第5章「魔王が目覚めた日」
第25話「お祖父ちゃんは、何でもいう事を聞いてくれたんだから」
このタイミングでは
事件が終息せず、また魔王の称号を持つ悪魔が出現している今、老年とはいえ杉本時男の名前が消える事は士気に関わる。
何よりも、その死因が問題だ、と彩子は脂汗を掻いていた。
「心臓が止まったとしかいいようがないネ……」
ベッドに横たわる時男の遺体に小さく
――外傷らしい外傷は、ないネ。
詳しくは解剖でもしてみない事には判別しないが、彩子が見た限りでは「突然、心臓が止まった」としかいいようのない状態だった。
当然、事故で負った怪我は死因になり得ない。レントゲンでも、頭部のCTでも、異常はなかったのだから。
しかし時男が最後に求めたものが、アカシヤとアブラメリンオイルの二種が何を意味するか、彩子は調べた。
そして知った。
「おーくんは何とも思わなかったけれど、それは魔除けにも、悪魔の召喚にも使われるはずだネ」
つまり出せる結論は一つ。
「自分の命と引き換えに、
それは
だが生き返った
「じゃあ、杉本さんは……私を助けるために、生涯をかけて討ってきた相手に……?」
冷静に努めようとするが、孝代は声を震わせ、
「悔しかったでしょうに……。こんな――」
孝代の目から涙が零れようとしたその時、ドンッと壁を叩く音が足下から聞こえてきた。
孝代と彩子が視線を降ろした先には、壁に体当たりをして二人を黙らせたでん。
――それ以上はいわないで。特に、おーくんに聞かせないで。
でんの後悔は、非常に強い。時男が
その上、旺に大好きな祖父の死を告げる事になるなど、抱え切れようはずもない。
孝代もハッと表情を引き締めた。
「ごめんなさい」
そんな一人と一匹が、彩子にいつもの調子を取り戻させる。
彩子は「いわないヨ」と短く告げた後、
「それにする事が多いんでネ」
この変人に部類される女は、冷静な言葉を口にできる以上は仕事をする。
そして医師であり技師である彩子の仕事とは、この場合、時男に対する
いつも通り、彩子がセットしていく機材は分からないものだらけで、孝代は首を傾げさせられたが。
「……それは?」
彩子が時男にセットする機材は――、
「冷凍保存ダヨ」
彩子は事もなげにいった。
「血液が凝固したり組織が壊死していく前に処置してしまうヨ」
慣れた手付きで薬剤を点滴していく彩子は、孝代の方など一瞥すらしない。
「この血液中に点滴するシリコン化合物は特別製でネ。細胞組織の破壊を防いでくれる。活き続ける身体になる訳だネ」
それ自体は遺体の保存技術に過ぎず、尚のこと、時男に施す理由が孝代には分からない。
「それは、何故?」
彩子はそこでやっと振り返り、
「……手伝ってもえないカ?」
理由は、実に分かりやすくいえる。
「本当に取引して死んだのなら、生き返られる方法があるんだから」
「え!?」
孝代も聞き間違いなどとは疑わない。
「あるんですか!?」
「ある」
彩子はハッキリと頷く。
「外傷が全くなく、内臓にも異常がないんだから、
簡単そうにいう彩子であるが、勿論、いう程、簡単な訳ではない。
リトルウッドを滅ぼす事から、屈服させる事に目的が変わるのだから。
「――」
孝代が何かをいおうとしたが、それが何かは永遠の謎となる。
彩子が強引に遮ったのだ。
「難しくてもやるんだヨ」
声色はいつも通りだが、その口調の端々からは厳しさが見えている。有無をいわさないが、こうなっては孝代がいわない。
「……はい」
孝代も彩子と信頼関係を結んでいた。
ただし作業を始めた途端、聞こえてきた声にはドキリとさせられてしまう。
「おーい」
旺が来た。
「先生もお姉ちゃんも大変そうだから、オヤツ持ってきたぜぃ」
旺が満面の笑みで示す紙袋の中身は、大きなシナモンロールが一つある。
「半分こして食べてって、お祖父ちゃんがいってたぜぃ」
アメリカナイズされた大きさは、孝代と彩子が二人がかりでも十二分だ。
だから孝代も笑顔を作れた。
「杉本さん……お祖父ちゃんも、事故で暫く入院する事になるから、おーくんも寂しいかい?」
だが何とか作ったに過ぎない孝代の笑顔は、誤魔化せたのだろうか?
「うん。でも、きっとすぐ良くなるぜぃ。ね?」
紙袋ごと彩子へ手渡してくる旺の顔にある笑みは、どこか
5歳児の旺ですら、雰囲気からただならない事を感じ取っている。
彩子が思う事は様々だ。
「ありがとう。お茶でも淹れよう。山脇サンも手伝ってもらえるカナ?」
時男と旺の問題は余人の手出しできる事ではないのだから、孝代を連れて病室を出る事に選んだ。
「え?」
孝代が面食らった顔をするも、彩子は「来い」と耳元で
「杉本サンは、次の手を用意してくれていた」
病室を出た彩子は、シナモンロールと共に紙袋に入っていた手帳を示していた。皆生ホテルが作っているスケジュール帳で、時男が使っているものである。
旺に托したのだから、自分が取引したリトルウッドと、その契約者である
ここで精査できない事は、孝代も分かる。
「はい」
二人は時男の病室に旺を残し、事務所へ向かおうと足早に――、
「お祖父ちゃん……」
いや、旺の呟きが二人を止めた。
「お祖父ちゃんは、何でも僕のいう事を聞いてくれたでしょ」
呟きというには大きく聞こえてしまう声は、旺が知っている事を告げている。
声を震わせ、
「もう、これが最後だぜぃ」
目からこぼれ落ちる涙を拭いながら、
「最後だから、聞いて」
旺は時男にだけ聞こえるように、耳元へ口を寄せたが、天井の高い病室が、その声を反響させてしまう。
「生き返って……」
時男の死を、旺も知っているのだ。
病室の外で、孝代は唇を噛まされた。
「……」
ただ無言の孝代の肩を抱きしめる彩子にも、もう
「助けるよ。絶対にね」
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