもある。


「この刀と引き換えに、山脇やまわきさんを助けて欲しい」


 神や仏ならば、生死には不干渉だ。命の摂理は絶対であり、医師が治せないならば、と代わりに治すようなマネはしない。



 この世で起こった事は、この世で治まらなければならないのだから。



 医師が助けられないのならば、死という未来は厳然として存在する。


 リトルウッドは眉間に皺を寄せた。


「魔王と取引か」


 そして反吐が出ると吐き捨てた。


「そこまで可愛い相手か?」


「良い条件のはずじゃ。お前にとって、山脇さんの命などより、ずっと価値があるじゃろう?」


 その刀は時男の代名詞ともいえる、皆生かいきホテルが隠し持つ切り札の一つでもある。


「確かに、その刀は怖い。この世で斬れないものは、たった三つだけという代物だったな。悪魔だろうが霊だろうが、お構いなしに斬って捨てる」


 リトルウッドはしかめっつらを続けついたが、時男は刀を恐れる発言を肯定と取った。


「ならば、取引成立じゃな」


 持っていけと右手を突き出した時男へ、リトルウッドが手を伸ばす。


 その手は、受け取ろうという訳ではない。


「……いや、そこまでいわれるのなら、そんな刀ひとつじゃダメに決まってる」


 拒否と、要求だ。


「もう一つ、つけてくれ」


 嘲笑を浮かべたリトルウッドは、時男の耳元に顔を寄せ……、


「ずっとずっと価値のあるものだ。その刀自体はそれ程、怖い訳じゃない。怖いのは……わかるだろう?」


 一言一言、噛みしめるかのようにゆっくりという。


「……」


 時男の眉間に深い皺が刻まれた。自分を追い詰めようとしているのは明白である。


 リトルウッドから出された言葉は……、


「――」


 時男とリトルウッド本人にしか聞こえない単語は、時男の目を見開かせた。



***



「チャージ! 360から行くヨ!」


 電気パッドを持つ彩子あやこが怒鳴る。既に心電図はフラット。心臓マッサージだけでは再び脈動を始めてくれそうにない。


「はい」


 看護師の返事に、電気パッドに電圧がかかった事を告げる電子音が続く。


「よし、ON!」


 ドンッと孝代の上体が揺れるのだが、心電図を見る看護師は首を横に振らされる。


「ダメです」


 未だフラットの心電図に、彩子は歯軋りして電気パッドを睨む。


「もう一度やるんだヨ!」


 電圧を掛けるにも、限度がある。あまりにも過剰にかければ、トドメを刺す事になりかねない。


 電気パッドと、心臓マッサージを繰り返す。


「帰ってくるんだヨ! やりたい事も、やらきゃいけない事、たくさん溜まってるだろ!」


 怒鳴りながら心臓マッサージを続ける彩子には、仕事の事など頭にはない。


 時男と同じく、18歳の孝代にとって大事な事は、仕事ではないと思っている。


「大学行って、彼氏も作って、ちゃんと遊ぶんだヨ! その時間を取りこぼすな!」


 両腕に重さを感じ始めた頃、心電図が再び折れ線を示した。


「脈、戻りました!」


 看護師が歓喜の声をあげるが、無論、安心できる段階にはない。それでも息を切らせる彩子が天を仰ぐくらいの、一瞬の安心はある。


「よし……!」


 しかし本当に一瞬だ。


 ――いよいよもって時間の問題だっていうのカ……!?


 心臓が止まったくらいならば動かしてやるといった彩子だが、それは軽口の類いでしかない。動かなくなった心臓を、もう一度、動かす事がどれ程、大変かくらい知っている。


 孝代の身体は死という逃れがたい場所へと転落していこうとしており、それを止めるすべは、あまりにも少ない。


 ただしには、だ。


 彩子と看護師の喧噪も聞こえない孝代に、聞こえる声がある。


 ――感謝しろ。


 その声を聞いたのは、孝代ただ一人。


「!?」


 孝代が息を呑んだ気配に彩子が振り向くと、ベッドの上では孝代が目を開け、しかも夢から目覚めたばかりという風に周囲を見ているではないか!


 彩子は慌て駆け寄り、孝代の顔を両手で掴む。


「山脇サン、わかる? ここがどこだか、分かってるカ?」


 頷いた孝代の目へペンライトを向け、瞳孔反応を見る――正常だ。


 しかも孝代は、眠りから覚めただけという風。


「ここは……? 私、杉本さんの車で帰ろうとしてて……」


 話せる孝代は、奇跡の生還などというレベルを超越している。有り得ないと、彩子も目を剥く程。


「時間が巻き戻ったとしか思えないヨ……」


 しかし時男の存在を思い出す。


「杉本サン……杉本サンはどこ?」


 看護師に探してこいというが、探す必要はなかった。


「ちょっと、通してくれんかの?」


 病室へと入ってこようとする時男の姿がある。


「山脇さん、意識が戻ったんじゃな。一安心じゃ。あの後、事故を起こしてしまってな。意識がなかったものじゃから、心配しておったよ」


 看護師と彩子を避けて、ベッドサイドまで来た時男へ、孝代は顔を向ける。


「もう大丈夫そうです」


 身体中につけられた管やケーブルが邪魔でベッドから降りらないが、自分の体調は分かる。すぐに退院だ。


「すぐ、四人で再調査でしょう?」


 それを聞いた時男は、「頼もしいな」とハンチング帽を脱ぎ、孝代の手を一度、握る。


「儂は、心から山脇さんを誇りに思っておる。これから、どのような未来が来ようとも、儂にとって自慢の弟子・・じゃ」


「はい。私にとっても、最高の師匠・・です」


 孝代も時男の手を握り返し、その手の感触に時男は、ふっと微笑んだ。


「もう少し休むといい。夕食まで寝ていた方がいいな」


 掴んでいた手を放した時男が、孝代の目をスッと閉じさせると、寝付きは良い。身体の疲れまでは取れていなかったようだ。


 孝代が静かになると、それを待ち構えていたように彩子が前へ出て――、


「杉本サン、ちょっといいですカ?」


 しかし時男は手にしたハンチング帽を被り直し、話は後にしてくれと片手を上げた。


「ちょっと、用事があって、な」


 時間がないという時男は、返事を待たずに廊下へ。


「矢野さん、山脇さんを頼んだよ」


 そしてエレベーターで向かうのは地下。



 そう――用事がある。



 廊下を歩く時男の足音が、やけに甲高く響いた。


「持っていけ」


 それはゆっくり、コツコツと居心地の悪いリズムで……、



「儂の、命――」



 杉本時男、死亡――午前11時2分。

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